第1章 ひかりの未来①
私、西園寺ひかりは、職場で“完璧主義な先輩”と呼ばれている。
どんなトラブルでも冷静に処理する。
新人がミスすればさりげなくカバーする。
カスタマーハラスメントに合えば毅然と対応する。
まあ、可愛げはないのかもしれない。
でも、私はこの仕事が好きだった。
「誰かの役に立つ仕事がしたい」
昔からずっとそう願っていたから。
それでも、社内には“私の能力を遥かに凌駕する存在”が一人だけいた。
…空野春樹。
Talina研究所の主任エンジニアで、私と同じ年。
役職こそ同じだが、気づけば彼はずっと先を歩いていた。
春樹は完璧だった。
頭がいいのに驕らず、誰にでも丁寧で、仕事の質もスピードも誰も敵わない。
でも、彼には“影”があった。
昼休み、同僚が笑いながら食事をしている時も、春樹は一人で本を読んでいた。
飲み会にもほぼ来ない。
合コンにも行かない。
仕事以外の話題には一定の距離を置く。
それでも他人を突き放しているわけじゃない。
頼めば必ず力を貸してくれるし、どれほど忙しくても誰かの困った声を無視しない。
……まるで世界から一歩下がって、孤独の中で生きているみたいだった。
私は自分の気持ちを隠していた。
……春樹に淡い恋心を抱いている事を。
そんなある日……万博の会場で機械トラブルが発生した。
私たちのブースではなく、隣の企業の展示だった。
若い女性スタッフが必死で謝り続けている。
汗で髪が頬にはりついても、逃げずに立っていた。
彼女の名は…新垣未来。
その姿を見た瞬間、私は「ああ、誠実な心を持った子だ」と直感した。
そして、春樹も同じように感じたのだろう。
彼は無言で隣のブースに歩いていき、
まるで映画のワンシーンみたいな手際で数分で直してしまった。
「これで動くと思います」
そう言って笑った春樹の横顔は、私の知っている職場の春樹とは少し違って見えた。
未来は、涙が出るほど安心した顔で深く頭を下げていた。
春樹と未来が並んだその場面を見て、胸の奥がきゅっと痛んだ。
……知らない感情だった。
その数日後、スタッフ控室で未来が春樹に言った。
「通期パス……お持ちですか?」
「いや、関係者入場証(AD証)があるからね」
「じゃあ、お仕事以外では万博を回らないんですか?」
未来は、本当に不思議そうに尋ねていた。
春樹は、いつもの落ち着いた声で答える。
「そうだね。仕事のない日に入ることは、あまりないかな」
未来は小さく笑った。
ほんの少し、寂しそうに。
「あ、あの……今度、お昼……ご馳走させてください」
私はその場面を遠くから見ていた。
春樹は、一瞬だけ迷ったような表情を見せたが……
「僕でよければ」と答えた。
私は思った。
“……また仕事上の付き合いとしてだろうな”と。
春樹は同僚の女の子とは絶対に2人だけで食事を一緒にする事は無い…一つの例外(私)を除いて。
でも、外部の人間となれば話は別だ。
万博期間中の人間関係は大事にしなければならない。
無下に断れば、長い期間の仕事に差し障りが出るかもしれない。
だから私は、「はいはい、また“ビジネス飯”ね」
と内心で軽く呆れていた。
それだけのはずだった。
だけど……心のどこかに小さな棘が刺さっているようだった。
どうしようもなく気になって胸が苦しくなる。
まだ、この先に何が待っているかなんて、この時は全く分からなかった。




