2 お茶会と王子様
ここは大陸の中央に位置するグランサフィル王国。
私、アメティスト公爵家の長女プリムローズが、この国の第一王子フェリクス殿下と婚約を結んだのは八歳。今から十年前のことだ。
その日は上位貴族の令嬢が王宮の茶会に招かれた。
父曰く、第一王子の婚約者選びを目的とした茶会らしい。
公爵家の子女で、第一王子と釣り合う年齢の私にも、当然その招待状は届いた。
娘の将来が決まるかもしれない大事な茶会なので、多くの令嬢は両親に付き添われていたが、私は父と二人で参加した。
私の母は一年前に永い眠りについた。それについて詳しいことは何も知らされていない。尋ねたいことはたくさんあったが、ロゼが大人になったら教えるから、と言う父の言葉を信じて、その時が来るまで待つことにした。
茶会の会場となったのは、王宮の庭園だった。
アメティスト公爵家の庭園も素晴らしいが、さすが大陸一と謳われる王宮の庭園は圧巻だった。
私はお行儀が悪く見えないよう、こっそり目だけを動かして辺りを見回した。
そこには鮮やかな緑の芝生が広がり、花壇には大輪の薔薇が咲き誇っていた。大きな噴水の中央には女神の彫刻がそびえ立ち、噴き出た水の周りには虹がかかっている。
(こんなに近くで虹を見たのは初めてだわ!)
庭園に設けられたテーブルには真っ白なクロスが掛けられ、その上には美しい花と菓子が芸術品のように陳列されている。
(宝石みたいにきれいなケーキ!)
招かれた貴族達の気合の入れようは凄まじかった。
この日のためにオーダーした華やかなドレスを着て、きらきらした髪飾りをつけた愛らしい令嬢達と、その傍らには我が娘こそが最上と言わんばかりの顔をした紳士淑女。
あまり屋敷から出たことがなかった私は、絢爛な貴族の集団に圧倒されて固まってしまった。
今日はお気に入りの水色のドレスを着ていたが、生地と同色の刺繍が施されただけの、周りの令嬢と比べると随分地味なものだった。
その上、背中の真ん中まで伸びたピンクブロンドの髪は、サイドだけ編んで白いリボンを一つ付けただけ。
近くにいた令嬢に上から下までじろじろと見られ、私はなんだか居た堪れない気持ちになった。
そもそもこうなったのは父のせいである。
父は侍女たちに「今日の茶会の装いは気合いを入れなくていい。むしろ目立たないよう控えめに仕上げてくれ」と指示していた。
今思えば、自分の娘が王子の目に留まることがないように画策したのだろう。宮廷に勤めている父だからこそ、胸中に秘めた思いがあったのかもしれない。
でもその時の私は、なんでもっと華やかな格好をさせてくれなかったのか、と父に対して恨めしい気持ちになっていた。
第一王子のフェリクス殿下は、とても美しい王子だった。
輝く黄金の髪がそよ風にさらさらと揺られ、澄んだ海のようなサファイアの瞳は太陽の下で煌めいている。そして理知的で甘やかな雰囲気の美しく整った顔立ち。
フェリクス殿下は爽やかな笑みを浮かべて、途切れなくやってくる令嬢たちの挨拶に応じている。
令嬢達は美しい王子様に皆夢中なようで、顔を紅潮させながら積極的に話しかけていた。
その時の私は、自分だけが地味でつまらない子のように思えて、殿下に挨拶に行くのが急に恥ずかしくなった。
そこで私は、貴婦人達に囲まれて身動きが取れないでいる父に「化粧室に行ってきます」とだけ伝え、その場を離れた。
あまり遠くに行くと迷子になるし、戻るのが遅くなれば父が心配するだろうと考えた私は、会場から死角になっている、ほど近い場所にあるベンチに腰かけた。
フェリクス殿下、絵本に出てくる王子様みたいに素敵だったな。私もお話ししてみたい。ああでも、こんな格好じゃ恥ずかしいから、やっぱり遠くから見るだけでいいわ。
「はあ⋯⋯」
あれこれ考えて溜息をついた。
ふと足元に鮮やかな花が咲いているのが目に留まった。
「この赤い花、図鑑にのっていた花だわ! ええと名前は何だったかしら。確か蜜がとても甘いって書いてあった」
公爵家の図書室にある『なんでも図鑑シリーズ』に夢中になっている私は、今『なんでも図鑑2草花』を読み始めたところだ。
吸い寄せられるように赤い花の傍に屈みこんだ。花をちぎり花弁の根元にそっと唇をあてる。そしてちゅっと吸ってみると甘い蜜が口の中にじんわりと広がった。
「ほんとに甘いわ!」
なんだか自分が世紀の大発見をしたようで、興奮した私は大きな声を出してしまった。
「何が甘いの?」
突然、近くから声がした。
まさか人がいるとは思わず、びくっと震えた私はおずおずと声がした方向を見た。
そこには、会場で令嬢達に囲まれていたはずのフェリクス殿下が立っていた。
「え? 王子⋯⋯様?」
驚きで言葉に詰まった私に、フェリクス殿下はずんずんと近づいてきた。そして私の横に屈んで、顔を覗き込んできた。
さらさらした黄金の前髪から覗くサファイアの瞳が、宝石のように煌めいている。
(すごくきれいな瞳⋯⋯)
「花を食べているの?」
私の顔と赤い花を交互に見比べた彼は、不思議そうに真顔で尋ねてきた。
フェリクス殿下にぼうっと見惚れていた私は、その言葉にはっと我に返った。
「いえっ、あの、この花の蜜はとっても甘いって図鑑に書いてあったから。その⋯⋯本当に甘いのか確かめていたのです⋯⋯」
必死に説明したが、だんだん声が小さくなっていく。
あろうことか、貴族の令嬢が花の蜜を吸っているところを見られてしまったのだ。
きっとはしたない娘だと思われたに違いない。
そう思ったら泣きそうになって、フェリクス殿下の顔を見ることができなくなった。
俯いてじっとしている私の横でフェリクス殿下が言った。
「本当に甘いんだね」
驚いて横を見ると、フェリクス殿下はその形のよい唇を花の根元に押し当てていた。
「え! そのようなものを口にして大丈夫ですか? 叱られたりしませんか?!」
高貴な王子様を悪い遊びに誘ってしまったような罪悪感に駆られ、私は慌てて声をかけた。
フェリクス殿下は朗らかな笑い声をあげた。
茶会で令嬢達に見せていた笑顔とは違う、同じ年頃の少年らしい眩しい笑顔だった。
王子様もこんな風に笑うんだと思ったら、なぜか胸がトクトクと高鳴った。
「君が秘密にしてくれたら叱られないよ。ふたりだけの秘密にしてくれる?」
そう言っていたずらっぽく笑うフェリクス殿下が眩しくて、思わず目を伏せた。
そして私は鳴り止まない胸を押さえて、真っ赤になってコクコクと頷いた。




