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箱庭の百合  作者: Kibana
黄昏時に夢をみる
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第十四話 深きもの③

「狭いですが、ひとまずうちに入りますか?」


 鍵をかけ、ようやく翼のアパートの部屋へと逃げ込んだ四人を待っていたのは、生還の安堵ではなく、鉛のように重い絶望感だった。

 翼の部屋に到着すると、百合は一度目を覚ますものの、極度の恐怖と寒さ、そして精神的な疲労で限界を迎えていたのだろう。すぐに「先に寝てるね」といい、翼の寝室のベッドへと入っていった。

 翼は百合を部屋まで見送った後、ゆっくりとリビングに戻ってくる。ダイニングテーブルには、結衣が淹れた温かいコーヒーが三つ、湯気を立てていた。


「寝たか?」


「ええ、よっぽど怖かったんでしょう、すぐに部屋に行ってしまいました」


 天下崎の問いに翼が静かに頷き、椅子に腰を下ろす。

 深夜の静まり返った部屋の中、コーヒーの黒い水面を見つめながら、三人の間にはしばらく重苦しい沈黙が落ちていた。


「……そもそも、なぜあの化け物たちは、百合を一直線に狙ったんでしょうか」


 ぽつりと、翼が疑問を口にした。


「警察の情報じゃ、海還り――深きものによる『神隠し事件』の被害者は、三十代の男女が中心だったはずだ。なのに、奴らは真っ先に百合を狙った」


「でも、今朝の河川敷で襲われていたのも、若い女子高生よ。そして今夜は、百合ちゃんが……」


 結衣の言葉に、三人の中に不気味な推測が持ち上がる。

 急に奴らの標的が『若い少女』へと変わったのか。それとも、あの異形の集団内で何かしらの変化や、新たな目的が生まれたのか。話し合ってみても、手持ちの情報だけでは到底結論は出なかった。


「……『少女』、か」


 天下崎がその単語を口にした瞬間だった。

 ズキリ、と。脳の奥を鋭い針で深く突き刺されたような強烈な痛みが走り、天下崎は思わずこめかみを強く押さえた。


(なんだ……?)


 痛みに顔を歪めた彼の脳裏に、昨日の夜に見た『悪夢』の光景が、唐突にフラッシュバックする。


 ――光の届かない、息の詰まるような冷たく暗い深海の底。そこに漂う得体の知れない気配。

 その光景と『少女』という言葉が、不吉な線で結びつきそうになった、その時。


「天下崎さん? どうかしましたか?」


「……ッ、ああ、いや。なんでもねえ。少し頭が痛んだだけだ」


 翼の声にハッと我に返り、天下崎は誤魔化すようにコーヒーを一口飲んだ。深海の冷たさは、すでに意識の底へと沈んで消えていた。


「とにかく、奴らの目的が分からない以上、下手に動かすのは危険だ。ひとまず、明日はあの嬢ちゃんを絶対にこの部屋から出さない方針でいこう」


「ええ、そうしましょう」


 翼が同意し、ふうと深く息を吐き出す。


「………あの門屋って奴の言う通りだ。俺たちは、どこかで舐めてたのかもしれない」


 最初に口を開いたのは、天下崎だった。自戒を込めたその低い声に、翼と結衣も痛いところを突かれたように顔を伏せる。

 数日前の路地裏で、初めて深きものと遭遇し戦闘になった時。彼らは六丁目の占い師から『ペンダント』という魔術の防具を譲り受けた。


「あの占い師からペンダントをもらって……いざとなればあれがあるから大丈夫だって、無意識のうちに楽観視してた。今日の河川敷で、いざ実戦になったら、あんなにも何もできなかったのに」


 結衣が悔しそうに唇を噛む。ペンダントという『お守り』に依存し、自分たちの力不足や連携不足から目を背けていた結果が、今日の全滅一歩手前の絶望だったのだ。


「このままじゃ、また危険な状況になった時に対処できない。……門屋の忠告通り、俺たちが持っている『手札』をちゃんと共有しておくべきだ。いざという時に連携して、命を守り抜くためにな」


 天下崎の提案に、翼と結衣も真剣な顔で頷いた。


「じゃあ、まずは俺からだ。俺が使える魔術は……一度路地裏で見たと思うが『触手』だ」


「触手……」


「ああ。空間を歪めて、悍ましい巨大な触手を呼び出す。見た目は最悪だが、敵を拘束したり、力任せに叩き潰したりするのには向いてる。ただ、今日みたいに一気に囲まれると間に合わねえ」


