第七話 河川敷での事件調査
駅前のファミリーレストランで翼たちと別れた天下崎星也は、ある場所へと足を運んでいた。
今朝のニュースで報じられていた『女子高生襲撃事件』の現場――市内の中心を緩やかに流れる河川、その人気のない広大な河川敷である。
十一月の冷たく乾いた風が吹き抜ける午後の土手には、十数人の制服警官と背広姿の刑事たちが集まり、ひどく物々しい雰囲気の中で現場検証を行っていた。
風に煽られてパタパタと耳障りな音を立てる黄色い規制線テープが広範囲に張られ、それを遠巻きに囲うように、暇を持て余した野次馬の人だかりができている。等間隔に停められたパトカーの赤色灯が、枯れ草の広がる土手を不吉な色に染め上げていた。
(ただの傷害事件にしては、随分と人数が多すぎるな。本署が異常にピリついてたのも頷ける)
厚手のコートのポケットに両手を突っ込んだまま、天下崎は野次馬の群れを強引に掻き分け、規制線の最前列へと進み出た。
現場の様子をより近くで観察しようと、さりげなくテープの下を潜り抜けようとした、その時だった。
「あ、すみません! この先は関係者以外、立ち入り禁止――って、あれ?」
警備にあたっていた若い巡査が、天下崎の顔を見て目を丸くした。
「……天下崎、先輩? 警察辞めて探偵になったって噂は聞いてましたけど、こんな所で何やってるんすか」
「よぉ。相変わらず真面目にやってるみたいだな、高木」
天下崎は足を止め、人当たりの悪そうな顔にニヤリと皮肉めいた笑みを浮かべた。
目の前にいる若い警察官の高木は、かつて天下崎が捜査一課の刑事だった頃、交番勤務から上がってきたばかりで、よく雑用を押し付けていた直属の後輩だった男だ。
「先輩、勘弁してくださいよ。今はただでさえ上がピリピリしてて、少しでも野次馬を入れたら俺の首が飛ぶんですから」
高木は周囲の先輩刑事たちの目を気にしながら、慌てて声を潜めた。
「まあ、そう固いこと言うな。探偵の仕事でちょっと人探しをしててな。そのついでだ。女子高生が襲われたってニュースで見たが、にしては警察の量が多い気がするが…?」
「探偵の仕事ですか……。それが、ちょっと奇妙な事件でして」
高木は天下崎の元刑事としての凄みに押されたのか、あるいは誰かに話して現場の異常な不安を共有したかったのか、周囲をキョロキョロと見回してから、さらに声を一段と低くした。
「目撃者の証言によると、襲ってきたのは『黒いフードを深く被った大男たち』らしいんです。しかも、三人か四人の集団で」
「黒いフード、ねえ」
天下崎は相槌を打ちながら、昨日の夕暮れ時に六丁目の路地裏で死闘を演じた、あの不気味なローブ姿の怪物たちを思い描いていた。
「ええ。それに、ここからが妙なんですが……今朝方、被害者の女の子の病室に話を伺いに行ったんすけど……とても話が聞ける状態じゃないっていうか。ずっと、うわ言みたいに同じ単語を繰り返してるんす」
「同じ単語?」
「はい。『いあ いあ』みたいな……目を見開いたまま、何かに取り憑かれたみたいにずっと……それに先輩、見ての通り、いくら傷害事件とはいえ現場の警察が明らかに多すぎるんすよ。突然、上の命令で移動させられた警察も沢山いるし……明らかに、ただの事件じゃないんす」
後輩は不満げに口を尖らせた。
「ただでさえ『特殊刑事課』とかいうよく分からない部署が偉そうに踏ん反り返っているのに……ほらあそこ。天下崎さんが抜けてから、結構警察の内部もバタバタしてるんすよ」
口ぶりから特殊刑事課が警察内でどのような立場なのかが垣間見える。確かに、魔術などの『あり得ない』異常現象を知らない人からすれば、特殊刑事課は得体の知れない謎の集団なのだろう。恐らく警察内でもそう言う類を知るのは上層部のみ。ただの警官が何か情報を持っているとは思えないと天下崎は内心納得する。この数の警官がいるのも、あの時同様にできるだけ早く隠蔽をして、後は特殊刑事課が独自に調査、といった所だろうか。
(……ともかく、特殊刑事課が来た以上、『海還り』が関わっているのは間違えないだろう)
天下崎の胸の内で、推測が決定的な確信へと変わる。
(だが、海還りが対象にするのは30代前後の男女のはず…なぜ学生を突然襲った?)
