遥の過去編② 余波④—距離という名の失敗
ある日から、ひかりは、少しずつ変わった。
連絡の返事が、遅くなる。
声のトーンが、どこか事務的になる。
同じ部屋で暮らしていても「今日は疲れてるから」と、話しをする時間を短くする。
理由は、全部、正しかった。
——依存させてはいけない。
——自分が支えになるのは、違う。
——この関係は、健全じゃない。
頭では、分かっていた。
⸻
「……最近、忙しい?」
遥の問いは、何気なかった。
責める色も、疑う色もない。
それが、余計につらかった。
「うん。ちょっとね」
ひかりは、曖昧に笑った。
その笑顔に、遥は何も言わなかった。
ただ、視線を落とした。
その仕草が、ひかりの胸を刺す。
(……これ以上は、だめ)
そう思っているのに。
⸻
ある夜。
ひかりは、帰宅途中で、遥からの着信に気づいた。
画面に表示された名前を見て、一瞬だけ、指が止まる。
——出たら、戻れなくなる。
——出なければ、きっと、正しい。
数秒。
着信は、切れた。
ひかりは、息を吐いた。
これでいい。
これが、距離を取るということ。
依存させない事で遥を立ち直らせたい。
……そう、思った。
⸻
次の日。
遥は珍しく1人で部屋の外に出ていた。
コンビニにいるのを見かけたひかりは、自分の選択が間違ってなかったと喜んだ。
声をかけようとして、やめる。
視線が合った、その一瞬。
遥の顔に浮かんだのは、怒りでも、悲しみでもなかった。
——納得。
「やっぱり、そうなんだ」という、諦めの表情。
遥は視線を逸らした。
それを見た瞬間。
ひかりの足が、勝手に動いていた。
「……遥」
名前を呼ぶ声が、思ったより強くなる。
遥は、振り返った。
「……なに?」
距離は、近い。
でも、空気が、違う。
「昨日……」
「電話、出られなくて……」
言い訳のはずだった。
でも、遥は首を振った。
「いいよ」
「忙しいんでしょ」
その言い方が、あまりにも、聞き分けがよくて。
ひかりは、胸が苦しくなった。
「……そうじゃなくて」
言葉が、詰まる。
遥は、じっとひかりを見る。
逃げも、追いもしない目。
「ひかり」
「無理しなくていいよ」
その一言が。
ひかりの中で、何かを決定的に壊した。
⸻
「……違う」
ひかりは、思わず言っていた。
「無理してるのは……」
「わたしの方だから」
遥が、目を見開く。
「距離、取ろうとしてた」
「それが……正しいと思った」
声が、震える。
「でも……」
「それで、遥が……」
言葉が、続かない。
遥は、静かに息を吸った。
「……わたし」
「捨てられたって、思った」
その言葉は、淡々としていた。
だからこそ、深く刺さる。
「ひかりが、そばにいないなら」
「わたしは……」
続きは、言わなかった。
でも、ひかりには分かってしまった。
——この子は、もう、「一人にされる痛み」を知ってしまっている。
⸻
ひかりは、遥の手を掴んだ。
反射だった。
理屈より、ずっと早く。
「……ごめん」
その一言で、すべてが崩れた。
距離を取る計画も。
冷静な判断も。
何より、「依存させない」という誓いも。
遥は、驚いたように、目を瞬かせたあと、小さく、息を吐いた。
「……ひかりだけなの」
その声は、安堵に近かった。
その瞬間。
ひかりは、はっきりと悟った。
——失敗した。
距離を取ろうとして、逆に、もっと深い場所に踏み込んでしまった。
でも。
この手を、今さら離すことは、できなかった。
それが、自分の選んだ「未来」なのだと、認めてしまったから。




