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箱庭の百合  作者: Kibana
黄昏時に夢をみる
12/42

第十話 団欒?

 夕方。

 虹橋デパートの凄惨な地下フロアから逃げるように地上へ出た四人は、木枯らしが吹きすさぶ都内の道を、足早に歩いていた。

 黄色いレインコートの教団。対立する『海還り』という名の異形。そして、狂信者たちが口にしていた『黄衣の王』という得体の知れない絶対的な存在の影。

 あまりにも重く、おぞましい真実の断片を立て続けに目の当たりにし、四人の間には鉛のように重苦しい沈黙が落ちていた。

 すっかり日の落ちた街のネオンサインや、すれ違う会社員たちの他愛のない笑い声すらも、今の彼らには、薄氷の上に作られた虚構の景色のようにひどく脆く感じられた。


「……お腹空いた」


 ぐ〜〜とお腹を鳴らす百合を見て、周囲の通行人に警戒の視線を配りながら歩いていた天下崎が、マフラーに顔を埋めたまま低い声で口を開いた。


「そうだな…今日はもう遅いし、お開きにしてもいいだろう。どうだ、安いとこなら奢るぞ?」


 その言葉に翼と結衣は目をキラキラさせるが、百合の「外食は飽きたー」という声がすぐにその提案を却下させる。


「そうですね……。俺のアパートでもいいですけど……」


 翼が言い淀み、寒さで小刻みに震え始めた百合の小さな手を、自身の両手で包み込んでさすっていた、その時だった。

 ――ブルルッ。

 結衣のコートのポケットで、スマートフォンが短く震えた。

 結衣が手袋を外して画面を見ると、メッセージアプリの通知が表示されている。送り主は、実の兄である『柊生』からだった。


『今どこにいる? 帰宅したからご飯作り始めるよ! 今夜は結衣の好きなハンバーグ(絵文字)』


 結衣は、楽しげな絵文字が添えられたその画面を見つめたまま、ひどく複雑な表情を浮かべて立ち尽くした。

 昨日、六丁目の路地裏で自分たちを拾い、温かい手料理で介抱してくれたのも彼だった。昔から両親が海外出張で不在がちだった家で、妹である結衣の面倒を親代わりに見続けてくれた、誰よりも優しくて、困っている人を放っておけない自慢の兄なのだ。

 だからこそ。昨日、彼が『海還り』という、警察の機密事項にもなっている化け物の呼称を、まるで当然の知識のように口にしていたという事実が、結衣の胸に冷たく鋭いトゲとなって深く突き刺さっていた。


