表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
箱庭の百合  作者: Kibana
黄昏時に夢をみる
33/43

第三十話 誘拐

 圧倒的な熱量を持つ『百熱の炎』が、夢見ヶ原高校のグラウンドを支配していた凄惨な血の結界と、外界を隔絶していた分厚い薄黒い結界を、文字通り根こそぎ焼き尽くしていく。

 バチバチ、ジュウウウッ、と。

 おびただしい量の血液が蒸発し、焦げた鉄と生肉が混ざり合ったような強烈な悪臭が、爆発的に周囲へ拡散する。

 学校の敷地全体を巨大なドーム状に覆っていた不気味な黒い膜のようなものが、まるで高熱に炙られた飴細工のようにドロドロに溶け落ち、冷たい空気に溶けるようにしてゆっくりと消え去っていった。

 同時に、昨日から学校の敷地内を濃密に包み込んでいた、意識を奪う異常な濃霧も完全に晴れ渡り、狂気の異世界は、元の夢見ヶ原高校のグラウンドの景色へと姿を戻した。

 だが、頭上に現れた空には、すでに太陽の光はなかった。

 結界の中で数々の凄惨な地獄が繰り広げられている間に、現実の時刻はすっかり深い夜へと変わっていたのだ。

 見上げても星一つ見えない。どんよりと重く垂れ込めた分厚い冬の曇り空が、おびただしい量の血の匂いと焼け焦げた魔力の残滓が充満する惨劇のグラウンドを、ひどく冷たく、無機質に見下ろしている。


「……学校の外には、すでに警察が張っている」


 深く被ったフードの奥から、黄色いレインコートの男が低く、しかしよく通る声で周囲に警告を発した。

 男のその言葉を裏付けるように、二重の結界が完全に消滅して外界の音が正常に届くようになった途端。

 遠くの幹線道路から、複数のパトカーのサイレンが『ウウウゥゥゥッ』とけたたましく鳴り響き、こちらへ向かって急速に近づいてくるのがはっきりと聞こえ始めた。

 

「ふぅん……黄衣の王と『ゆらめく炎』が協力してるっていう噂は本当だったんだ。この結界を破壊するなんて……人間一人が出せるとは思えない、物凄い魔力だ。それとも、何か大きな代償でもあるのかな?」


 深田は、不敵な笑みを浮かべるものの、その目には焦りが少しだけ窺える。


「……目障りな横槍が入ったけど、まあいいか。『本来の目的』は、これ以上ないくらい十二分に果たせたし。さっさと御暇おいとまさせてもらおうかな」


 炎の余波で少し焦げた制服の肩口を無造作に払い落としながら、深田はじめは口元にへばりついた余裕の笑みを全く崩すことなく、ズボンのポケットから自身のスマートフォンを取り出した。

 そして、画面を操作し、立ち尽くす翼たちの方へクルリと向けた。


「――っ!?」


 スマートフォンの小さな画面に映し出された映像を見た瞬間。

 翼の心臓が、まるで冷たい氷の杭で深々と貫かれたように、ドクンッ、と嫌な音を立てて早鐘のように跳ね上がった。

 そこに映っていたのは、どこか冷たく暗い、コンクリートの箱のような無機質な部屋。

 その冷たい床の上に、両手を後ろで固く縛られ、目隠しをされた状態で、ぐったりと力なく座り込んでいる小柄な少女――。

 黄花百合の姿だった。


「百合……ッ!」


 翼が血を吐くような悲痛な叫びを上げ、普段の温厚な面影を完全に消し飛ばした、鬼気迫る怒りの形相で深田を睨みつける。

 今朝、家を出た彼女を無事に見つけ出し、アパートに一人で帰したはずの彼女を。この悪魔どもが、あの直後に待ち伏せして攫っていたのだ。


「百合に……その子に指一本でも触れてみろ!!」


 翼が我を忘れて血の泥を踏み越え、深田へ向かって猛然と駆け出そうとする。

 しかし、そんな翼の激しい殺意すらも、深田はじめは涼しい顔で鼻で笑い飛ばした。


「あはは、怖い怖い。でもさ、あんな濃霧の中で、小さな子供が一人で歩くのは危ない事くらい、少し考えれば分からなかったのかい?」


 深田の、底意地の悪い嘲笑が響く。

 スマートフォンの画面の中で、目隠しをされ、冷たいコンクリートのようなの床に縛り付けられている百合の震える小さな肩。

 それを見た瞬間、翼の心臓は後悔という名の鋭利な刃で、ズタズタに切り裂かれた。


(...俺のせいだ……。俺が、あの子を不用意に、一人で家に帰したから……!)


 昨日、河川敷であんな得体の知れない化け物たちに襲われていたというのに。もう一人にしないと約束したのに。

 自分はどうして、あの朝霧の中で「アパートに帰るだけなら安全だ」と信じ込んでしまったのか。いや、そもそも、あの子を不用意に家から出してしまった事自体が大きな間違いだったのだ。そういった自分の認識の甘さ、大人としての思慮の浅さ、昨日に続き今日と自身の愚かさに、強烈な嫌悪感が込み上げてくる。

 自分がもっと警戒していれば。無理にでも一緒に帰っていれば。

 百合を、こんな恐ろしい絶望の中に一人で放り込むことはなかったかもしれないのに。


「返せ……あの子を今すぐ返せエエエッ!」


 後悔と絶望で顔をぐしゃぐしゃに歪ませた翼が、半狂乱になって深田へと飛びかかろうとする。


「おっと。これ以上、君たちと遊んであげる時間はもうないんだ。警察も来ちゃうしね」


 深田は翼の悲痛な叫びを気にも留めず、片手に持った革装丁の本を開き、そこから数本の太く悍ましい『触手』を虚空へと呼び出した。

 触手は翼たちに直接襲いかかることはなく、空中で自ら限界まで不気味に膨張すると、パンッ! という派手な破裂音と共に弾け飛んだ。

 中から噴き出した大量の赤黒い血液が、濃密な血の雨となって四人の頭上から降り注ぎ、視界を完全に奪う強烈な『目眩まし』となった。


「しまっ――!」


 天下崎が咄嗟に顔を庇い、凪も血の雨を避けるために目を固く閉じる。

 翼は構わず突っ込もうとしたが、目に血が入って激しくむせ返り、足元がもつれて泥の中に膝をついてしまった。

 その瞬間。

 彼らの前に立っていた黄色いレインコートの男が、振り返りざまに低い声で告げた。


「すまない、少し熱くなるぞ」


 男が右腕の腕時計の『朱色の宝石』を強く発光させた直後。

 四人の足元から、凄まじい熱量を伴った『炎の渦』が、天を衝くように激しく巻き起こった。


 ゴオオオオオオッ!!


 四人の身体が、圧倒的な熱量と眩い光に完全に飲み込まれる。

 しかし、その激しい炎は彼らの肉体を焼くことは一切なく、ただ周囲に降り注ぐ血の雨をジュウウッと一瞬で蒸発させ、視界を真っ白に染め上げた。


「……ッ! 深田はじめッ!!」


 炎の渦の中に吸い込まれながら、親友の復讐を遂げられなかった凪の悲痛な叫びが虚しくグラウンドに木霊する。

 だがその声は、轟音を立てて燃え盛る炎のゆらめきに、あっけなく掻き消されていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