彼女の事情
そして、彼女はこちらを見つめたまま動かなくなってしまった。
無視するには近い、かといって声をかけるには微妙な距離。
僕はちょっと親切心を出して、逡巡する彼女に気づかないふりで自分の仕事を続けた。
こちらの気持ちを無理に押し付けてしまえば、それこそ彼女は心を閉ざしてしまうかもしれないからだ。
夕方五時の大型スーパー。
レジを抜けてすぐの通路は、カートに夕飯の材料を満載した買い物客たちの専用道路と化していた。
そのど真ん中に突っ立って僕のいる方をじっと眺め続ける彼女は、アリの行列に放り込まれた小石を連想させる。
片手に提げた可愛らしい緑のエコバッグも、牛乳が一本と何かの惣菜が入っているだけで、まるでしおれたほうれん草を風呂敷代わりにしているみたいに伸びきっていた。
周りを行き交う屈強な主婦が、鉄球さながらの買い物袋を携えてぶつかってきたら、ぺしゃんこにされそうな若さだった。
ここまで来たというのに、彼女はまだ覚悟を決めかねているようだった。
わかりやすく眉間にしわを寄せ、顎に手をやり、顔は俯いている。
彼女は彼女なりに、葛藤があるのだろう。
プライドとか、もしくはもっと複雑な事情なのかもしれない。
しかし僕としては、そんなことはどうでもよかった。
むしろ、彼女はもっと自分に素直になるべきだ。
もっと欲望を見せてほしい。
正直な、彼女の本当の気持ちをたった一言いってくれれば、僕は笑顔で迎えて応えてやれるのだから。
これは、彼女が決断してくれなければ意味が無い問題なのだ。
かなりの時間彼女はそうしていた。
僕もじっと待っていた。
やがて、ついに意を決したのか、荷物を持ち直した彼女はこちらにずんずんと歩き出す。
彼女は迷いを振り切った瞳で、僕を真正面から見上げるように立った。
「すみません」
そして、二人の間にあるショーケースを指差して、言った。
「チーズケーキ、ひとつ」




