3 第一王子フェリクスの婚約者選び
ああ、顔がひきつりそうだ!
自分の婚約者を決める茶会で、僕はひたすら笑顔を貼り付けていた。
次々と寄ってくる令嬢とその親たちに、今日来てくれたことに対する礼と、令嬢を褒める言葉を発していく。
八歳にして社交辞令というものを使いこなし、どんな時も穏やかな笑顔の仮面を被ることができるようになった。
僕は幼い頃から王族として感情を表に出さず、常に冷静に物事に向き合う術を学んできた。
(王家に生まれた以上、僕個人の感情なんて邪魔なだけだ)
今日の茶会には、僕と釣り合う年齢の高位貴族の令嬢が招かれている。
「誰を選んでも良い、お前が一番気に入った者を選べ」
父である国王から事前にそう伝えられていた。
僕はてっきり政略で婚姻を結ぶのだと思っていたので、父上の提案は意外に思えた。
でも、どの令嬢も同じに見える⋯⋯
令嬢達は皆、宝石やリボンがゴテゴテとついた派手な色合いのドレスを着て、ぐるぐると巻かれた髪にもたくさんの飾りをつけている。
人の顔の美醜にもあまり興味がないので、誰を選べばいいのかさっぱりわからない。
特に気になる令嬢もいないし、一番高い身分の令嬢にしておけば問題ないだろう。
ああでもアメティス公爵家の令嬢は選んではいけないんだ。ルシアンが妹は絶対に選ばないで、と言っていたからね。
三大公爵家のうち、同年代の令嬢がいるのはアメティス家だけだ。だとしたら、次に身分が高いグラナタス侯爵家か。派閥の均衡から見ても妥当な選択だろう。
見たものを絵のようにそのまま記憶することができる僕は、頭の中で貴族名鑑の頁をめくる。
僕は婚約者が誰に決まっても文句は言わないから、父上が決めて下さればいいのに。
笑顔を貼り付けることにそろそろ限界を感じた僕は、少しの間だけ席を外すことにした。
傍に控えている侍従に「すぐ戻る」と伝え、会場の死角になっている場所へ向かう。
誰もいないはずのその場所には先客がいた。
まさか⋯⋯妖精か?
そこにいたのは、水色のドレスを纏い、ピンクブロンドの柔らかそうな髪を揺らした少女だった。
花に囲まれたその少女は、まるで絵本に出てくる花の妖精のようだった。
その雰囲気は会場にいる、いや今まで出会ったどの令嬢とも違っていた。
その少女がなんだか気になった僕は、離れた場所から様子を伺っていた。
少女はおもむろに屈んで赤い花を一つ摘み取り、それを唇にあてた。
「ほんとに甘いわ!」
そう言って、少女は蕩けるような笑顔になった。今まで蕾だった花が一気に満開になったかのように。
「⋯⋯!」
その笑顔を見た瞬間、僕の心臓の鼓動がまるで全力疾走したかのように早鐘を打ち始めた。心臓が壊れてしまったのかと本気で思ったくらいだ。
僕は深呼吸して(落ち着け落ち着け)と心の中で呪文のように唱えた。
僕は吸い寄せられるように彼女に近づき、気づいたら話しかけていた。
「何が甘いの?」
少女は突然話しかけられてびっくりしたのか、大きな瞳を見開いたまま固まっていた。
「え? 王子⋯⋯様?」
僕が王子だということは一応知っているらしい。
僕は王子教育で培った術で冷静な表情を作り、少女の横に屈んで顔を覗きこんだ。
少女はエメラルドのように輝く大きな瞳をしていた。
その人形のように整った顔に、徐々に赤みが差していく。
ゆるく波打ったピンクブロンドの髪が、風に吹かれてさらさらと揺れて少女の頬を撫でている。
僕の心臓は再び早鐘を打ち始めた。
僕は呪文のように、心の中でまた(落ち着け落ち着け)という言葉を繰り返した。
この少女の傍にいると、なぜか心臓がおかしくなる。近くにいたら危険かもしれないな。
すぐにこの場所を離れなくては、と頭では思うのに、僕の体は少女の傍から動けないでいた。
「花を食べているの?」
「いえっ、あの、この花の蜜はとっても甘いって図鑑に書いてあったから。その⋯⋯本当に甘いのか確かめていたのです⋯⋯」
少女は林檎みたいに真っ赤になって答えた。そして今度は俯いてしまった。
もっと顔を見ていたいな。こっちを向いてくれないかな。
真似して花の蜜を吸ってみる。
侍従に見つかったら窘められる行為だろう。
だけど今は、少女と同じ体験をして興味を引きたかった。
「本当に甘いんだね」
僕がそう言うと、少女は驚いて顔を上げた。
大きなエメラルドの瞳を溢れんばかりに見開いて、僕を見ている。
「え! そのようなものを口にして大丈夫ですか? 叱られたりしませんか?!」
少女は慌ててそう言ってきた。
そんな様子の彼女が可愛くて、そして僕の方を見てくれたことが嬉しくて、思わず声を出して笑った。
(こんな風に笑うのは久しぶりだな)
「君が秘密にしてくれたら叱られないよ。ふたりだけの秘密にしてくれる?」
少女はまた林檎みたいに頬を真っ赤に染めて、コクコクと頷いた。
ふたりだけの秘密だなんて、ずいぶんとロマンチックなことを言った自分にびっくりした。
この少女ともっと話してみたい。もっと仲良くなりたい。もっと笑った顔が見たい。もっと一緒にいたい。
僕の中に、今まで感じたことのないような不思議な感情が次々と生まれた。
その後すぐに侍従が呼びに来たから、少女の名前も聞かないまま別れてしまった。
貴族名鑑には現当主の絵姿しか載っていないから、彼女が誰だかわからない。
僕はこっそり侍従に尋ねた。
「さっきの水色のドレスの令嬢の名前は?」
侍従は黒縁の眼鏡を中指で押し上げて、口元をわずかに緩めながら答えた。
「先程のご令嬢は、アメティスト公爵のご長女プリムローズ様でございます」
プリムローズ・アメティスト。
絶対に選ばないで、と頼まれた、友人の妹の名前。
僕はなぜか胸がつきりと痛んだ。




