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光遠き地の冒険者たち  作者: きー子
Adv1:『出会い』
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Level1:『落とし穴で落ちモノ』

 冒険者の道はかくも険しい。見上げた先は迷宮の天井。

 ──灰髪の少年、ウィリアムは落とし穴に落ちていた。立ち往生である。投げ縄、カギ爪の類の持ち合わせが無いわけではないが、このダンジョンを構成するものは主に土であった。四方を囲う壁は、ただただ土壁。石ではない。しかも、濡れたようににわかに柔らかい。ゆえに、引っ掛けどころが無いのだ。よって立ち往生。少年の周囲には空しく毒蛇の死骸が転がっている。落とし穴との連携として仕掛けられていた罠の一環であろうが、これは難なく始末することが出来た。ちょっと噛まれたけど。ちょっと気分悪いけど。ちょっと。

「どーおすっかな……」

 顔色のあまりよくないウィリアム少年は毒蛇の毒袋を剥ぎ取る作業に従事しながら、不意に回想する。仕事を斡旋してくれた酒場のおばちゃんのことである。彼女から頂いた有難いお言葉を。『一人でダンジョンに突貫なんてするもんじゃあないよ死ぬよ』。全くもって正論である。なぜ彼女の言うことを聞いておかなかったのか。年の功とは恐ろしい。そして、そんなことを彼女の目の前でもし言ってしまったら、もっと大変なことになるに違いない。自分がそこまでの命知らずではなくて、本当によかった。

 ──金が必要だったのだ。

 ウィリアムは、食い詰めていた。魔物の巣穴と呼称するに相応しい、迷宮に飛び込むことをも厭わぬ程に、だ。付き纏う危険は勿論のこと、見返りである財宝が存在するとは限らない。──だが、身の丈不相応の富を手に入れることが出来る、その可能性も多少ながら存在する。少年は、その可能性に賭けた。

 結果が、現在の状況である。

 とはいえ、命は残っているのだから重畳。こんなところで立ち往生していても仕方が無い。そろそろ進まなくてはなるまい。なに、どうとでもなるはずだ。ウィリアムはそう考え、軽く濁ったような色の黒い瞳を天に向ける。落とし穴そのものは、そこまで深くない。さて、剣を突き立てて取っ掛かりにしていけば、上まで登っていけるだろうか。ウィリアムとしては悪くない案のように思えた。かぎ爪ではどうしても滑ってしまう壁も、剣をしっかりと突き刺せば土くれの壁程度、なんということは無いのではないか。そしてウィリアムの腰には、実に都合良く、二振りの剣が提げられている。ウィリアム少年は二刀の剣士であった。

「行くか」

 ウィリアム少年は覚悟を決めた(あるいは諦めた)視線をじろりと向け、剣を抜き、刃を真っ直ぐに柔らかな土壁へ突き立てる。剣が傷んでしまうことは、思慮の外である。どうせ安物だった。柔らかな壁にあっさりと刃は沈み、そのまま崩れてしまいそうな危機感を感じる。特に、突き立てた剣へ体重を掛ける瞬間が非常に危険だ。ウィリアムの体格はさほど大柄というわけでもないが、小柄というわけでもない。ごく普通、十五歳程度の少年としては一般的な体格と言えるだろう。よって、あまり負荷をかけない内に次なる一歩を踏み出すことにした。取っ掛かりさえあれば、後は難無く登れよう。

「……なんとかなりそうだな」

 一時はどうなることかと思ったが、どうとでもなるものだ。ははは、何が死ぬよ、だ。おばちゃんめ。脅してくれやがって。ウィリアムは早速と能天気な思考を繰り広げながら、不意に前方(というか上方)不注意であったことに気付いて──驚愕に目を見開いた。

 上からお尻が落ちてきていた。

 ぐしゃっ。

「ひぎぃ!」

 そこそこ良いところまで登ってきていたウィリアム少年が、ケツから真っ逆さまに地面に落ち、イヤな音を立てて落ちる。そしてお尻の下敷きになった。お尻というか、女子だった。少女である。少女のお尻に敷かれて死ぬのならばウィリアム少年もまた役得であり、そして本望に違いあるまい。ピクピクと下敷きになって震えるウィリアム。

「……」

 そして少女、無言。ウィリアムはぴくぴくと痙攣して、本当に死にそうになりながら言う。

「退いてください」

「……」

 こくこく。静かに頷いて、もそもそと腰を上げ、立ち上がる少女。さて、いざ立ち上がった姿をこうして見ても、その姿は随分と小さなそれであった。背にまとめられた黒髪に蒼眼、そして愛らしい顔立ち。ウィリアムと立ち上がって並んでみれば、果たしてその頭が胸の辺りにまで届くかどうか、そんな有様であろう。比べることが酷であると言っても良い。

