遥の過去編② 白い封筒③—断罪—あなたは、私を守ってなんかいない
復職初日だった。
ひかりに背中を押され、ようやく足を踏み入れた職場で、遥は、偶然聞いてしまった。
「……綾瀬課長」
「依願退職って形だったらしいですよ」
「本来は降格と異動で残る道もあったみたいですけど」
——残る、道。
言葉が、頭の中で反響した。
あの人は。
会社に、残れた?
遥の視界が、歪む。
「……誰が……」
声が、震えた。
「誰が……そこまで……」
ひかりが異変に気づいたときには、遥はもう、椅子から立ち上がっていた。
⸻
東京。
春樹の部屋の前で、呼び鈴を押した。
返事はない。
それでも、ドアが開くまで、遥は動かなかった。
「……遥?」
春樹の顔を見た瞬間。
抑えていた何かが、弾けた。
「上がる」
拒否を待たず、押し入る。
「……どうして」
春樹の前に立ったまま、遥は低く言った。
「どうして、あの人を追い詰めたの」
春樹は、すぐに答えなかった。
「私は……」
「訴えてなんて、頼んでない」
声が、震える。
「望んでなかった」
「あんなふうに……誰かの人生が壊れること」
春樹は困ったように眉を寄せた。
「君のためだ」
「君は、被害者なんだ」
その一言で。
遥の中の何かが、軋んだ。
「……被害者?」
乾いた笑いが漏れる。
「それ、誰が決めたの」
一歩、距離を詰める。
「あなたでしょ」
「私の代わりに、勝手に」
春樹は言い返そうとした。
だが——
遥は、ふと視線を逸らした。
部屋を、見回す。
そのとき。
棚の上に、目が止まった。
額縁。
整然と並べられた写真。
——自分。
温泉宿での笑顔。
浴衣の写真。
何気ない、横顔。
3人で行ったはずなのに、あるのは遥の写真だけ。
遥の喉が、ひきつった。
「……なに、これ」
春樹は、言葉を探していた。
「……好きだった」
その一言で。
遥の中で、全てが繋がった。
息が、詰まる。
「……気持ち、悪い」
ぽつりと落とした言葉が、床に吸い込まれる。
「……汚らわしい……」
一歩、写真に近づく。
「いやらしい……」
春樹が、息を呑む。
「おおかた、その写真使って……」
遥の唇が、震える。
「……勝手に……私を……」
そこで。
言葉が、止まった。
——ピタリと。
まるで、時間が切断されたように。
遥の視界が、暗転する。
⸻
——あんたな。
——その目。
——勝手に、うちを都合のええ姿に作り変えて。
——鳥肌立ったわ。
記憶が、唐突に甦る。
会議室。
閉じられた扉。
冷たい声。
——二度と、その目で、うちを見るな。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
ホテルの部屋。
ひとりきりだった夜。
抑えきれなかった想い。
——知られたら、嫌われる。
——だから、誰にも言えない。
——でも。
——でも……。
咲良の視線。
見抜いた目。
嫌悪。
——私は。
——私も……。
⸻
「——あああああああああっ!!」
遥は、叫んだ。
声にならないはずの感情が、破裂した。
身体が、わなわなと震える。
歯が、噛み合わない。
「……私も……」
涙が、溢れる。
「……同じじゃない……!」
自分で自分を殴るように、言葉を吐き出す。
「人のこと……」
「都合よく……!」
喉が、ひくりと鳴る。
——守られる側。
——被害者。
そんな言葉で、自分を清潔に保とうとしていただけだった。
遥は、ゆっくりと顔を上げた。
春樹を見る目には、怒りも、嫌悪も——もうなかった。
あったのは、虚無だけだった。




