表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/82

遮断された世界④重なり始めた輪郭

 仕事は、淡々と、だが確実に進んでいた。


 大阪・関西万博跡地再開発プロジェクト。

 talina研究所と外部企業による共同事業。


 ひかりは、責任者として現場に立っていた。


 波多野は、以前と変わらない立ち位置にいた。


 前に出すぎず、しかし、必要な場面では必ず前に出る。


 誰かが詰まれば、自然に隣へ。

 誰かが迷えば、答えではなく、考え方を示す。


 声を荒げることはない。

 否定から入ることもない。


 それでいて、計画は、確実に前へ進んでいく。



 若い社員が、気軽に声をかけてくる。


「波多野さん、これどう思います?」

「すみません、少し相談いいですか」


 上下の隔たりを感じさせない空気が、そこにあった。


 波多野は、どんな相手にも態度を変えない。


 責任者である前に、一緒に働く仲間として向き合う人間だった。


「部下を育てるのが、上に立つ者の仕事ですから」


 それは、彼の持論だった。


 成果を奪わない。

 責任だけを押し付けない。


 失敗したときは、矢面に立ち、成功したときは、部下の名前を前に出す。


 だから、信頼されていた。

 慕われていた。


 その姿は、ひかりにとって、どこか懐かしかった。


 ——自分も、かつて、そうであろうとしていた。


 誰かの人生に、責任を持ちすぎて、自分を後回しにしてしまう、その在り方。



 打ち合わせの合間。


 二人は、窓際に立っていた。


 外では、工事音が遠くに響いている。


「……ここで、未来を見せるはずだったんですよね」


 波多野が、静かに言う。


「ええ」

「未来を信じる場所、でした」


 ひかりの声は、落ち着いていた。


 痛みは、もう、棘ではなく、記憶になっていた。


「新垣さんのことは……」

 波多野は、言葉を選びながら続ける。


「派遣責任者として、最初から聞いていました」

「病気のことも、状態のことも」


 ひかりは、驚かなかった。


 この人なら、知っていて、その上で、態度を変えなかったのだと、分かっていたからだ。


「休職して、戻れなくなって」

「それでも、連絡は取っていました」


 波多野は、窓の外を見たまま、言った。


「……今度、手術を受けるそうです」

「かなり、厳しい状況だと」


 沈黙が落ちる。


「空野さんと、新垣さんは」

「幸せになってほしかった」


 それは、同情でも、慰めでもなかった。


 ただ、誰かの人生を、最後まで他人事にしない人の言葉だった。


 ひかりの胸が、わずかに、締めつけられる。


 同時に、この人が、なぜこんなにも信頼されているのか、はっきりと理解した。


 ——似ている。


 自分よりも、他人を先に考えるところ。

 誰かを救おうとして、自分を削ってしまうところ。


 それが、ひかり自身の姿と、重なって見えた。



 仕事が進むにつれ、二人で話す時間も、自然に増えていった。


 効率の話。

 部下の育て方。

 責任の持ち方。


 どれも、仕事の話だった。


 だが、そこには、価値観が、静かに共有されていく感覚があった。



 帰り道。


 駅まで並んで歩く。


 街灯の下で、影が重なる。


「西園寺さんは」

「人の人生を、背負いすぎますね」


 波多野の言葉は、責めではなかった。


 気づいてしまった人の、静かな指摘だった。


「……そう、かもしれません」


 ひかりは、否定しなかった。


「でも」

「それを、悪いことだとは思いません」


 波多野は、少しだけ微笑んだ。


「私も、同じです」


 その一言が、ひかりの中で、静かに響いた。


 ——理解されている。


 ——役割でも、依存でもなく。


 ただ、一人の人間として。



 その夜。


 遥の部屋に戻ったひかりは、いつもより、少しだけ、言葉が少なかった。


「……仕事、順調?」


「うん」

「順調だよ」


 嘘ではない。


 だが、すべてでもない。


 遥は、それ以上、聞かなかった。


 聞いてしまえば、この均衡が、崩れる気がしていたからだ。



 布団に入ったあと。


 ひかりは、目を閉じながら、思う。


 ——誰かの隣で。

 ——自分を保ったまま、呼吸できる場所。


 そんな未来が、まだ、残されているのかもしれない、と。


 世界は、まだ、遮断されたままだ。


 だが。


 時間の向こう側で、別の線が、ゆっくりと、引かれ始めている。


 それは、まだ交わらない。


 けれど、確かに、同じ未来へ向かっていた。


 ——そして。


 この停滞した世界に、再び、過去からの”手紙”が届く日が来ることを、ひかりは、まだ、知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