重なり始めた輪郭②
それからの夜は、回数を重ねた。
約束をしたわけでもなく、流れに身を委ねたわけでもない。
仕事の区切り。
疲労の残る夜。
言葉が、少し足りなくなる時間。
自然に、同じ場所に辿り着くようになった。
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波多野は、相変わらず、急がなかった。
触れる前に、必ず、ひかりの顔を見る。
息が浅くなったら、手を止める。
欲望を満たすためではなく、共有するための行為。
それが、彼のやり方だった。
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——最初の頃。
ひかりの身体は、正直ではなかった。
頭では理解している。
触れられていることも、受け入れている。
それでも、感覚が、追いつかない。
波多野の動きは、やさしくて、丁寧で、何も間違っていないはずなのに。
——足りない。
そう思ってしまう自分に、ひかりは、何度も、胸を締めつけられた。
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「……ごめんなさい」
思わず、そう口にした夜があった。
波多野は、一瞬、驚いたように目を瞬かせ、すぐに、首を振る。
「謝ることじゃないですよ」
それは、慰めでも、諦めでもない声だった。
「身体って、心より、正直で」
「でも、慣れるのは、ゆっくりなんです」
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その言葉に、ひかりは、救われた気がした。
——急がなくていい。
——置いていかれない。
それだけで、胸の奥の力が、少し、抜けた。
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やがて、二人は、避妊をしなくなった。
きっかけは、会話だった。
何気ない夜、波多野が、ぽつりと口にした。
「……子ども、好きなんです」
ひかりは、驚かなかった。
むしろ、その言葉が、胸に、静かに落ちた。
「私も……欲しいです」
言葉にした瞬間、自分でも、はっきりと分かった。
——これは、願いだ。
埋め合わせでも、過去の修復でもない。
自分の人生としての、願い。
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「年齢のことも」
「簡単じゃないのも、分かっています」
ひかりは、そう続けた。
波多野は、少し考えてから、頷く。
「それでも」
「一緒に考えたいです」
その言葉に、条件は、なかった。
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それからの行為は、どこか、意味合いが変わった。
求め合うというより、未来を、試すような時間。
身体は、まだ、完全には応えない。
けれど、拒絶もしなくなっていた。
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——なのに。
妊娠は、しなかった。
一度も。
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月が変わるたび、ひかりは、胸の奥で、小さく数える。
期待して、落胆して、何もなかったふりをする。
それを、波多野は、見逃さなかった。
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「……何か、気になりますか」
問いかけは、やはり、静かだった。
「……正直に言うと」
「少し、焦っています」
ひかりは、視線を落としたまま、答えた。
「年齢のこともありますし」
「身体が……おかしいのかなって」
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波多野は、否定しなかった。
軽く、笑っても、みせなかった。
「一度」
「ちゃんと、調べてみませんか」
その言葉は、現実を、真正面から受け止める提案だった。
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それでも、夜は、続いた。
同じやさしさ。
同じ、ぎこちなさ。
だが、確実に、違ってきているものがあった。
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ひかりの身体が、少しずつ、波多野の触れ方を、覚えていく。
呼吸の重なり。
間の取り方。
触れない時間の意味。
——快楽ではなく、安心が、先に立つ夜。
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そして、ある夜。
ひかりは、初めて、自分から、彼の名を呼んだ。
それは、欲望でも、義務でもない。
——信頼だった。
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感情は、身体より、遅れて、追いついてくる。
ひかりは、ようやく、そのことを、理解し始めていた。
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妊娠しない理由は、まだ、分からない。
この先に、どんな現実が待っているのかも。
それでも。
ひかりは、もう一度、未来を選ぼうとしていた。
隣にいるのが、この人であることを、静かに、受け入れながら。
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——この選択が、どれほど、長い道のりになるのか。
その答えを、二人は、まだ、知らない。
ただ、同じ方向を向いていることだけは、確かだった。




