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遥の過去編② 白い封筒④—刃—踏みつぶす音

 遥は、ぴたりと泣くのをやめた。


 さっきまでの嗚咽が、嘘のように止まる。

 涙の跡だけが、頬に残っている。


 次の瞬間——

 彼女は、すくっと立ち上がった。


 あまりにも唐突で、春樹は言葉を失った。


 遥は何も言わず、自分の服の裾に指をかける。


 一枚。

 また一枚。


 それは、脱ぐというより、削ぎ落とすような動作だった。


 触れられたくないもの。

 見られたくないもの。


 ——本当は、男の前で晒すはずのない自分を。


「……遥、やめろ」


 春樹の声は、届いていなかった。


 最後に残った布切れが、床に落ちる。


 空気が、凍りつく。


「……何を……」


 春樹は反射的に、目を逸らした。


 その瞬間。


 遥は、春樹に近づいた。


 逃げる間もなく、両手で、春樹の顔を挟む。


 力は強いが、その手つきに欲はなかった。


 あるのは、苛立ちと、嫌悪と、そして——自分自身への罰。


 そらされた視線を、無理やり自分に向けさせる。


 まるで命令するように。


 ——見るな。

 ——でも、逃げるな。


「……頭の中で」


 遥の声は、静かだった。


「……してたこと」


 一拍。


「……今、ここで」


 春樹の背筋が、凍る。


 遥の瞳は、もう誰かを求める目ではない。

 男を見る目ですらなかった。


 それは、自分を切り刻むための刃を、相手に握らせている目だった。


「……勘違いしないで」


 低く、吐き捨てるように。


「……春樹が欲しいわけじゃない」


 春樹が、息を詰める。


「……女の人を想ってるときみたいに」

「……一瞬でも、気持ちよくなんてならない」


 遥は、微かに笑った。


 それは、笑顔ではなかった。


「……だから」


 一歩、距離を詰める。


「……こんなことしか、できない」


 触れられているのに、心は、どこにもいない。


 嫌悪だけが、そこにあった。


 ——女を想うときにしか。

 ——生きていると感じられない自分。


 ——それを。

 ——男の前で、無理やり壊そうとしている。


 ベッドに倒れ込んだとき、遥は、一瞬だけ目を閉じた。


 そこにあったのは、快楽でも、欲望でもない。


 ただ一つ。


 「女を好きな自分ごと、消えてしまえばいい」


 という、あまりにも幼く、取り返しのつかない願いだった。


 やがて、遥の頭に、重たい音が響き始める。


 それは、遥が男を欲しない自分を、無理やり踏み潰す音だった。


 そして春樹もその音を聞いていた。

 それは、春樹が、「守る側ではなかった」ことを、骨の髄まで思い知らされる音でもあった。

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