「……どうした、結衣。誰からだ」


 立ち止まった彼女を不審に思った天下崎に声をかけられ、結衣はハッとして顔を上げた。


「あ、えっと……じゃあ、お兄ちゃんの家はどうかなって思って。丁度今、仕事から帰宅してご飯作るらしいんだけど……」


「柊生さんが? いや、しかし昨日と今日で連日おしかけるのは、さすがにご迷惑じゃ……」


 翼が遠慮がちに口を挟もうとしたが、結衣はスマートフォンを握りしめたまま「大丈夫、お兄ちゃんそういうの気にしないから!」と無理に明るい声を出して彼を遮った。

 そんな中、天下崎はふっと目を細め、無精髭の生えた顎を太い指で撫でた。


「……好都合だ。俺もあの兄貴には聞きたいことがあったからな」


「天下崎さん……」


 結衣の不安げな瞳の揺れを見て、天下崎は短く息を吐き、彼女を安心させるように続けた。


「安心しろ、結衣。お前の家族を、何の確証もなくむやみに疑って責め立てるような真似はしねえよ。それに……」


 天下崎は、寒さで鼻の頭を真っ赤にしている百合を顎でしゃくった。


「このクソ寒い夜風の中、これ以上ガキを連れ回すわけにもいかねえだろ。奢らなくて済むなら、ありがたく甘えさせてもらおうぜ」


 結衣は「ありがとう、今からみんなで帰るね」と手短に返信を打ち、足早に実家へと向かって歩き出した。




 午後六時過ぎ。

 街に完全な夜の帳が下り、冷たい風が吹きすさぶ中。天下崎、翼、結衣、そして百合の四人は、結衣の実の兄である『柊生』の自宅へと辿り着いていた。

 閑静な住宅街の実家。そこからは、すでにすりガラス越しに、オレンジ色の温かな生活の明かりが漏れ出ている。

 インターホンの前に立った結衣は、白く濁る息を大きく一つ吐き出してから、冷たい指先でボタンを押した。

 ガチャリ、と重い玄関の扉が開き、ラフな部屋着の上にエプロンを身につけた柊生が顔を覗かせた。


「ようこそ、昨日の客人さん達。外はもうかなり寒いだろう、早く入りなよ」


 柊生はいつもの、結衣がよく知る柔らかな笑顔で、快く四人を招き入れた。その変わらない出迎えの空気に、結衣は密かに張っていた肩の力をホッと抜いた。

 だが――ふと、翼の分厚いコートの裾を強く掴み、彼の背中に隠れるようにしておずおずと玄関に入ってきた小さな人影、黄花百合の姿を認めた瞬間。

 柊生はピタリと、不自然なほど完全に動きを止めた。

 そして数秒間。ほんの数秒間だけ、まるで予期せぬ異物を目撃したかのような、何かをひどく思い詰めた暗く硬い顔つきを見せたのだ。


「……お兄ちゃん? どうしたの」


 結衣が戸惑いながら声をかけると、柊生はハッとして数回瞬きをし、すぐにいつもの朗らかな笑顔を顔の表面に貼り付けた。


「……ああ、ごめんごめん。てっきり今日は、あの制服の学生君(凪)が来ると思ってたから、大人分の量で料理を作っちゃったなと思って。ああ、天下崎さんか天海さん、その後ろの可愛らしい彼女は、どちらかの連れで?」


「ええ。俺の……親戚の子供です。今日は色々と事情があって、一日預かっていて」


 翼が咄嗟に考えた嘘で誤魔化すと、柊生は「なるほどね」と深く頷き、四人を家の中へと案内した。

 暖房の効いた温かいダイニングルームへと通されると、大きな木製のテーブルの上には、手作りの大ぶりな煮込みハンバーグをはじめとした、豪勢な料理がずらりと並べられていた。

 湯気とともに、甘く香ばしいデミグラスソースと肉汁の匂いが部屋中に漂っており、彼が純粋に客人をもてなそうと腕を振るってくれたことは痛いほど伝わってくる。

 結衣や翼の強張っていた胃袋が、その家庭的な匂いに誘われて小さく鳴った。

 しかし、天下崎と翼が勧められるままに席に着く中、百合だけは翼のそばから一歩も離れようとせず、柊生から頑なに視線を逸らし続けていた。


「ごめんね。生憎、小さな子供用の席はウチには用意してないんだ」


 柊生は困ったように優しく眉を下げ、百合と同じ目線になるようにゆっくりとしゃがみ込んで、甘い声で話しかけた。


「嬢ちゃんは、リビングの低いテーブルで、俺と一緒にテレビでも見ながら食べるかい?」


 しかし、百合はその言葉を聞き終わる前に、結衣と翼の間にさらに深く身を隠し、翼のコートの生地をギュッと強く握りしめた。


「……私、お腹すいてない」


 不機嫌そうに、そして明らかに、目の前で微笑んでいる柊生という存在そのものを『嫌っている』ような声だった。

「おいおい、せっかくの美味しそうなハンバーグだぜ? 子供は好きだろ」


「お兄ちゃん、ごめんね。この子、今日は一日中外を歩き回って、すごく疲れちゃってるみたいだから……無理に食べさせなくていいわ」


 結衣が百合の頭を優しく撫でながら、天下崎と共に慌ててフォローを入れる。


(どうして……? 百合ちゃん、初対面の時はあんなに厳つくて強面な天下崎さんにすら、自分から懐いていってたのに)


「……わかった、わかったよ。俺、子供に嫌われる顔してるのかな………せめて温かいお茶くらいは淹れるから、ゆっくりしていってくれ」


 柊生は両手を上げて降参のポーズをとり、呆れたように優しくため息をついてキッチンへと向かった。

 ダイニングテーブルには、湯気を立てる美味しそうな手料理が並んでいる。

 柊生がキッチンから急須に温かいお茶を淹れて戻ってくると、百合はプイッとあからさまに顔を背け、翼の膝に顔を埋めてしまった。


「はは……まあ、後でお腹が空いたら遠慮なく言ってくれよ」


 柊生は苦笑いを浮かべて自分の席につき、翼たちに食事を勧めた。

 和やかな食卓の空気を装いつつも、深く静かに探りを入れるタイミングを窺っていた天下崎が、肉厚なハンバーグを一口飲み込んでから、さりげなく、しかし眼光を鋭くして会話を切り出した。


