③眠る未来と、託された時間
病室は、異様な程静かだった。
機械音だけが、一定のリズムで鳴っている。
規則正しく、だが冷たい音。
比嘉涼子は、ベッドの横の椅子に座り、眠る未来の顔を見つめていた。
酸素マスク。
細くなった腕。
それでも、眠っている表情だけは、あの日と変わらない。
「……ほんと、ずるいよ」
涼子は、かすれた声で呟いた。
未来は、眠ったままだ。
「十年後の手紙なんてさ」
「そんなの、元気で受け取る前提で出すもんでしょ」
返事はない。
それでも、涼子は話し続ける。
「なのに、自分がいないかもしれないって」
「そんなこと、さらっと書くんだもん」
涼子は、鞄から一通の封筒を取り出した。
未来の字だった。
読み返すたび、胸が締めつけられる。
——涼子へ。
——ありがとう。
——私ね、万博で、好きな人ができたよ。
——この気持ちは、初めてで、怖くて、でも嬉しくて。
——変わらない景色の中で、変わらない愛を誓うのが夢だった。
——そんな人に、出会えたんだよ。
——でもね。
——私、十年後、生きてるか分からない。
——もし、私がいなかったら。
——春樹さんに、伝えて。
——私が、どれだけ好きだったか。
——ちゃんと、生きようとしてたことも。
——涼子なら、分かってくれるよね。
涼子は、手紙を胸に抱きしめた。
「……分かるよ」
「分かるに決まってるでしょ」
未来は、いつだってそうだった。
自分の痛みを、誰かに預けるのが下手で。
でも、誰かの人生を、全力で肯定する人間だった。
涼子は、そっと未来の手を握る。
冷たい。
でも、確かに、そこにいる。
「ねえ、未来」
「春樹さん、電話に出たよ」
未来のまぶたが、ほんのわずかに震えた……気がした。
「ちゃんと、聞いてくれた」
涼子は、少しだけ、笑った。
「だからさ」
「まだ、終わらせないで」
病室のカーテンの隙間から、夕方の光が差し込む。
あの日。
万博へ行く前、五人で歩いた道。
未来は、涼子の子どもたちの手を引きながら、笑っていた。
「ここ、宝物の場所にするね」
そう言って、スタンプ帳のページを指した。
あの時の未来は、未来を諦めていなかった。
「……ねえ」
涼子は、静かに言う。
「生きてよ」
「ちゃんと、続きを、やろ」
返事はない。
けれど。
未来の指が、ほんのわずかに、涼子の指を握り返した。
錯覚かもしれない。
でも、涼子は、そう思わなかった。
「ほら」
「まだ、時間、残ってる」
機械音が、変わらず鳴っている。
それは、命が、まだ、ここにある証だった。
未来の物語は、まだ、終わっていない。
十年越しの手紙は、ようやく、人と人を、再び繋ぎ始めたのだから。




