高校生
2085年3月 愛知県美波高校学生寮食堂
「え、途中参戦か。うわっ、ダブルスコアで負けてるチームだよ」
コントローラーを持ちヘッドセットをつけた梅原賢太郎は、15畳ほどの食堂の片隅におかれたゲームのモニターの前で声に出してそう言った。
やや高く昇った陽の差し込む食堂には4人用のテーブルが4つとそれにあわせた椅子が置かれていたが、梅原の他には誰もいなかった。そんななかに、コントローラーを操作する小刻みな音だけが絶え間なく響く。
ゲームの中で梅原は、高機動な兵士になっていた。マップ内を自由に動き回ることができる5vs5のネット対戦FPSだ。兵士はその機動性の高さからパイロットと呼ばれ、ジャンプをすると腰につけたスラスターの噴射によって、通常の3倍近くの高さまで飛び上がることができ、さらに壁に沿ってジャンプすれば、ある程度の距離の壁走りもできた。それぞれのパイロットは自分のお気に入りの武器を持ち、相手チームのパイロットを時間内にどれだけ倒せるかで勝敗が決まる。
もうかなり長い時間をこのゲームに費やして来た梅原にとって、ランダムで選択されるどのマップも隅々まで知り尽くしていた。
5階建てほどのビルの間を小刻みに左右にジャンプしながら上ってゆく。屋上に着くと思った通り敵のスナイパーがいた。遮蔽物のない広場を通過するパイロットを狙撃するには絶好の場所だ。しかし、それを知っている相手側のパイロットにとっては、スナイパーを狩る絶好の場所となる。
梅原は素早くアサルトライフルの照準を合わせ短くタップ撃ちをした。
ヘッドショット。キル。
動きを止めず、流れを途切れさせないようにそのまま隣のビルに飛び移る。射撃のあと数秒間ミニマップにこちらの位置が表示されるので、その場にとどまっているとすぐに敵がやってくる。
ビルの壁伝いに少し降り、開いた窓から室内に入る。長い廊下の先にボットが数体。キルしながら進むと、ボットの背後から敵のパイロットが現れた。とっさに腰だめで銃を撃つが当たらない。こちらは数発被弾。床をスライドしてすぐにジャンプ、すれ違った敵を捉えるために壁を蹴って向きを変える。正面!トリガーを引く。キル。リロード。
すぐに右のヘッドホンから足音が大きくなる。
「来るな」
その方向に移動しながら、いつでも撃てるように敵の出てきそうな位置を画面中央にする。
予想通りすぐに敵のパイロットが出現。キル。
梅原の後奥にある食堂のドアがちょっときしむ音を立てて開くと、50代くらいの小太りの女性が入って来た。
「こんなときまで、ゲームかね」
笑いながら声をかけるが、ヘッドセットをしてゲームの世界に没入している梅原には聞こえるはずがなかった。彼女もそれはわかっているようだった。
女性は奥の調理場のドアを開けると、そのまま入っていった。
ここは、17歳になる梅原が通う高校の寮だ。
梅原の両親は彼が中学のときに離婚しており、父親側に引き取られたものの高校に入るとそのまま寮に入れられた。それ以来、全く父親からは連絡がない。もともと父親を嫌っていた梅原にとって自分から連絡をとろうと思ったこともなく、連絡がないのはむしろ好都合だった。しかし、生活費は毎月入金されており、学校もこの寮も追い出されることがないことから、学費などもきちんと納められているようだった。
食堂には調理場から時折野菜を切る音が聞こえるようになったが、せわしないコントローラーの音は途切れることはない。
「くそ!」
敵のパイロットとの打ち合いで、梅原は判断ミスをしキルされていた。弾切れの際にリロードしてしまったためにやられたのだ。この場合、リロードするよりもサブのハンドガンに持ち替えた方が速い。
リスポーンして再び走り出す。左から足音がする。ビルの角に向かってグレネードを投げると、一人キル。その背後から敵パイロットが現れた。二人いたようだ。すぐにジャンプして相手の射線から外れる。向きを変え敵を正面に捉えトリガーを引く。ほぼ同時に相手も発砲したが、なんとか打ち勝つことができた。
画面に「勝利」の文字が出る。対戦終了である。逆転出来たようだった。
画面を切り替えポイントを見ると、相手パイロットを13キルしていた。さらに画面を切り替え MVPを見る。当然自分がMVPだと思ったが、なんと同じキル数でふたりがMVPだった。
「hagumimiか、時々見るハンドルネームだな」
梅原は、そういうとゲーム内のロビーに戻りゲームを終了した。
ヘッドセットをとりテーブルに置くと、後から声がした。
「何もこんなときまでゲームせんでもいいのに」
「おばちゃん、いたんだ」
梅原は振り返ると、食堂と調理場をつなぐ配膳カウンターから顔を出す先ほどの小太りの女性に向かって言った。
「出るのは2時くらいでいいんだろ。お昼食べてきな。今作っているから」
「うん、ありがとう」
梅原は配膳カウンターに一番近いテーブルに移動すると椅子に腰掛け、壁に取り付けられたテレビのスイッチを入れた。
ちょうど昼のニュースの時間だった。
男性のアナウンサーがニュースを読んでいる。
「他国に頼っていた鉱物資源でしたが、以前より研究が進んでいたいわゆる現代の錬金技術により鉱物の変換効率が上がり、自国で賄う事が十分可能になってきました。これにより政府は・・・」
