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アメリカ行き ④ 真実の所在

 会議室の照明は落とされていた。

 壁一面のモニターだけが、淡く光を放っている。


 遥は椅子に腰かけたまま、身じろぎひとつできずにいた。


 ——再生。


 無機質な操作音とともに、映像が動き出す。


 最初は、意味を理解できなかった。


 ホテルの一室。

 固定されたカメラ。

 切り取られているのは、生活の匂いを削ぎ落とした空間と、作られた親密さだけ。


 女の背中。

 露出の多い肌。

 意図的に計算された仕草。


 男はほとんど映らない。

 言葉もない。

 女は拒む様子もなく、ただ流れに従っている。


 音は極端に抑えられていた。

 それでも、画面越しに漂う空気だけで、何が行われているのかは十分すぎるほど伝わってくる。


 遥は、唇を噛んだ。


 ——目を逸らすわけにはいかない。


 ここで視線を切れば、また「何も知らなかった側」に戻ってしまう。


 場面が切り替わる。


 カメラの角度が変わり、女の上半身が光に晒される。


 その瞬間、遥の中で何かが引っかかった。


(……名前)


 無意識に、机の上へ視線を落とす。


 ケース。

 タイトル。

 出演者名。


 ——神崎遥。


「……違う」


 声が、勝手に(こぼ)れた。


 これは、私じゃない。

 けれど、確かに自分の名前だった。


 名前だけが、奪われている。


 再び、画面を見る。


 女の顔は、まだはっきりとは映らない。

 だが——


 ほんの一瞬。

 カメラが角度を変えた。


 照明が当たり、女の横顔が、はっきりと露わになる。


 遥の呼吸が止まった。


「……あ」


 知っている顔だった。


 何度も見た。

 職場で。

 ランキング表の前で。

 含み笑いを浮かべながら、声をかけてきた女。


 ——清水川美香(しみずかわみか)


 同じ咲良課長の部下。

 そして、自分より年下の先輩。


 耳の奥で、あの口ぐせが蘇る。


『神崎ちゃん、ほんまに優秀やなぁ。あんた、数ヶ月でここまで結果出すなんて……客・観・的・に・見・て・も・天才やで』


 ——客観的に。


 不自然なほど、強調された言葉。


 その意味が、今になって胸に落ちてくる。


 背後から、低い声がした。


「それが、答えだ」


 村山常務だった。


 遥は振り返らなかった。

 振り返る余裕が、なかった。


「真犯人の現在だ」


 映像はすでに停止している。

 だが、遥の網膜には、女の姿が焼きついたままだった。


 ……怒りさえ、湧いてこなかった。


 追い詰めてやろう。

 社会的に、精神的に、徹底的に。


 そう決めていたはずだった。


 だが、画面の中の女は……すでに、何もかもを失っていた。


 尊厳も、立場も、未来も。

 残っているのは、他人の名前を借りた、空っぽの姿だけ。


 遥は、目を離さなかった。


(……生き方は、人それぞれだ)

 それを仕事として選ぶ人間を、否定するつもりはない。

 事情も、選択も、他人が裁けるものじゃない。


 だが……。


 画面の中の女は、あまりにも空虚だった。


 身体の動きは滑らかで、表情は求められている形をなぞっている。


 けれど、目だけが笑っていない。


 床に近い位置に首を押さえつけられ、顔を上げることすら許されない体勢。


 それでも女は、口元を歪め、()()()()()()()()必死に表情を作っていた。


 ——喜んでいるふりを。


 演技なのか。

 それとも、もう感覚が麻痺しているのか。


 唇の端から零れ落ちるものを、女は拭おうともしなかった。


 誇りも、恥も、どこかに置き忘れてきたようだった。


(……違う)


 遥の胸に、静かな拒絶が広がる。


 これは、仕事の問題じゃない。


 この女自身が、自分をここまで貶めるしかなかったという事実。


 這いつくばるような姿勢で、顔を上げられず、それでも「求められている役」を演じ続ける。


 そこにあったのは、欲望ではなく、諦めきった自己否定だった。


 ——惨めだ。


 同情でも、怒りでもない。


 ただ、どうしようもなく、哀れだった。


「……哀れだな」


 村山が、画面を見たまま言った。


「復讐すら、不要なところまで堕ちた。これ以上の報いは、そうそうない」


 淡々とした声だった。

 だが、その言葉は、どんな罵倒よりも重かった。


 遥は、静かに息を吐いた。


 復讐は、果たすものじゃない。

 踏み出す前に、終わってしまうこともある。


 ——もう、終わっていた。


「真犯人がいたら、とことん追い込んでやろうと思ってました」


 遥は、画面から目を離さずに言った。


「でも……もう、いいです」


 声は、驚くほど穏やかだった。


「惨めすぎて。復讐する価値も、ない」


 村山が、低く呟く。


「お前の名前を使うとはな……」


 遥の肩が、わずかに揺れた。


「今も相当、逆恨みしているようだ」


 その言葉が、この因縁がまだ終わっていないことを告げていた。


 会議室には、再生の止まった画面だけが残る。


 真実は、すでにそこにあった。

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