①宝物のページから
比嘉涼子のもとに、その封筒が届いたのは、雨上がりの午後だった。
差出人を見た瞬間、心臓が、はっきりと跳ねた。
――新垣未来。
指先が、封を切る前に止まる。
十年前。
あの場所で、二人は三通の手紙を書いた。
博物館明治村簡易郵便局の《はあとふるレター》
春樹は、未来へ。
未来は、春樹へ。
そして、未来はもう一通――親友の涼子へ。
それは、「十年後に届く約束」だった。
だが現実は残酷で、春樹も未来も、転居先不明。
郵便は戻り、時間だけが過ぎていった。
だから、これは。
唯一、宛先が途切れなかった一通だった。
涼子は、深く息を吸い、封を開ける。
⸻
『涼子へ』
その二文字だけで、視界が揺れた。
『この手紙を、あなたが読んでいる時、たぶん、私はここにいないか、あるいは、うまく連絡が取れない場所にいるんだと思う』
未来の声が、はっきりと蘇る。
『まずは、ありがとう』
『大阪・関西万博に行く前、あなたと、子どもたち三人と、五人で行ったあの日のこと、私は、たぶん、一生忘れない』
涼子の脳裏に、情景が浮かぶ。
子どもたちが走り回り、未来が少し遅れて追いかけていた、あの日。
『派遣が決まる前に“お客さんとして体験しておきたい”って言ったら、あなたは、笑って、車を出してくれたね』
『あの日、郵便局に寄れなかったこと、少しだけ、心残りでした』
涼子は、はっと息を呑む。
『だから、後日、万博に行ったとき、あの郵便局に、行きました。』
末っ子ちゃんが「宝物にしたら?」と言った、スタンプ帳の、あのページ。
『あれはね、“楽しかった過去”じゃなくて、“誰かと未来を信じた証”になりました』
文字が、少し乱れている。
『私ね、万博で、好きな人ができたよ。』
涼子の喉が、詰まる。
『この気持ちは、初めてで、怖くて、でも嬉しくて。』
『この人と、ずっと一緒にいたい。そう思えたのは、初めてでした』
『そんな人に、出会えたんだよ』
『変わらない景色の中にある明治村で、本当は、変わらない愛を誓い合いたかった。』
『それが、私の夢でした』
手紙は、そこで一度、間を置く。
『でも、涼子、正直に言うね』
『私、十年後、生きているか分からない』
涙が、紙に落ちる。
『もし、もしも、私がこの世界にいなかったら』
『お願い。春樹さんに、伝えて』
『私が、どれだけ、彼のことを好きだったか』
『ちゃんと、生きようとしてたことも』
『涼子なら、分かってくれるよね。』
『空野春樹さんは、talina研究所に勤めています』
『あなたにしか、お願いできません』
『ありがとう。親友でいてくれて』
『あの日、五人で見た万博の空を、私は、宝物にして、生きました』
――未来
⸻
涼子は、しばらく動けなかった。
胸の奥に、熱いものが溜まり、言葉にならない。
だが、立ち止まるわけにはいかなかった。
――繋げなければならない。
⸻
涼子は、talina研究所に電話をかける。
「空野さんをお願いします」
「恐れ入りますが、どちら様でしょうか」
「比嘉涼子と申します。新垣未来の件で、お伝えしたいことがあります」
少し間が空き、返ってきた言葉は、冷たかった。
「……確認いたしましたが、空野という社員は、現在在籍しておりません」
線は、そこで切れた。
⸻
病院へ向かう。
眠る未来の病室。
携帯電話。
ロック解除の番号は、教えられていた。
――何かあったときのために。
それほど、未来の状態は、切迫していた。
連絡先を、探す。
名前を、追う。
「あった……」
春樹の番号。
――繋がらない。
何度かけても、同じ。
海外に行った、という話を、かすかに思い出す。
時差が、あるのかもしれない。
ならば――。
⸻
自宅に戻り、自分の携帯から、もう一度、番号を押す。
呼び出し音。
そして。
「……はい」
低く、戸惑いを含んだ声。
涼子の胸が、強く打たれる。
「比嘉涼子と、申します」
一瞬の沈黙。
そして、息を呑む気配。
その名前に、春樹の胸が、熱くなった。
聞いたことのある名前。
忘れられない、時間の一部。
十年の隔たりを越えて、いま、確かに――線が、繋がった。
⸻
断ち切られたはずの線は、宝物のページから、静かに、再び引かれていた。
世界は、まだ、完全には戻らない。
それでも。
想いは、時間を越えて、確かに、生きていた。