ニュースに興味のない梅原はリモコンでチャンネルを変えた。
「・・・不足を補うため、長野県に巨大食料プラントが完成しました。また、新潟県にも現在建設中で、これが完成すれば自給率が100%を越えると政府は試算しています。次は、鉱物資源の問題です・・・」
「本日午後2時より、ケルベロスによって命を落とした市民の追悼式が・・・」
「さて、完成した食料プラントの内部を取材しました」
何度かチャンネルを変えたが、この時間はどこもニュースだった。
梅原はあきらめ、そのまま流すことにした。
今回の世界での出来事に関して、政府は長くマスコミに報道規制を行なってきた。しかし、SNSなどから情報が広がり世界の状況がわかるにつれ、人々は経験したことのない絶望を感じた。アメリカ、中国、ロシア、そしてヨーロッパがいとも簡単に壊滅したことから考えれば、日本も同じ運命を辿るのは明白だった。
そんな絶望感から、当初人々はパニック状態になり各地で暴動が起こった。しかし、それも時が過ぎれば絶望にさえ慣れてしまうのか、置かれた状況に暴動が意味のないことだと悟ったからなのか、徐々に人々の行動は落ち着きを戻し、そして普段の生活に戻っていった。
さらに去年、九州防衛に成功してからは、政府もマスコミもケルベロスとの戦いの成果を大々的に伝え、将来に希望を持たせるくらいになった。
しかし、人類が追い詰められていることに何ら変わりはなく、人々はその恐怖を忘れるために普段の生活を送っているようなものだった。
ニュースは食料プラントの特集から「昨日のケルベロス」に変わっていた。
「昨日のケルベロス」とは、九州から関門トンネルを渡って本州に入り、単独行動をするハナレとなったケルベロスが、昨日はどの地域に出現してどの程度の被害をもたらしたかを伝えるものだった。
ケルベロスの出現は徐々に北上し、関西エリアまで達していた。
「ここも、もうすぐか」
梅原はテレビを観ながらつぶやいた。
「ほら、できたよ」
おばちゃんの声に振り返ると、急においしそうなにおいを感じた。
梅原は立ち上がると配膳カウンターに行き、出された大きめのトレーを手にした。
トレーのお皿には、普段の食事では出ることのないような厚みのステーキがのっていた。さらにサラダとご飯とスープ付きだ。
「どーしたの?こんな肉、すごいね」
「おばちゃんのおごりだよ。さぁ、食べな」
おばちゃんはそう言いながらお茶を入れた湯飲みをトレーの隅に置いた。
梅原はトレーを持ってテーブルに戻ると、いただきますと両手を合わせ、フォークとナイフを手にした。
梅原のもとに堅苦しい雰囲気の封筒が届いたのは1週間ほど前だった。その差出しは国防省バイオエレクトロニクス研究所となっていた。バイオエレクトロニクス研究所とは、バイオマシンの開発をしているところだった。
機動性の向上を図るためBMの後継機として期待されたNCBMは、無接点の神経接続(人と機械の間に物理的な接続がない)による機械のコントロールを基本概念として研究開発が進んでいた。しかし理論上は無接点神経接続は可能と考えられたものの、実際には実用化には絶望と思われるほどの結果しか出すことができなかった。
そんな中で一筋の光が射した出来事が九州でのNCBMの活躍だった。当時エースパイロットとしてメディアのみならず国会をも賑わせ、形勢の逆転を期待されたが、作戦中に死亡と報告されていた。
それから少ししてだった。16、7歳くらいの少年少女にそのような封筒が届くようになったのは。
梅原は食事をすべて平らげ、満足げにおいしかったとつぶやくと、湯飲みに残っていたお茶を飲み干した。
終わりに近づいたテレビのニュースは、ハナレのケルベロスの活動がやや活発になっていることを伝え、視聴者に注意喚起した。そして、最後に番組MCがエースパイロットが再び出現することを願っていると言い、締めくくった。
梅原は立ち上がると食器の載ったトレーを持ち配膳カウンターに行き、それを置いた。
「おばちゃん、ごちそうさま。おいしかったよ」
カウンターから奥をのぞくと、おばちゃんは他の学生たちの夕食の準備の最中だった。するとおばちゃんは準備の手を休め、調理場から食堂に出て来た。
「みんなが戻ってくるまで時間があればよかったのにね」
「でも、そんなにみんなと仲がいいわけじゃないし・・・」
確かにみんながいたところで、何か特別な別れがあるわけではないと思った。
「適正がなければ、すぐに戻れるんだろ?」
梅原はちょっと首を傾げただけで何も言わなかった。
「しかし、こんなヒョロっとした体で勤まるのかねぇ」
おばちゃんは梅原の細い体を見ながらそう言うと、真剣な表情で続けた。
「危険だったら逃げたっていいからね。そのときは帰っておいで。あんたひとりくらいなんとでもなるから、いいね」
すでに家族というものをあきらめていた梅原にとって、おばちゃんの言葉はとてもうれしかった。
「そんなことしたら、おばちゃんまで捕まっちゃうよ」
涙が出そうな状態では、こんな言葉を返すのが精一杯だった。
帰れる場所があるんだ...。
不安な行き先に、嫌だったら本当に逃げてこようかな、と梅原は思った。