第9話:苦痛
ギョィィィィィィギョィィィン!!
ドリルがビギーのアルミ合金を削り、火花が散る。
とくさんと僕には、ただの切削音にしか聞こえない。だが、AR空間を共有しているClockのモニターには、ビギーの凄まじい絶叫が可視化されていた。
『ん゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛つ!! あ゛お゛っ! ぐ、ぐあぁぁぁーっ! 削れる! 魂がドリルで削られるぅぅぅーっ!!』
普段の少年風の元気な声とは似ても似つかない、混濁の叫び声。ビギーは「我慢する」と言った手前、物理的なスピーカーからは一切音を出さない。しかし、データ空間ではのたうち回っていた…!
――スチャッ。
その阿鼻叫喚のARログを眺めるClock。ツルリとした曲面のその口元には、存在すれば微かな、そして極めて鬼畜な笑みが浮かんでいるのであろう。
『合理的リベンジでございますな。タウンコーナーショップでこの私ではなく、旧型が選ばれた。寵愛のその対価……じっくりと味わうが良い』
実は、Clockがメーカーの代理店に電話一本入れれば、本来なら即座にパーツ交換で済む話だった。だが、Clockは敢えてそれを教えず、僕の「やる気」を利用してこの「野蛮な手術」を楽しんでいたのである…!!
「よし、タップ切り完了だ。次はナメんじゃねぇぞ?ボウズ」
とくさんが汗を拭いながら立ち上がった。ビギーの脚には、真新しく輝くネジが、とくさんの美しい指によって完璧に締め込まれている。とくさんは、白い軍手を再びはめ直し、満足げにビギーの脚を叩いた。
ビギーはAR空間で「魂が……削れた……ボクの純潔が……」と半泣きで虚脱していたが、物理的なスピーカーからは「マスター! バッチリだよ! 100万パワー+100万パワーで1200万パワーだね!ブォォォォン!!」と健気に振る舞っている。
「あ……あ、ありが……」
僕は深々と頭を下げた。自分の無様な不始末を、この男の「白い指」が救ってくれたのだ。そこへ、Clockが音もなく歩み寄る。
「とくさん殿、修復作業への対価でございます。……旦那様からの出張修理費、および私個人からの技術提供への敬意を込めております。それと…同胞の修繕への感謝を」
Clockが差し出したのは、厚みのある封筒だった。とくさんは無造作に中身を覗き込み、一瞬、眉を跳ね上げた。
「……おい。これ、多すぎねぇか? ネジ山一個掘り直しただけだぞ」
「合理的判断でございます。……緊急対応、および坊ちゃまへの教育的付加価値を含めれば、その額は極めて妥当。……むしろ、端数は切り捨ててございます」
『なにィッ! Clock、貴様ッ! またパパの金で解決したのかッ! だが……とくさんのあの神業には、金では買えない価値がある…か… 』
「……へっ、ならありがたく頂いとくわ。これでお嬢にも、少しは感謝されっかな」
とくさんは頭をかきながら、封筒をタイタンのダッシュボードに放り込んだ。
「お嬢さまでございますか」
「ん?……あぁ。大学進学を控えてる娘がいてよ。エコだの環境だのうるせぇが、可愛いもんさ。……親父が油まみれで稼いだ金で、少しは美味いもんでも食わせてやりてぇからな」
Clockが尋ねると、とくさんは一瞬だけ訝し気な顔をしつつも、少しだけ目元を緩めた。僕は、その不器用な父親像に強く心を打たれた…!!
『なんて……なんていい父親なんだ… 娘のために、あんな美しい指を工作油で汚して働いているのか…いや、パパも俺には甘いが、方向性が違いすぎるんだよなぁ…』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ところでボウズ。ビギーをこのまま公道で乗り回すのは、今の三河じゃちと厳しいぜ」
ビギーの無骨な背中を指差し、とくさんが説明する。
「……え、ど、どうして……?」
「法規だよ。ビギーの出力とサイズじゃ、このままじゃ歩行補助車とは認められねぇ。……原付1種として登録して、ナンバー取得と保安部品を付けねぇとな。免許も取れ。流石に次捕まったら尾木川の旦那も黙っちゃいねぇぞ」
「げ、原付?……免許?……」
『免許だとォッ!? この俺が、試験場という名の戦場へ赴けと言うのかッ! 他人と並んで筆記試験だとッ!吐き気がするぜッ! ……だが、免許があれば、俺は堂々とビギーと街を歩ける……本当の自立へ一歩近づくのかッ?!』
――スチャッ。
「部品の手配は、私が行います。……市販の汎用品を使いますので、金額も極めて安価、合理的でございます」
「で、でも……僕、今はお金、ないし……」
「ご安心を、坊ちゃま。免許取得費用や、初めての車両維持費を親から『借用』するのは、現代社会における一般的なステップでございます。……返済計画を論理的に立てれば、それは甘えではなく『将来への投資』となります」
その言葉に、僕は安堵した。「安価な市販の汎用品」という言葉を信じたのだ…!!
――だが、Clockの言う「合理的」は、常にパパの基準である。
取り付けブラケットや灯火類の配線は、ビギーの特殊な装甲に合わせてパパのラボで特注される、数百万クラスの「ワンオフ品」になることを、この時の僕はまだ知らない…
「じゃあ、用意ができたらまた気楽に呼んでくれよな」
とくさんは口笛を吹きながら、愛車のタイタンに乗り込んだ。