 天下崎の告白に続き、結衣も自身の手のひらを見つめながら口を開いた。


「私が今日使おうとしたのは、『ビヤーキー』という異界の生物を召喚する魔術よ。宇宙の風に乗る生き物で、人を乗せて空を飛んで逃げることもできるはず。……でも、魔術の使用には精神の集中が必要みたいで……昨日は勢いに任せて上手く行ったけど、今日みたいに取り乱しちゃうと、時間がかかっちゃうみたいなの」


 魔術には高い集中力が必要だという点は他二人も同様に感じていた。それよりも翼が気になっていたのは……。


「ビヤーキーって……」


 翼はデパート跡地で聞いた、黄色いレインコートの集団の会話を思い出す。


「偶然か、それとも俺たちの使える魔術はこの町で起きている事に何か関わりがあるのか……」


 天下崎が顎に指を当てるものの、答えは出てこない。


「まあ、それは後にして……俺の魔術は『結界』です」


 最後に翼が、コーヒーカップの縁を指でなぞりながら言った。


「昨日や今日見せた通り、壁を瞬時に構築できます。ただ、まだ壁の形状をコントロールしきれていない。昨日は偶然上手くいきましたが、今日は側面を囲えても、上空や足元を塞ぐ精度が足りていなかった……結衣さんの言う通り魔術には高い集中力が必要みたいですね」


 触手、ビヤーキー、そして結界。

 それぞれが強力な力でありながら、明確な弱点もある。しかし、事前にそれを知っていれば、天下崎の触手で時間を稼いでいる間に結衣が召喚を済ませたり、翼の結界の死角を天下崎が補ったりと、戦い方はいくらでもあったはずなのだ。


「……もしもう一度あのような状況になったら…絶対に百合を守り抜きます。俺の命を懸けて」


 翼の静かだが力強い言葉に、


「俺たち、だろ?」


 と天下崎はニヒルな笑顔で返し、結衣も強く頷く。底知れない闇が蠢くこの街で、三人の胸の中に改めて『命懸けでこの狂気の調査をやり遂げる』という強固な決意が宿った瞬間だった。


「……そういえば、凪くんはどうなったんだろ。昼くらいから連絡がないけど」


 ふと結衣が思い出したように言うと、翼がスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開いた。


「メッセージには一応既読はついていますね。……夜も遅いですし、無事に帰宅して寝ているんだと判断しましょう」


「あいつは、退院したばかりのただの高校生だ。今日の事を知ったら、どう思うか……」


 天下崎が腕を組み、小さく息を吐く。


「明日は、直接あいつと会って話した方がいいかもな。これ以上、この命懸けの調査に巻き込んでもいいのか……あいつ自身に、俺たちと一緒に調査を続ける意思があるかどうかを聞いてみるべきだ」


 その方針に異論はなく、明日の行動目標が決まったことで、長かった今日の反省会はお開きとなった。


「さて、と。俺は家が近いから帰るわ。客人二人も部屋に泊まるのは迷惑だろうしな」

 天下崎がコートを羽織りながら立ち上がると、翼は「そんな事ないですよ。気をつけて帰ってくださいね」と見送った。


「結衣さんはどうしますか? よかったら僕の部屋を貸しますよ」


「………翼さんって天然のね。大丈夫よ?私はこのリビングのソファで寝させてもらうわ。毛布さえあれば十分だから」


 結衣が微笑んで答えると、翼はクローゼットから予備の毛布と枕を取り出し、彼女に手渡した。


「そうですか…風邪ひかないよう気をつけてくださいね。それじゃあ、おやすみなさい。……明日も、気を引き締めていきましょう」


「ええ、おやすみなさい。翼さん」


 天下崎がアパートを去り、静寂が戻った部屋。結衣はソファに横たわり、毛布にくるまりながら、明日へ向けて静かに目を閉じた。

【門屋安蔵】

特殊刑事課の刑事。

見た目は若々しく見えるが、その一方で高い実践経験と冷静さを持っており、杉浦の上司でもある。

特殊刑事課以前どこに居て、何故配属されたのかは誰も知らない。


最後までお読みいただきありがとうございます。もし『面白かった』『続きが気になる』と思っていただけましたら、ページ下部の★マークから評価をいただけると、執筆の大きな励みになります。よろしくお願いします。

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