遮断された世界②消えなかった線
さらに、月日が流れた。
二年が三年に変わり、季節は、思い出よりも早く更新されていく。
連絡が取れないという事実だけが、異物のように日常に残り続けていた。
理由は、分からない。
問いただす術も、ない。
それでも、世界は止まらない。
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talina研究所のロビーに、フラッシュが焚かれていた。
就任会見を終えたばかりの村山が、ゆっくりと歩みを進めてくる。
——社長就任。
長い時間をかけて、ようやく辿り着いた場所だった。
その横に、かつているはずだった人物はいない。
春樹の姿は、どこにもなかった。
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代わりに、二人の女性が立っていた。
神崎遥。
talina研究所・取締役。
そして——
西園寺ひかり。
執行役員。
かつての幼い面影は、もう薄い。
そこにあるのは、肩書きと責任を背負った、大人の顔だった。
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村山は、二人の前で足を止めた。
短く、深く、息を吐く。
「ありがとう」
記者の前では見せなかった、個人的な声音だった。
「……お前たちは、よくやってくれた」
「礼を言う」
遥は、小さく頭を下げた。
ひかりも、それに倣う。
その瞬間、ここに春樹はいないという事実だけが、不自然な空白として、強く意識された。
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——もし、彼がtalina研究所にいたら。
その仮定を、誰も口にすることはなかった。
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春樹がアメリカへ旅立ってから、十年目のことだった。
清水川美香の死が村山から伝えられ、遅れて新聞の片隅に、小さな記事が載った。
覚醒剤使用による、急性中毒死。
見出しにもならない、消費されるだけの事実。
遥は、その記事を、静かに、何度も読み返した。
怒りも、安堵も、湧いてこない。
胸の奥で、何かが、静かに折れる音がしただけだった。
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——ずいぶん前のことだ。
村山が、遥にそう告げたのは。
「……綾瀬咲良は、身の危険を感じていた」
声は低く、感情を削ぎ落とした調子だった。
居場所は、教えない。
だが、続けて、こう言った。
「連絡手段は、生かしてある」
「完全に切ってはいない」
遥は、わずかに眉を動かした。
——拒絶ではない。
——遮断でもない。
だが、意図的に置かれた距離が、そこにはあった。
「清水川美香は……」
「君だけを恨んでいたわけじゃない」
村山は、視線を伏せる。
「綾瀬咲良のことも、強く逆恨みしていた」
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咲良は、娘のみさきちゃんを連れて、姿を消していた。
逃げるためではない。
守るために。
巻き込まないために。
村山は、それ以上を語らなかった。
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葬儀の日。
遥は、会場の後方に立っていた。
受付で名前は告げず、誰とも目を合わせない。
——見届けるため。
それだけの理由だった。
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棺に横たわる清水川美香の顔は、奇妙なほど、静かだった。
怨嗟も、恐怖も、そこには残っていないように見えた。
——これで、終わりか。
遥は、そう思った。
だが。
終わらないものが、まだ残っていることを、このときは、理解していなかった。
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式が終わり、人の流れが、ゆっくりと外へ向かう。
その中で。
遥は、見覚えのある背中を見つけた。
黒い喪服。
迷いのない歩幅。
伸びた背筋。
——綾瀬咲良。
心臓が、一拍、遅れて強く打った。
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声をかけるつもりは、なかった。
この距離は、まだ越えてはいけない線だと、自分で分かっていたからだ。
だが、すれ違う、その直前。
「……遥」
先に、呼ばれた。
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咲良は、こちらを見なかった。
視線を前に向けたまま、静かに、言う。
「来てくれたんやな」
「……ありがとう」
それだけ。
関西弁特有の柔らかさの奥に、何かを押し殺した硬さがあった。
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遥は、問いを飲み込んだ。
なぜ、清水川美香を庇ったのか。
なぜ、すべてを捨てて消えたのか。
ここで聞くべきではない。
本能が、はっきりと告げていた。
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「……連絡」
遥は、短く言った。
「取れますよね」
咲良は、一瞬だけ、歩みを止めた。
そして、ほんの僅かに、肩を揺らす。
「……遥のこと」
「切ったりしてへん」
その声は、拒絶ではなかった。
だが、触れられたくない何かを、必死に守るような響きだった。
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「全部な……」
咲良は、小さく息を吐く。
「……終わってもうた」
それから、噛みしめるように、続けた。
「うちの責任や」
「全部……うちのせいや」
その言葉が、遥の胸に、深く残った。
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咲良は、それ以上、何も言わなかった。
振り返らず、人の流れに紛れていく。
追いかけることは、できた。
だが、遥は、そうしなかった。
——今は、まだ。
この距離が、二人に必要なのだと、理解してしまったからだ。
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数日後。
遥のスマートフォンに、短い通知が届いた。
登録名は、綾瀬咲良。
本文は、たった一行。
《一度、ちゃんと話そ》
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遥は、画面を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。
切れていない。
避けられても、拒まれてもいない。
ただ、時が、必要なだけだ。
——まだ、ここからだ。
世界は、遮断されたままでも、この線だけは、確かに、残っていた。