「……それで、その大男たちはどこへ逃げたんだ。これだけ警察が動いてる以上、何かは掴めたんだろう?」
「そこなんですよ、先輩。足跡を辿ると、すぐ横の川に飛び込んだ形跡があるんです。こんな凍えるような真冬の川にですよ?」
高木は土手の向こう、どんよりと濁った水をゆっくりと流す一級河川の方を指差した。
「しかも、ダイバーを入れて川底を探ったり、対岸に上がった形跡がないか調べたりしてるんですが、全く見つからないんです。まるで、冷たい水の中にそのまま溶けて消えちまったみたいに」
水の中に消えた。
その事実を聞き、天下崎は密かに腑に落ちていた。
昨日対峙した奴らの顔面は、明らかに魚類や両生類の遺伝子を色濃く反映していた。エラ呼吸ができ、水中の冷たさなど意に介さない生態をしているのであれば、川に飛び込むのは彼らにとって逃走ではなく、単なる「帰還」にすぎない。
海還りという不気味な呼び名は、決して比喩ではないということだ。
「……なるほどな。ご苦労なこった」
天下崎は高木の肩を軽く叩き、ポケットから手を抜いた。
「悪いな、仕事の邪魔をした。有益な話が聞けたよ」
「あ、ちょっと先輩! どこ行くんですか。変な真似しないでくださいよ!」
背後で高木が慌てたように呼び止める声を背中で聞き流し、天下崎は規制線を離れて土手を上り始めた。
冷たい川風が、彼のコートをバサバサと激しく揺らす。
(連中の移動経路と潜伏先が『水の中』となれば、生身の人間である俺の足でこれ以上海還りを追跡するのは物理的に不可能だ。この河川敷の線は、もう手詰まりだな)
天下崎は濁った川の水面を一瞥し、忌々しそうに思考を切り替えた。
水中に逃げ込む怪物を追えない以上、残されたもう一つの手札を切るしかない。
(杉浦の情報によれば、もう一つの厄介な集団……『黄色いレインコートの教団』は、二年前の爆破事故の跡地を拠点にしている可能性が高いんだったな)
水脈を移動する異形の怪物たちと、地上の廃墟に潜む謎の狂信者たち。
この二つの集団がどう結びついているのかはまだ分からない。だが、少なくとも教団が拠点にしているという『虹橋デパート跡地』は、水底ではなく地上にある。人間である天下崎が直接乗り込み、腹を探ることができる唯一の場所だ。
(それに……あそこは、絵梨花が死んだ場所だ)
デパート跡地という単語を脳裏に浮かべた瞬間、天下崎の胸の奥が、鋭い棘で深くえぐられるように痛んだ。
――二年前。あの凄惨な爆破事故が起きた日は、俺たち夫婦の、三回目の結婚記念日だった。
『星也さん、お祝いの旅行、楽しみだね』
そう優しく微笑む絵梨花のお腹には、待ち望んでいた新しい命が宿っていた。
子供ができたと、涙ぐみながら報告してくれた夜。俺は柄にもなく大声を上げて喜び、彼女の細い体を折れそうなほど強く抱きしめた。三人家族になる前の、最後の二人きりの旅行になるはずだったのだ。
だが、記念日の当日の朝。
管内で急な凶悪事件の知らせが入り、俺は非番を返上して現場へ向かうことになった。
『ごめん、絵梨花。すぐ終わらせるから』
『ううん、私もちょうど買い物したかったし。お仕事頑張って。気をつけてね。いってらっしゃい!』
玄関先で急いで上着を渡してくれた絵梨花の、いつもと変わらない明るい声と、少しだけ寂しそうな笑顔。
旅行の準備をする彼女のその姿が、俺が見た最愛の妻の『最後の姿』になるとは、思いもしなかった。
あの日、彼女は旅行の買い出しのために一人で虹橋デパートを訪れ――不条理な瓦礫の底に、永遠に消えた。
「……絵梨花」
天下崎はかすれた声で低く呟き、冬のどんよりとした空を見上げた。
まだ太陽は高い位置にあるが、分厚い雲が垂れ込めており、夕暮れのような薄暗さが街を覆い始めている。
カフェでの作戦会議で、素人の翼や結衣、そして子供の百合には絶対に近づくなと厳命した敵の本丸かもしれない場所。一般人が踏み込めば命の保証はない、危険極まりない領域だ。
だが、二年間泥水をすすって追い求めてきた妻の死の真相が、その暗闇の奥で口を開けて待っているかもしれないのだ。
天下崎は胸元で冷たく脈打つ青いペンダントを服の上から強く握りしめた。
そして、水面が波打つ河川敷に背を向け、街の中心部に巨大な墓標のように放置されている廃墟――虹橋デパート跡地へと、重く確かな足取りで向かっていった。
【杉浦平次】
三十代半ばの男性。
特殊刑事課に配属しており、いつも気だるげそうに喫煙所にいる所を部下同僚に見られている。
2年前の虹橋デパート爆破事故で婚約者を亡くしている。
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