12 王太子フェリクスと兎
最近、学園でロゼを見かけなくなった。どうやら私は避けられているようだ。
◇◇◇
聖女の奔放な振る舞いを、最初は多めに見ていた。だが市井で育ったから、という理由で見過ごすにはあまりにも度を超えている。
頻繁に私の腕に絡みついてくるので、その度に引き剥がし嗜める。その時はしおらしく謝ってくるが、気づけば同じことを繰り返している。
父上に聖女の目付け役を頼まれているので、邪険にすることもできない。
「聖女殿は貴族社会にも学園にも不慣れだから、しばらく面倒を見てやれ」とは表向きの指示で、実はもう一つの役割を与えられているからだ。
私がこの役割を放棄すると、父上はロゼとの婚約をすぐにでも反故にするだろう。
以前父上と交わしたのだ。「私がロゼに溺れ、王太子の役割を疎かにした時は婚約解消を受け入れる」という約束を。
ロゼは私と聖女との距離が近いことを問題視し、私に訴えてきた。
ロゼが安心してくれるように説明したつもりだったが、彼女は私を最近避けている。説明が足りなかったのかもしれない。
その上、私が聖女と婚約を結ぶのではないかという噂まで、最近巷で流れ始めた。十中八九、聖女を王太子妃の座に据えたい教会派の仕業だろう。
今までもアメティスト家に力が集中するのを良しとしない家門や教会派が、暗に聖女との結婚を勧めてくることはあった。その度に一蹴していたのだが、今度は外堀を埋める策に出たのだろう。
ロゼを不安にさせているかもしれない。もう一度きちんと説明しなければ。今日の生徒会の仕事が終わったら、無礼を承知でアメティスト公爵家を直接訪れよう。
(噂はでたらめだ。私を信じて待っていて欲しい)
ああ、ロゼに会いたくてたまらない。
♢♢♢
放課後。私とアルフと聖女の三人は生徒会室に残って資料の整理をしていた。
空に暗雲が垂れ込めて、遠雷が聞こえてくる。
一雨きそうだな。早く作業を終わらせてロゼに会いに行こう。
窓の外に気を取られていると、聖女が上機嫌で私の隣を陣取った。
「フェリクス様、王都で最近流行っているカフェがあるんですって! 個室もあるからお忍びにぴったりですよね。今日このあと二人で行きませんか?」
聖女が空色の瞳を潤ませながら、上目使いに見てくる。
「今日は予定があるからごめんね。ガスタイン伯爵令嬢が行きたいなら、今度生徒会メンバーで行くのはどう? 婚約者のいる男と二人で出かけるなんて、君の外聞にも関わるからね」
私は王族の教育で培ったポーカーフェイスで躱す。
「えーフェリクス様ってば固いですよぉ。みんなデートくらい気軽にしてますって。それと、デイジーって名前で呼んでくださいって何度も言ってるじゃないですかっ。あと今日の予定って何ですか? あたしもついていったらダメですか?」
「駄目だよ。とても大事な用事なんだ」
彼女は自分の思い通りにならないとわかると、頬をぷーっと膨らませた。そのわざとらしい仕草に、私は溜息をやっとのことで飲み込んだ。
「そういえば、フェリクス様が可愛がってるって噂のウサちゃん、あたしも見に行ったんですよ。ほんとに可愛いですよねっ」
学園の飼育小屋で飼われている兎は、ピンクの毛にエメラルドの瞳を持つ希少種だ。色の組み合わせがロゼと同じで、とても愛らしい。
学園でもなかなかロゼと会えない私は、飼育小屋に訪れてはロゼと同じ色をした兎を撫でて癒されていた。
頻繁に通ったかいがあって、兎はだんだん私になついてきた。私の手を鼻でつんつんしたり、ぺろぺろ舐めてくれるようになったのだ。
喜ぶ私の隣で、アルフは「むっつり変態王太子」とか「俺はウサギより断然ネコ派」とか好き勝手言っていたが、私は無視を決め込んだ。
***
私はふと、あの時の兎のことを思い出した。
ロゼが婚約者になって初めて王宮に訪れた日のことだ。
私とロゼは庭園に設置されたテーブルに、向かい合って座っていた。
ロゼはラベンダー色のドレスを着て、髪には白い花飾りを付けていた。ピンクブロンドの髪がそよ風にふわふわと揺れる。
今日も花の妖精みたいに可愛いな。
そんな事を思いながら、目の前に座るロゼを見つめた。
侍女が二人の前に温かいミルクティーを置いた。
「僕の婚約者になってくれてありがとう。嬉しいよ」
そう言うと、ロゼははにかんで答えた。
「わたくしこそとても光栄です。よろしくお願いいたします」
ロゼは緊張していたのか、私の質問に一言二言答えるのが精一杯で、自分から話しかけることはなかった。
もっと仲良くなりたいな、ロゼは何が好きだろうか、どんな話題を振ろうか、と思案していた時だ。
ぴょこっとピンク色の兎が紛れ込んできたのだ。
侍女達が兎に反応するより早く、ロゼは椅子から飛び降りた。
「ウサギ!」
ロゼは兎に近づいていって、そうっと手を伸ばした。
「殿下、見てください! わたくしウサギを初めて見ました、すごく可愛いですね!」
私を振り返ったロゼは、まるで蕾の花が一斉に満開になったかのような笑顔になった。
私の心臓の鼓動はトクトクと高鳴った。
可愛い、可愛い、可愛い!
