②遮断された世界の向こう側
電話口で名乗った声は、自分でも驚くほど平坦だった。
知らない番号だったが、なぜか無視できなかった。
「比嘉涼子と申します」
その名前を聞いた瞬間、時間が、音を立てて崩れた。
――比嘉。
記憶の底に沈めていた風景が、一気に浮上する。
万博。
あの日の、明るすぎる空。
未来の笑顔。
そして、未来が大切にしていた友達。
胸の奥が、熱くなる。
「……比嘉、さん?」
声が、わずかに掠れた。
電話の向こうで、彼女が息を吸う気配がした。
「突然のお電話で、申し訳ありません」
「でも、どうしても、あなたに伝えなければならないことがあります」
その言い方で、悟った。
これは、軽い用件ではない。
「新垣未来の、件です」
世界が、静止する。
未来。
その名前を、どれほど口に出さずに生きてきただろう。
思い出せば、簡単に壊れてしまいそうで。
忘れようとすれば、余計に鮮明になる名前。
「……未来が?」
喉が、うまく動かない。
「彼女から、十年前に出された手紙が、私に届きました」
「博物館明治村の、“はあとふるレター”です」
明治村。
あの日。
未来は、笑っていた。
未来を信じている顔をしていた。
「私宛の手紙が、今日、届きました」
心臓が、強く打つ。
「そこに、あなたの名前がありました」
春樹は、何も言えなかった。
言葉にした瞬間、何かを認めてしまう気がした。
「未来は……」
涼子は、少しだけ、声を落とす。
「万博で、あなたのことを好きになったと、書いていました」
視界が、滲む。
そんなことは、分かっていた。
だが、それを未来の言葉として突きつけられると、胸の奥に、鋭く刺さる。
「あなたと、ずっと一緒にいたかった」
「変わらない景色の中で、変わらない愛を誓いたかった」
「それが、夢だった、と」
春樹は、目を閉じた。
「……未来は、今」
声が、震えた。
「生きています」
その一言に、全身の力が抜けそうになる。
だが、続く言葉が、それを許さなかった。
「ただし、非常に危険な状態です」
「……手術は難しいようです」
未来の顔が、浮かぶ。
博物館明治村での笑顔。
万博会場で、スタッフとして懸命に働く横顔。
Pℓay!郵便局を体験した時の涙。
宝物のページを胸に当てた仕草。
そして……一緒に食べたハーリングの味。
「未来は」
涼子は、はっきりと言った。
「もし、自分が十年後に生きていなかったら」
「あなたに、想いを伝えてほしいと、私に託しました」
春樹の胸が、壊れた。
一緒にいるべきだった。
だが、後悔より先に、
確かな感情が、突き上げる。
「……今、どこにいるんですか」
声は、もう迷っていなかった。
「三重県です」
「病院にいます」
距離は、海一つ分。
だが。
十年という時間に比べれば、
それは、あまりにも、近かった。
電話を切ったあと。
春樹は、しばらく、動けずにいた。
遮断された世界の向こう側で、
確かに、未来は、生きている。
――今度こそ。
迷わない。




