遥の過去編② 余波③ — 同じ場所へ
遥は、何も言えなくなった。
職場には行こうとする。
でも、呼吸が浅くなる。
手が、震える。
朝になると、身体が動かない。
再び、休職。
戻ったはずの場所は、もう、戻れる場所ではなかった。
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ひかりは、週末になると大阪に来てくれた。
ただ、隣に座り、遥の冷えた手を包んで、言った。
「……そばにいるよ」
それだけ。
慰めでも、約束でもない言葉。
でも、遥の中で、それは——
最後に掴めた、唯一の現実だった。
壊れた心は、そこでようやく、泣くことを許された。
———
talina研究所 本社勤務
人事部所属の総合職
ひかりは、誰もが知る、エリートコースだった。
そこで、彼女は知った。
——咲良の処分の全容を。
本来は、懲戒免職。
それが妥当だという空気。
だが、最終的に下されたのは、依願退職。
村山常務の判断だった。
——遥は、これを知らない。
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大阪に行きたい。
その思いは、理屈より先に、願いとして形になった。
異動願い。
大阪支社。
理由欄には、何も書かなかった。
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上層部は、すぐに察した。
——神崎遥。
再訴訟の可能性。
不安定な精神状態。
監視役が、必要だった。
本社人事部所属。
信頼できる人材。
なおかつ、神崎遥に近い存在。
——ひかりは、都合が良すぎた。
村山常務と面談の場が設けられ、異動は、あっさり通った。
彼女は、それを「配慮」だと思った。
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大阪。
最初は、別々に暮らした。
それが、正しい距離だと信じていた。
だが。
遥は、崩れていった。
食べない。
風呂に入らない。
部屋は荒れ、身体から、生活の匂いが消えていく。
ひかりが目を離すと、遥は、静かに自分を放置した。
まるで、「世話をされる価値のない存在」だと、自分に言い聞かせるように。
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ある日。
ひかりは、決めた。
正しさではなく、現実を選んだ。
「……一緒に住もう」
遥は、驚いたように目を見開いた。
でも、否定はしなかった。
拒む力も、選ぶ気力も、もう、残っていなかったから。
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こうして。
二人は、同じ場所に立った。
守る者と、守られる者。
支える者と、支えられる者。
——その区別が、静かに、曖昧になっていくとは、まだ、誰も気づいていなかった。