「……一体どうしたことかと」

「……ごめんなさい」

「いや、それはいいんで」

「……クロエ」

「……?」

「……名前」

「……」

 鈴の転がるような、そしてどこか舌足らずな声。要領を得ない会話に天を仰ぎながら、ウィリアムは懸命に会話を試みる。交渉技能の決して高くないウィリアムではあったが、しかし決して彼女ほど低いということはないだろう、と思った。多分。

「僕はウィリアムだ。まあ適当に呼んでくれ。……で、だ」

「……うん」

「見るに、此処の探索に来たって風じゃないな」

 こくり、と彼女──クロエは頷く。簡素なローブに身体を包み、身に一つポーチを提げるばかり。魔物の巣と称しても些かの間違いでもないダンジョンに踏み込むには、余りにも相応しくなく、そして軽装の限りである。本気ならば無用心なこと極まりないが──つまりなんらかの事情がある、ということでもあるか。

「……魔物に追いかけられて……いつも、この辺りでは、そんなこと無いんだけど」

「で、目に入った洞窟に逃げ込んでしまったと」

 こくり。何といううっかり少女。とウィリアムは思うが、しかし、あながち完全に間違った選択肢という訳でもない。なぜならば、魔物には魔物特有の縄張り意識を持つことが少なくない。つまり、己の行動領域の範囲外であるダンジョンには踏み込んでこない、ということがままあるのだ。もちろん、その内部で襲われない保障は無いが……ウィリアムらのいる階層は、深層にあたる場所ではない。そして、入り口までのそう多くない敵は、ウィリアムが切り伏せていた。そしてその結果、逃げることに夢中になって──

「うん……まあ大体わかった」

「……顔色、悪い」

「会話を噛みあわせて!」

 ウィリアムはどう見ても年下(にしか見えない風体)の少女に頭を下げて懇願する。と、クロエは己の提げたポーチに手を伸ばし、その内側をごそごそと漁りだした。その中にはなにやら緑色の物体が溢れ返っている。草。薬草だろうか。はて、彼女はそれを目的として町からこの森の辺りまで出てきたのだろうか──と観察しながら、瞳を細める。そして反対に、彼女のくりくりと良く動く瞳もまた、ウィリアムの姿を観察しているようだった。顔を。というか、顔色を。明らかに悪い、顔色を。

「……蛇毒。これ、効く」

 ぽん、とウィリアムは何気ない風に手渡される。

「飲むのか」

「……ぐいっと」

「こう、煎じるとか……手心というか……」

「……道具が、なくって」

 小さく申し訳なさそうに頭を下げるクロエ。致し方なし。これを食わねば男が廃り、株が下がり、前衛失格の烙印を押されてしまうに違いない。ウィリアムは様々な被害妄想に陥りながら、息を止めて口に含み、噛まずに咽喉の方へ流し込み、そして触れただけでも後からやってくる苦味に襲われ、世界に絶望し、その身をよじらせ悶絶した。

 顔色は、よくなった。


「……大丈夫?」

「僕は大丈夫だ。いや、むしろ助けて貰ったんだ。文句なんて無いさ。毒でコロリと逝ってたかもしんないんだからな。うん、そうだ」

 だからなんてことはないんだ、僕が怒るのは筋違いなのだ、そう自らに言い聞かせて精神の均衡を取り戻さんとするウィリアム。ハハハ、などと乾いた笑いまで漏らす始末。末期的だが、その様子にどうやってフォローを入れれば良いのか、対人技能の低いクロエには分からなかった。しかしそれを彼女の責とするのは、少々酷であろう。

「……というわけでだ。助けて貰った代わり、話を聞かせてくれないか。僕がいたって襲われるのはほぼ確実。借りは働きで返すぜ」

「……うん」

 小さく首を縦に振り、頷く。現実問題、眼前の少年が戦力として充てになるかどうかを計ることは難しいだろうが(というか毒にやられていた時点で少々の不安が残らざるを得ないだろうが)、この際ぜいたくは言っていられないという状況であろう。藁にもすがる気持ちである。

 僕は藁かよ! とはウィリアムの気持ちだが、流しておくことにする。

「……ゴブリン五体に追われて、しっちゃかめっちゃか」

「五体か……。一人で相手取るには厳しいな。クロエ、君の力は借りれるか」

「……多少の魔法、なら。でも、一撃で仕留めるには、むずかしい。……かく乱程度なら──相手方は、連携が取れている上に、行きずりの人から追いはぎしてるみたい、だった」

「なるほど。タチが……悪い」

 魔法――この世界では精霊か天使か悪魔か、ともかく人の理を外れた者の力を借り、行使するすべは、ことごとく魔法か魔術のたぐいだ。幼い姿ながらもそれを扱い得るという言葉に、ウィリアムは舌を巻いた。そもそも魔術を使うことが出来る人間、魔術師とは相当に希少な存在なのだ。

