スコア
2085年4月 山梨県 国防省バイオエレクトロニクス研究所
2階にある所長室の窓から、花びらをなくしほとんど葉になったサクラの木が見える。その窓の前には大きなデスクがあり、窓のサクラを背景にして研究所所長である野嶋高雄が椅子に座り資料を目にしていた。
「どうぞ」
奥の給湯室から出てきた速水香織は、トレーに持ってきたコーヒーを野嶋のデスクの隅に置いた。
「あ、すまんね」
野嶋は見ていた資料をデスクにおくと、隅に置かれたコーヒーカップをとり、ゆっくりと口に運んだ。
「そう言えば、先日の広報部の会見のとき、女性職員がお茶を持ってきたことで問題になってたぞ。未だに女性にお茶を入れさせるのか、って」
「あらやだ、これは私が飲みたいから入れてるんですよ。所長のはついで」
速水はそう言いながら笑うと、そのまま横の応接セットに行き、そのテーブルに自分のコーヒーをおいた。
「ここは本物のコーヒーが飲めますからね。しかもタダで...」
主要大陸が壊滅的な被害を受けたことによって、日本が輸入に頼っていたものは当然深刻な品不足になっていた。コーヒー豆もそのひとつだった。遺伝子操作や培養などによってある程度ごまかしたものが製造出来るようにはなっていたが、オリジナルはとても貴重なものだった。
「スコア4以上が50%を超えたか...」
野嶋は再び資料を手にしてそう言うと、手にした資料をすぐにデスクに放り投げた。
「官邸から早くしろとせかされているらしい。選挙があるからな」
「え?こんなときにも選挙をするんですか?」
「こんな状況でも、金を追うのが政治家なのだろう」
速水は軽くため息をつくと、コーヒーを飲み気分を切り替えた。
「スコアの条件から年齢を外してそれですから、上も納得するんじゃないですか? 年齢を外さなきゃ統合軍の中ではゼロですけど。でもまぁ、スコアが4を超えれば、システム側の補正で何とかなります。これならほぼ互角になると思います」
「互角か...、今は」
野嶋は不満な様子だったが、速水の言う通り政府を納得させるには十分だろうと思った。
「では、そのスコア選抜で、NCBM量産型パイロットの最終報告としよう」
野嶋はデスクの上に広げられたファイルをまとめると、デスク横の処理済みと書かれたボックスの中に放り投げた。24時間後には自動で廃棄される。
「では、本題に移りましょうか」
速水はいたずらっぽく微笑むと話を続けた。
「今回のリストアップで、どうしてこうも選ばれるのが脳筋優位になってしまうのか、そのスコア条件が気に入らないんですよね」
「脳筋?」
「あ、体育会系、みたいな」
野嶋は脳筋の意味をすぐに理解した様子で、さらに続けるように速水に目で促した。
速水は椅子の横においてあった自分の鞄から分厚いファイルを取り出すとテーブルの上に広げながら話を続けた。
「適正スコアは、いくつかの塩基配列の特徴を基礎とし、神経伝達を考慮した運動能力に関するいくつかの項目をスコアの条件に入れています。しかし、この運動能力がくせ者で、スポーツ能力に特化したものばかり出てきてしまうんです。それはそれで悪くはないのですが、もっと重要なリストを逃してしまっているのでは、と思えるのです」
野嶋は腕を組み、目を閉じ聞いている。自分が重要だと思う話を聞くときは、野嶋はいつもこの姿勢をとっていた。
「これは李依ちゃんのアイデアなんですけど」
野嶋は急に目を開け、速水を見た。
「上田君には、もう話したのか?」
「はい。所長の許可をいただいたその日にすぐ」
「そうか...」
「そのあとすぐに自室にこもってしまったので、急に話したことを後悔したのですが、しばらくして出てきたと思ったら...、だったら、このスコアはおかしいです!って」
速水はファイルから2枚の紙面を抜き出すと、ソファーから立ち上がり野嶋にそのひとつを渡した。
「スコアが5を超えてるじゃないか」
野嶋は渡された紙面を見て驚いた。
「李依ちゃんの考えをもとに、試しに脳筋条件を他の条件に代えてみました」
野嶋はスコアの数字がまだ信じられない様子で、紙面から目を離さなかった。
「スポーツに特化した体は、NCBMの操縦に必要な機敏性の条件をクリアするには良い発想だったのですが、それだとその条件を入れた時点で他の重要な要素を排除してしまっていたのです」
「こんな発想は気がつかないな。ところで、このデータはどこで手に入れた?」
野嶋はやっと視線を紙面から速水に移した。
「あ、民間のサーバーに残っていたものを、山内君がちょこちょこっと」
速水はばつが悪そうに野嶋から目をそらした。
「ハッキングも適度にな」
野嶋はそれを否定はしなかった。
「そのスコアには、神経適正、つまり相性が加味されていません。もしも相性が良ければ、さらに高いスコアになるかもしれません。そうすれば」
「そうだな。政治が絡むと何をやるにも遅くなる。関門トンネルの閉鎖が遅れたのがいい例だ。あの時点で奴らが海を渡れないことはわかっていたのだ」
野嶋は椅子を回転させ、窓から外を見た。そして続けた。
「穴を塞げたからいいってものじゃない、大切なのは決断力と機敏さだ」
「それは研究者の範疇を超えませんか?」
「いや、研究者だよ」
野嶋は、あのときから自分は鬼になったんだと思うようにしていた。
どこまでも鬼になろう。それでいい...。
「そうだ、上田君には私の責任だということをしっかりと言っておいてくれたか?」
「はい、わたしの責任と、ちゃんと伝えておきました」
振り向いた野嶋はやれやれと言った感じで笑っていた。