「柊生さんよ。美味い飯の途中で悪いが、少しあんたに聞きたいことがあってな」


「ん? なんだい、ええっと……天下崎さん」


「実は、俺の昔の同僚の家族が一人、最近になって突然『失踪』しててな。俺のオカルト好きのダチが言うには、ただの家出や普通の事件じゃないって噂だ。……昨日、あんたが口にしてた『海還り』って名前の都市伝説も、何かこれに関係してるんじゃないかって、探偵として色々調べてるんだがね」


 天下崎が、相手のわずかな表情の変化も見逃すまいと探るように問いかけると。

 柊生は箸を止め、少しだけ困ったように眉を下げた。


「ああ……あれか。昨日も言ったけど、俺もオカルト好きの同僚から噂話として聞いた事があるってだけだからさ。実際に俺がそういうのに出会ったわけじゃないし、あんまり詳しくは知らないんだ」


「……本当に?」


「ああ。ただ、今日の朝にやってた河川敷の女子高生の襲撃事件もあるし……人気のない場所や夜道は、くれぐれも皆で気をつけたほうがいいかもね」


 柊生はそう言って、妹たちを諭すように優しく微笑み、再びハンバーグに箸を伸ばしながら話を続けた。


「それにしても……失踪事件、か」


「お兄ちゃんも、そのことについて何か知ってるの?」


 結衣が恐る恐る尋ねると、柊生は静かに肩をすくめた。


「俺の会社の同僚にも、行方不明になった親族がいてね。あんまりニュースとかでは公になっていないけど、この街から人が消えてることを知っている人は、水面下では割といると思うよ。噂だと宇宙人の仕業だとか、怪しい宗教団体の勧誘に騙されたとか言われてるけど……」


 柊生はそこまで口にすると、スッと――ほんの一瞬だけ、その顔つきを険しくさせた。


「もし、この一連の不可解な事件に『黒幕』みたいなもんがいるなら……一体、何を目的にこんな非道な事をしてるんだろうな」


 その瞬間だった。

 グラスの麦茶を飲もうとしていた天下崎の動きが、ピタリと氷結したように止まった。

 天下崎は、テーブル越しに柊生と目が合ったその刹那、全身の毛穴が粟立ち、背筋に強烈な氷柱を突き立てられたようなすさまじい悪寒を感じた。

 ほんのコンマ数秒。柊生の瞳から『人の良い兄』としての温かい光が完全に消え失せ、深海の底よりも冷たく、人間的な感情の一切が欠落した絶対的な虚無の視線で、天下崎のことをジロリと射抜いてきたのだ。

 だが、瞬きをした時には、柊生はすでにいつもの穏やかな兄の顔に戻っていた。


(気のせいか…?)


