遥の過去編① 誕生の前夜 ― 遥、孤独な開発④
表彰式は東京であり、全国の成績優秀者10名と一緒に、社長を始めとする重役との意見交換会(食事会)があった。
遠方からの参加者は宿泊が認められており、遥はホテルに泊まる事にしたが、咲良はみさきちゃんを実家に預けており、心配だからと大阪に帰宅した。
……咲良と別れて1人で表彰式から帰宅した夜。
遥はホテルの自分の部屋のドアを閉めた瞬間、胸の奥がきゅっと絞られた。
(……課長……)
あのとき言われた言葉が、ずっと耳の奥で響いている。
……あんた、ほんまは女の子のほうが好きなんやろ?
違うと言えなかった。
でも、認めるのも怖かった。
ベッドに腰を下ろしスーツを脱ぐと、袖口からふわりと咲良の移香がした。
おめでとうと、咲良は別れ際にハグをしてくれた……。
途端に、胸がくすぐったくて、苦しくて、切なくなった。
「……課長……」
名前を呼んだだけで、鼓動が跳ねる。
思い出すのは、あの夜……湯気の中で近づいてきた咲良の横顔。
濡れた髪、触れられた首筋、そっと囁かれた低い声。
そのすべてが、遥の心を甘く痺れさせた。
ベッドに仰向けになると、呼吸が自然と少しずつ速くなる。
胸に当てた手が、小刻みに震えた。
(……なんで、こんな……)
触れたくて、触れられたくて。
でも本当は、ただ抱きしめられたいだけだった。
「……課長……好き……」
その言葉を口にした瞬間、涙が滲んだ。
枕に顔を埋め、こらえきれない熱を噛みしめる。
姿勢を変えるたび、体の奥の疼きが強くなる。
理性が、ひとつずつ溶けていく。
まぶたの裏に浮かぶのは、ただひとり。
「……咲良……」
名前を零した瞬間、身体が震えた。
堰を切ったように、胸の奥深くからあふれる甘い波。
それに飲み込まれながら、遥は枕を濡らしてしばらく動けなかった。
(……こんなに……好きだったんだ……)
自分でも気づかなかった本心に触れ、遥はひとり静かに息を整えた。
部屋は静かだった。
起きあがり、ベッドの端に腰を下ろすと、抑えていた呼吸がふっと漏れた。
(なんで言えないんだろう……。なんで隠してしまうんだろう)
シーツに手を置く。
その指先が、震えている。
(咲良課長……私……)
思い出す。
肩に手を置いて励ましてくれたときの体温。
寄り添ってくれた夜のあの匂い。
特許が通ったとき、誰より嬉しそうに笑った顔。
胸が高鳴って、呼吸が浅くなっていく。
(触れたら……泣いてしまう)
その触れる相手は、自分の心の奥にだけいる。
シーツをぎゅっと握りしめるたび、熱がせり上がる。
名前を呼んでしまいそうになる。
唇が勝手に震える。
(……課長……)
吐息が、甘い。
胸の奥から溢れた想いが、身体のすみずみにまで広がっていく。
誰も見ていない。
誰にも言えない。
ただ一人きりの部屋で、抑えようのない熱だけが強くなっていった。
(好き……好きなの、課長……)
泣きそうなほど切実な声が喉で止まる。
やがて、遥はそっとベッドに横たわり、目を閉じた。
咲良の笑顔を思い浮かべるだけで、全身が震えた。
涙がこぼれる。
熱と混じって、枕をじんわりと濡らした。
(こんなの……知られたら……嫌われる)
だから、誰にも見せない。
(……言えるわけない……。でも……でも……)
指先がシーツの端をぎゅっと掴んだ。
その布の柔らかさが、なぜか咲良の手の感触に重なる。
(触れたい……触れたかった……)
ずっと抑えてきた想いが、今夜だけはどうしても収まらなかった。
俯いた髪が頬を滑り落ち、吐息が漏れる。
胸の奥で、波が立つように熱が広がっていく。
(課長……私……好きなんです……)
口の中でだけ告白すると、途端に喉が焼けるように熱く、痛いほどだった。
遥はゆっくりとベッドに背中を預けた。
シーツの匂いがふわりと上がり、そこに咲良の柔らかな香りを重ねる。
目を閉じると——
咲良の笑顔が浮かぶ。
遥の呼吸はさらに甘く乱れた。
背筋がぞくりと震えた。
シーツの上を滑る足先が、熱のせいで思うように力が入らない。
(好き……好き……好きなの……)
言葉がこぼれるたび、身体が勝手に反応してしまう。
もう止められなかった。
咲良の名前を呼ぶように唇が開く。
「……さくら……課長……」
声にならない吐息だけが零れ、指先はもはや自分の意思では動いていないようだった。
熱はどんどん高まっていき、腰がシーツの上で震え、その度に足先がぎゅっと丸くなる。
(課長……触れて……欲しい……)
泣きそうなほど切ない願いが浮かんだとき、遥の身体は小さく跳ねた。
波が押し寄せるように、息が抜けていく。
その瞬間——
遥は咲良の笑顔を思い浮かべたまま、ひとりきりで、静かに震えていた。
枕元に滴り落ちた涙は、熱に混じって乾いていく。
(こんなの……誰にも言えない……課長に嫌われたら……わたし……立ち直れないと思う……)
遥は胸を押さえた。
苦しくて、切なくて、愛おしくて。
でも絶対に届かない感情だった。
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翌週のtalina研究所。
大阪支社に一通の封筒が届いた。
差出人不明。
封は固く閉ざされている。
封筒の中には——
遥の人生を変える“転落のきっかけ”が潜んでいた。
⸻
――神崎遥は“男好き”です。
――社内の複数男性と不適切な関係あり。
――客観的な証拠あります。調査を求めます。
そしてひときわ黒々とした一文があった。
――近く、“本物”を送りつける。
遥が咲良を想い、胸を焦がしていたその瞬間。
別の場所では、すでに嵐が動き始めていた。
この封筒が、遥の未来を大きく狂わせていくことを、まだ誰も知らなかった。




