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第2章 春樹の未来①

 東京—7月。


 Talina研究所本社の第三会議室で空野春樹そらの はるきは重役の前でプレゼンをしていた。


 重役の数人が深く頷き、プレゼン自体は完璧だった。穴も論理の破綻も全く無い。


 でも……会議室の空気が妙に静まり返るのはわかっていた。


 春樹が必要以上に他人と関わらないからだ。


 仕事は最短距離で終わらせる。

 雑談も飲み会も行かない。

 誰かと群れるのが苦手だ。


 成果だけ出していればいいと思ってきた。

 だが組織の中では、それが「近寄りがたい」と解釈される。


 プレゼンが終了し退出しようとした瞬間、背後から低い声がした。


「春樹、来い」


 振り返ると、村山常務が腕を組んで立っていた。


 年齢は五十。鋭い眼光をしており、背筋が伸びるような迫力を持つ男だ。

 春樹の母校の“大先輩”だが、在学時期はまったく被っていない。


 それでも、入社以来なにかと春樹を気にかけてくれている数少ない存在だ。


「……失礼します」


 ついて行った先は、誰も使っていない小会議室だった。


 ドアが閉まると同時に、常務は口を開いた。


「お前は……相変わらず優秀だな」


 褒め言葉だが、前置きなのはわかる。


「個人の能力としては抜群だ。お前がいるだけでプロジェクトの精度が変わる。これは全員が認めている」


「……ありがとうございます」


「だがな」


 常務の声が少し低くなる。


「上に立つ者は、“一人で結果を出せるやつ”じゃ務まらん」


 図星すぎて、言葉が出なかった。


「春樹。お前は誰とも深く関わろうとしない。それはお前自身が一番よくわかってるだろう」


「……はい」


「成果だけ出していればいい……そう思ってる。だが、それでは幹部にはなれん」


 胸の奥が、鈍く痛んだ。

 別に幹部になりたいと思っていたわけじゃない。

 ただ、「お前は成長していない」と突きつけられた感覚が、痛い。


「今のままなら……」


 常務は一度言葉を切り、重く続けた。


「同期の西園寺ひかりを幹部候補に推す」


 その瞬間、心臓が一度、素で止まった。


 ひかり。

 明るくて、社交的で、誰にでも分け隔てなく接する女。

 俺と真逆のタイプで、部下受けもいい。

 幹部候補に挙がるのは当然だ。


 理解はできる。

 けれど、胸のどこかがざわついた。


 悔しいのか?

 ……いや、多分違う。

 “このままだと俺はずっと変わらないまま”だという現実を突きつけられたからだ。


「……私は、変わるべきだということでしょうか」


 意図せず声はかすかに揺れていた。


「そうだ。だから……」


 常務は鞄から一枚の資料を取り出した。


「……万博?」


「お前を大阪・関西万博へ派遣する。会期の途中からだが、十分学べる。世界中の人々が集まり、文化も価値観も違う者同士が協力する。お前には必要な環境だ」


「突然ですね」


「突然ではない。お前のことはずっと見てきた」


 常務は静かに続ける。


「万博ではな、誰だろうと“関わらざるを得ない”。現場は生き物だ。外の人間とも、海外の人間とも連携が必要だ。……そこで何か掴んでこい。変わるきっかけをだ」


 常務の言葉が胸の奥に落ちていく。


 変わるきっかけ……。

 それは、俺がずっと避けてきたものだ。


「強制ですか」


「そうだ」


 常務は一切迷わず言い切った。


「だがな、春樹。変わりたいという気持ちを、自分で認めない限り、人は絶対に変われない。……もし万博で何か一つでも掴めたら、俺は西園寺よりもお前を推す」


 胸の奥が熱くなる。


 競争心かもしれない。

 期待に応えたい気持ちかもしれない。


 でも、それ以上に……。


 このまま一生、誰とも深く関わらずに生きていくのか。


 そんな問いが、静かに刺さった。


 俺は資料を閉じ、深く息を吸う。


「……行きます。万博で、何か掴んできます」


「よし」


 常務が頷いた。


 その瞬間、微かに緊張が解けた。


 これが、俺の人生の分岐点だった。

 そして、この派遣が……。


 あの少女・新垣未来あらがき みらい

 そして

 西園寺ひかり(さいおんじひかり)


 ふたりと“強く関わることになる未来”の始まりだった。

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