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箱庭の百合  作者: Kibana
黄昏時に夢をみる
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第五.五話 記憶のカタチ

 虹橋デパート爆破事故の手がかりを求めて、街を歩き回っていた翼と結衣、そして黄花百合。

 何軒もの店や通行人に声をかけ、すっかり歩き疲れた翼と結衣は、デパートに向かう前に、付近にある公園のベンチで、自動販売機で買ったお茶を片手に一息ついていた。百合はブランコに乗ってくると言い、遊びに勤しんでいるところだ。


「……ねえ、翼さん」


 結衣が、ペットボトルを両手で包み込みながら、隣に座る翼へふと視線を向けた。


「記憶喪失って……実際のところ、どんな感じなの? やっぱり、すごく不安だったり、毎日が怖かったりするの?」


 それは、少し踏み込んだ質問だった。

 だが、一緒に街を歩き、彼の人となりを少しずつ知ってきた結衣だからこそ、純粋に気になった疑問でもあった。

 翼は少し驚いたように瞬きをしたが、すぐに穏やかな苦笑を浮かべて、自身のお茶の飲み口を見つめた。


「どうでしょうね。……でも、皆さんが想像しているよりは、ずっと不便じゃないですよ。脳がすべてを完全に忘れているわけじゃないんです。言葉を使えないわけでもないし、一般常識や、言われた事を理解できないなんてことはありませんから」


 翼はお茶を一口飲み、何か良い表現を探すように、少しだけ視線を冬の空へと泳がせた。


「例えるなら……『答えが2だ』ということは、はっきりと分かっているんです。でも、その2を導き出した計算式が『1+1』だったのか、それとも『4-2』だったのかが、頭の中でひどく漠然としている……そんな感じですかね」


 知識や結果だけは残っているのに、それを誰から教わったのか、どんな経験を経て得たものなのかという『過程』だけが、すっぽりと抜け落ちている。

 そのひどく分かりやすい、けれど空虚な例え話に、結衣は小さく息を吐いた。


「……なるほど。それは確かに、元の計算式……自分の記憶を取り戻したくなるわね」


 結衣の言葉に、翼は静かに頷く。

 だが、結衣はそこでふと、別の疑問、あるいは心配が頭をもたげた。


「じゃあ……もし、記憶が戻ったとして。その思い出した『過去の自分』が、今の翼さんとはあまりにかけ離れた、全く違う性格の人間だったらどうするの?」


 今の温厚で優しい彼が、もし過去には全く違う人間だったとしたら。

 結衣の少し意地悪な、でも切実な問いに、翼は「うーん」と首を傾げた。


「……考えた事、なかったですね」


 翼はベンチに背を預け、公園で遊ぶ百合の方をぼんやりと見つめた。


「でも、過去の記憶があろうとなかろうと、俺にとって百合はもう、血の繋がり以上の『家族』みたいなものですから。俺の根本は、きっと変わりませんよ」


 そこまで言って、翼は少しだけ自嘲気味に、ふっと目を伏せた。


「それに……俺が記憶を失ってから、二年間。俺を探すような音沙汰は、どこからも一切ありませんでした」


 誰も、捜索願を出さなかった。誰も、彼を迎えに来なかった。


「……だから、過去の自分には、そういう熱心に探してくれるような友人や家族は、多分いなかったんだと思います。孤独だった過去の俺なら、きっと、今の俺とそう変わらない人間なんじゃないですかね」


 それは、どこか寂しく、残酷な現実に対する彼なりの静かな諦観だった。


「翼さん……」


 結衣は胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じ、何も言えずに自分のペットボトルを強く握りしめた。


「さて、そろそろ行きますか。まだ聞いて回る場所はたくさんありますからね」


 翼は何事もなかったかのように立ち上がり、いつもの優しい笑顔で結衣を振り返る。

 結衣も慌てて立ち上がり、「ええ、そうね」と頷きながら、彼の少しだけ寂しそうな背中を追って、再び冬の街へと歩き出した。

描写不足を感じたため、内容を補足したものを投稿いたしました。

既にお読みいただいた方には二度手間となってしまい申し訳ありません…。

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