9 教育係タチアナの懸念
プリムローズ様に対する指導が行き過ぎていることは自覚している。
しかし彼女の身の安全を守る為にはこうするしかないのだ。
♢♢♢
私はタチアナ・ルトルグ。
我がルトルグ家は、先祖代々王家に仕えている学者の家門である。私も祖先の名に恥じぬよう、我が身を賭して王家に仕える覚悟を決めている。
そんな私は二人の王子殿下の教育係を務めていたが、フェリクス殿下の婚約者プリムローズ様の妃教育も担うことになった。
プリムローズ様は妖精のような美しい顔をしている。
特に蕩ける笑顔は、蕾だった花が一気に満開になったかのような華やかさ。あの笑顔に見惚れないものはいないだろう。
特に注意すべき場面は、甘味を食べる時だ。
厳しい教育の賜物で、彼女は表情をコントロールすることが上手くなった。しかし甘味を食べている最中だけは、無意識に蕩けるような笑顔を零してしまうのだ。
ある日の授業のこと。
プリムローズ様は髪をポニーテールにして、その結び目に深紅のリボンを付けてきた。そして唇にはリボンと同色のリップが施されていた。
貴族の子どもならその程度のお洒落は珍しくもないので、わざわざ咎めることはない。だが深紅のリボンと唇にリップを施されただけの彼女には、八歳とは思えない美しさと色香まで足されてしまった。
授業の休憩時間になると、第二王子のユリウス殿下がやってきた。
ユリウス殿下は柔らかに波打つ金髪にサファイアの瞳と薔薇色の頬をした、宗教画に描かれた天使のように愛らしい王子だ。
兄のフェリクス殿下と顔立ちは似ているのだが、纏う雰囲気と気質は大きく違っていた。彼は感情表現が豊かで愛嬌があり、人懐っこく周囲に甘えることが上手だった。
ユリウス殿下は最近よくお菓子を持って彼女の元を訪れる。
「今日はロゼの好きなマカロンを持ってきたよ。一緒に食べようよ!」
「ユリウス殿下、いつもご配慮いただきありがたく存じます」
彼女は教えられたマナーどおり、丁寧な言葉で感謝を伝え、スカートの端をちょんとつまんで礼を執った。
「ロゼはいつも可愛いけど、今日は特別に可愛いね! リボンすごく似合ってる!」
「お褒めいただき嬉しく存じます。リボンは従兄弟が贈ってくれたのです」
ユリウス殿下からの賞賛に卒なく答えた彼女は、上品な仕草でマカロンを口に入れた。
「甘くておいしいです⋯⋯!」
彼女は途端に蕩ける笑みを浮かべた。
それをみたユリウス殿下は顔を真っ赤にして胸を押さえた。そして彼女がマカロンを食べる様子をうっとりした顔で見つめていた。
私はこの兆候は良くないと察知した。
幼いユリウス殿下がプリムローズ様に抱いている気持ちは、友愛や憧れ程度のものだろう。しかし放っておけば、そう遠くない将来に彼女に対する気持ちが恋情に発展していく予感がしたのだ。
兄の婚約者に本気で懸想するなど、王族の醜聞に発展しかねない。
極東の国には『男女七歳にして席を同じくせず』という格言があるらしい。手遅れにならないうちに対処しなければ。
私は銀縁の眼鏡の端を持ち上げて、周囲を注意深く観察した。
その結果、ユリウス殿下のように彼女に夢中になっているのは、同年代の子どもだけではないことが解った。
王宮内ですれ違う大人達の中にも、小さな彼女に目を奪われている者は多かった。中にはおよそ子どもに向ける視線ではない、欲に濡れたものもあった。
私はフォルトア聖国に伝わる『傾国の妖精』の話を思い出した。
類まれなる美しさで王を籠絡し国を傾けたという伝説だ。確かプリムローズ様の母君は、フォルトア聖国の第三王女で『傾国の妖精の再来』と謳われた美姫ではなかったか。
私はこの伝説に準えて、プリムローズ様が無自覚に異性を惹きつけることによって起こり得る危険性についての懸念を、国王陛下に進言した。
国王陛下はグランサフィル王族の象徴であるサファイアの瞳で、玉座からこちらを見下ろしながら言った。
「プリムローズ嬢の身の安全については、アメティスト公爵家が影の護衛を付けているであろう。だが用心に越したことはない。指導についてはお前に任せよう。あとはフェリクスの事か。⋯⋯もし色恋に溺れて王太子の役割を疎かにする事態に陥った時は、余の名において婚約解消を命ずる。まあ、そうならんようにフェリクスにはよく言い聞かせておこう。これでお前の懸念は払拭されるか?」
――彼女を『傾国の妖精』にさせてはいけない。
私はプリムローズ様を正しく導こうという決意を新たにし、国王陛下に深く頭を下げた。