 天下崎が息を呑んで沈黙したことで、食卓の会話が一瞬だけ不自然に途切れた。

 すると、柊生はふと何かを思い出したように、今度は実の妹である結衣の方へと顔を向けた。


「そういえば、結衣。……お前、最近は『記憶が飛んだり』『意識が不意に途切れる』ようなこと、なかったか?」


「え……?」


 あまりにも唐突な質問に、結衣は心臓を鷲掴みにされたように息を呑んで固まった。


「いや、健康な俺が言えたもんじゃないんだが。お前も昔からそれなりに病弱で貧血気味なんだから、気をつけろよって思ってさ」


 柊生は屈託のない、いつもの優しい兄の笑顔でそう付け足した。

 ただの妹の体調を気遣う言葉。結衣は確かに小さい頃から貧血で倒れやすかったが、ここ数年は完全に落ち着いている。

 昨日、あの悪夢の話を彼に少しだけ伝えたせいだろうか。だからこそ、そんな昔の話を引っ張り出してまで、兄はわざわざ自分を心配してくれているのだろう。

 結衣はそう無理やりに解釈し、こわばっていた肩の力を抜いてほっと息をつく。

 少し重くなりかけた食卓の空気を変えようと、翼がふと周囲の部屋を見渡して口を開いた。


「そういえば柊生さん、ここは都内にしては随分と立派な一軒家ですよね。この二階はどうなっているんですか?」


「ああ、ここは元々俺たちの実家でね。両親がずっと海外出張に行ってて、今は俺が管理しながら住んでるんだ。二階には俺の寝室と、両親の部屋があるよ」


 柊生はハンバーグの最後の一口を飲み込み、お茶で流し込みながら答えた。


「俺の部屋は、仕事の資料とかも置いてあるし、よく客人が来るから常に鍵を掛ける癖がついちゃっててさ。天下崎さんが探っても、やましく思うような物は何も見つからないと思うぞ。……もう一つの部屋は、海外にいる父さんや母さんが一時帰国した時にいつでも使えるように、そのままにしてあるんだけどな」


 両親の話題が出たことで、結衣は少しだけ表情を曇らせ、視線を落とした。


「結局、二人ともあっちの仕事が忙しいみたいでまだ一回も帰ってきてないから、実質使ってない空き部屋みたいなもんなんだ」


 柊生は少し寂しそうに笑い、肩をすくめた。


「そうだったんですね……すみません、立ち入ったことを聞いてしまって」


 翼は他の家の複雑な事情に踏み込みすぎたと、自身の軽率な質問を深く反省した。

 やがて夕食も終わり、時計の針はすっかり夜の深い時間帯を指していた。


「そろそろ外も暗いし、帰った方がいいんじゃないか? 風も随分冷え込んできたし……なんだったらまた、俺が車で送るよ。結衣。お前は今日もここに泊まっていくかい?」


 柊生が妹の帰り道を気遣って提案した、その時だった。


「ううん、私達、歩いて帰るから大丈夫。……だよね? 翼」


 食事中ずっと不機嫌そうに黙り込んでいた百合が、反射的に顔を上げ、翼と天下崎のコートの袖を必死に強く引いた。


「ごめんね、お兄ちゃん。私も今日は、翼さんの家に泊まらせてもらうから」


 結衣が百合の意を汲みつつそう告げると、柊生は心底意外そうに目を丸くした。


「え? 天海さんの家に? ……天海さん、うちの妹が家にいきなり押しかけてもいいのかい?」


「ええ!? まあ……百合もいますし、俺は別に構いませんが」


 翼が少し戸惑いながらも了承して頷くと、結衣はホッと深く息を吐いた。


(ごめんね、お兄ちゃん……。昨日は甘えちゃったけど、やっぱりもし私がここに泊まって、お兄ちゃんまで教団や化け物の危険な事態に巻き込むことになったら、絶対に嫌だもの)


 それが、結衣の偽らざる本音だった。大好きな家族を、自分の悪夢やこれ以上の危険な事情に巻き込みたくなかったのだ。


「昨日も家まで送ってもらったばかりで申し訳ないし、これ以上甘えるわけにはいかないわ。私達は徒歩で帰るから」


「……そうだな。美味い飯もごちそうになったし、俺たちはお暇させてもらう」


 結衣の言葉に合わせるように天下崎も立ち上がり、厚手のコートの襟を立てた。


「そっか。まあ、皆で固まって帰るなら大丈夫だとは思うけど……」


 柊生は少し残念そうに目を伏せた後、玄関まで四人を見送りに来た。

 ガチャリと重い扉が開き、冷たい木枯らしが玄関に吹き込んでくる。外の暗闇へと歩み出ようとする天下崎たちの背中に向けて、柊生は静かに、ひどく落ち着いた声で声をかけた。


「じゃあ、また今度。……くれぐれも、夜道には気をつけて」


「ああ、気をつけるさ」


 天下崎は振り返らずに短く返し、四人は柊生の家を後にした。

 温かな明かりの灯る家から、底冷えのする冷たい夜の闇の中へ。四人は静かな夜道を歩き出した。

【魔道具】

魔術を扱う為の道具であり、冒涜的な魔術が封じられている道具。

本来人の身に有り余る為、使った者は正気を失うか、精神汚染に耐えきれずに死亡してしまう。

適正者、或いは封じられた魔術に由縁のある人物のみが魔道具を扱う事ができる。


最後までお読みいただきありがとうございます。もし『面白かった』『続きが気になる』と思っていただけましたら、ページ下部の★マークから評価をいただけると、執筆の大きな励みになります。よろしくお願いします。

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