 そして同時に、クロエの観察眼と冷静な言葉にほうと息を吐く。幼い顔付きながらも今の彼女の様子には、どこか大人びたものさえ垣間見られた。ウィリアムは、おもむろに座り込み──腕組み、思索する。いまだ落とし穴の中で。ダンジョン内で立ち往生するのは危険だが、こうなっては落とし穴は、かえって安全地帯にもなるように思えた。魔物とて、わざわざ好き好んで落ちたくはあるまい。

 して、五体では厳しいというウィリアムの見解には、ゴブリンの性質を語る必要がある。ゴブリンは所詮、下級程度の小鬼。一匹ごとに相手にするならば全くもって大したことのない相手だが──その脅威は、彼奴らの集団性にある。弱いからこそ群れをなす、それはいたって単純な道理であった。その数が五と集まれば、熟練した冒険者ならばいざ知らず、駆け出しの冒険者一人では困難極まるとすら言える。ゆえにその戦い方に関しては──真剣に検討する必要があった。

「奴らが諦めるまで待つのが、生き残るには確実、だが」

「……うん」

 言いながら、ウィリアムはクロエの姿を見やる。

 彼女の身体能力、そして体力──見た目ばかりから判断してはいけない、などとは良く言うものだが。しかし妥当な判断をすれば、こう結論付けることが出来るだろう。

 非力で幼い少女であるクロエを引き連れたまま、長期間をダンジョン内部で持ち堪えることには、些かの危険が伴わざるを得ないと。

 落とし穴に落ちたままとはいえ、いつまでも放っておいてくれるとは限らない。よしと頷き、壁に突き立ったままの剣を抜き放つ。

「多分、攻めに出た方が確実──というより、生き残れる確率は高まるだろ。別に勝たなくていい、生き残れりゃいいんだ──飛び出して反応する前に一匹、運が良けりゃ一匹取られて油断してるところをもう一匹。一匹は魔法で狙い取れるようにやろう。そうすれば頭数は同じ……悪い条件じゃあない」

 好条件でもないが、しかしどうとでもなろう。ウィリアムは呟く。幸いなことに、こうして話し合っていることで消耗した体力も幾ばくか戻ってきている。二匹くらいなら同時に相手取れると考えたところで──不意にクロエの言葉が聞こえた。鈴の音のような声。

「……確率なら。あげられる」

「ほんとか」

 聞き返し、ゆるりと頷いてみせる少女。彼女の提案に耳を傾けんとし、まっすぐに向けられる、どこか無感動な瞳を見た。感情の薄いような視線が、ゆらりと揺れた気がする。──どこか抜け目の無い目をしていた。薄紅色の唇を開き、続ける。

「私をおとりにする」

「ジーザス」

 思わず変な声を上げてしまうウィリアム。

 ウィリアムはそそくさとクロエを肩車しながら、尋ねる。

「考えはあるんだろうな」

「……」

「どうした」

「……どうして、肩車」

「登らないと話進まないんで……」

 嗚呼と得心行ったように手を打って、頷く。ウィリアムの肩の上に立ち上がり、壁を登りきった先──落とし穴の淵に指先を掛けるクロエ。と、ふと気付いたかのように、指先に力をかけながら、呟く。

「……これ。使える、かも」

「なにがだ」

「……上。みないで」

「ごめん」

 大丈夫だ。何も見えなかった。何も見えない。だから僕はそのことに何も言及することはない。誰に言い訳するともなく心中ウィリアムは嘯きながら、剣の二振りを鞘の内に収める。上に登ったクロエに縄を持ってもらい、引っかかりとなるところに掛けてもらう。持つべき者は仲間であった。一人ではままならなかったこともなんとかなる。素晴らしい。一人でもなんとかなりそうだったということは、きれいさっぱりと記憶の彼方に追いやっているウィリアムであった。

「……上からの。魔法で、散らせるかも」

「良案だな。……でも、現実的にどうやってやるか、だよな」

「……肩車で」

「やめて」

 格好が付かないとかそれ以前の問題として、辛い。いや、辛くはないかもしれないが。神妙に見やる。少なくとも、さっき彼女を背に乗せたときの感覚は、重いとは感じなかった。軽かった。というか軽すぎた。が、見目相応ともいえるかもしれない。さて、ダンジョンの出口(入り口)に向かって二人は歩み出す。床と壁は土くれなど、些か粗末だが、階段はしっかりと石造りのそれであった。安全基準上の問題かもしれない。魔物にとっての。

 そして階段の向こう側に、光が見える。地上から降り注ぐ、確かな光。しかしそこから先は、同時に彼ら二人にとって戦場を意味するものでもある。一匹──見張りの役目を果たす、ゴブリンの影が見えた。

「よし」

「……うん」

「行くか」

「……」

 二人は互いに頷きあう。

 そして──死地に飛び込むことと相成った。

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