ひかりの未来②
未来が春樹を食事に誘った翌週。
万博会場は、夏特有の湿度がまとわりつく午後だった。
控室の冷房の効きは弱く、扇風機が無力に空気をかき回している。
私は午前の来場者対応を終え、書類を整理していた。
その時……ひそひそとした声が耳に入った。
「空野さん、この前休みだったでしょ?」
「隣のブースの子と一緒にご飯行ったらしいよ?」
心臓が跳ねた。
作り笑いを浮かべながら資料を閉じた私は、その会話の元を辿らないように視線をそらした。
私は知っている。
春樹が“誰かと休日に会う”なんてまずあり得ない。
仕事の飲み会にすらほとんど参加しない人だ。
やっぱり、ただの“ビジネスの義理”なんだろう。
未来に対しても、春樹はきっと必要以上に深入りしない。
……そう思っていた。
けれど、私は見てしまった。
未来が差し出した一日券の電子チケット(プリントアウトした物)を春樹が受け取っている。
未来は嬉しそうにしていて、春樹は戸惑ったように微かに笑っていた。
私は胸の奥が、きゅっと痛くなるのを感じた。
あの笑顔……職場では絶対に見せない、柔らかい表情だった。
それが悔しくて、悲しくて。
私は自分の机へ戻り、無言でペンを握りしめた。
どうして私はこんな感情を抱いているのだろう。
春樹が誰と食事しようと自由だ。
私はただの同僚で、友達未満の存在でしかない。
しかし、心は簡単に納得してくれなかった。
あの日、夕方。
未来と春樹が入場ゲートに戻ってきたのは閉館間近の時間帯だった。
「すっごく楽しかったです……!」
「ありがとう。案内してもらえるなんて思わなかったよ」
ふたりは入場ゲート近くで別れの挨拶をしていた。
未来は、初対面の頃よりもずっと自然な笑みを春樹に向けていた。
未来はそのまま帰っていく。
春樹はやり残した事があると、Talina研究所のバックヤードに戻ってきた。
扉が開き、すれ違った瞬間、私は平然を装って声をかけた。
「春樹、おかえり。休みなのにあなたもここへ来たのね。お昼、どうだった?」
春樹は何でもない風に答えた。
「ああ。仕事の話もできたし、いい時間だったよ」
「そっか。よかったね」
笑顔で返しながら、
自分の声が震えていないか必死に抑えた。
お昼だけじゃ無い、こんな遅くまで一緒にいるなんて…どうして……。
春樹は……私がどんな気持ちで言葉を絞り出しているのか、気づく様子もなく席に戻っていった。
その背中は、いつも通りだった。
私の世界がざわざわと揺れているのに、春樹は静かに、自分だけの場所に戻っていった。
きっとこれは、私だけが抱く片想いなのだろう。
でも、それでも……「おかえり」と言える距離にいられるなら、それでいい。
私はデスクライトを少し明るくし、溜まったメール整理に取りかかった。
春樹の声が、遠くで誰かとやり取りをする音が聞こえてくる。
その輪の中に私が入ることはない。
でも、隣で見守っていられるなら、それで十分だと。
私は、自分に言い聞かせた。
この時はまだ知らなかったのだ。
春樹と未来の間に起こる出来事が、私自身の人生をも大きく変えていくことを……。