「ああ、すごく可愛いね」
私は、自分の心を詰め尽くしている言葉を口に出した。
「図鑑で見たウサギは白や黒や茶色でしたが、この子はピンク色をしています。希少種なのでしょうか!?」
ロゼは顔を紅潮させながら兎を撫でている。人に慣れているのか、兎はされるがままになっていた。
「ピンクの兎は、大陸でもフォルトア聖国の一部の地域にしか生息していない希少種だよ。まさかこの国にいるなんて驚いた」
「まあ、ではこのウサちゃんはフォルトア聖国からのお客様ですね」
ロゼはエメラルドの瞳を輝かせて、熱心に兎を見つめている。
兎を見ただけでこんなにも喜んでいる。そういえば先日は花の蜜を吸っていたな。意外と好奇心旺盛なのだろうか。
平素は小さな淑女のように振舞っているのに、咄嗟に出る無邪気なロゼの行動がとても愛おしく思えた。
ルシアンに約束したように、彼女を絶対に大切にしよう。
私は心の中で再び決意を固めながら、ロゼの横に屈んで一緒にその兎を撫でた。
***
あの時の可愛いロゼを思い出した私は、無自覚に笑顔になっていたようだ。
「ああ、すごく可愛いね」
そう答えた瞬間、生徒会室の扉が勢いよく開いてロゼが現れた。
会いに行くつもりだったロゼがそこにいることに喜んだのも束の間、ロゼの表情が曇っていることにすぐ気づき、声をかけようとした。
何故かそのタイミングで、聖女が私に寄りかかってきた。
ロゼのエメラルドの瞳が大きく見開かれ、みるみるうちに潤み始めた。彼女はすぐに目を伏せて、その場から走り去った。
「ロゼ?」
一体どうしたんだ? ざわざわと嫌な胸騒ぎがした。
奥にある書庫から顔を出したアルフが眉をひそめた。
「あー、たぶん誤解しちゃったな、ロゼちゃん」
「どういうことだ?」
アルフは後頭部に片手を当てて気まずそうに言った。
「お前はウサギに対する感想を言ったんだろうけどさ。『すごく可愛い』ってデイジーちゃんのこと口説いてるように見えたぞ。その上そんなにくっついてたら勘違いするだろうよ。ロゼちゃん、今にも泣き出しそうな顔してた」
「⋯⋯!」
すぐにロゼを追いかけようと椅子から立ち上がると、聖女が腕に抱きついてきた。
「だめっ! 行かないでくださいっ!」
「いい加減にしてくれ!」
耳を裂くような雷鳴が轟いたと同時に、廊下側から誰かの悲鳴が聞こえてきた。
「誰か来て! プリムローズ様が!」
私は聖女を振りほどき、廊下に飛び出した。
騒ぎのする方へ駆けつけると、階段の踊り場に人だかりができていた。
人をかき分けてその中心に辿りつき、己の目に飛び込んできた光景に愕然とした。
私は、その光景が嘘であってくれと願った。
――そこには美しいロゼが眠るように横たわっていた。




