面影
2085年9月 滋賀県山間部 統合軍NCBM訓練施設格納庫
立った状態で背部をハンガーに固定されたNCBMに、整備主任の井桁靖志がクレーンを使って上がっていく。そしてコクピットに入る前に立ち止まると振り返った。
「大森、そっちは頼むぞ」
「はーい、了解」
井桁がコクピットに入ったNCBMの横には、巨大なストレッチャーに脚を左右とも大腿部遠位で切断されたNCBMが仰向けになっていた。そして少し離れた位置には運搬用トレーに載った左右の脚があった。
返事をした大森久実子は、綺麗なつなぎに作業用ヘルメット姿で切断された両足の置換の準備にかかっていた。
慣れた手つきでハンドガンのような形をした高周波メスを使い、仰向けになったNCBMの右大腿部の皮膚を切開していく。
大森は作業に集中していると大抵周囲が見えない状態になるのだが、その時はなぜか視線を感じた。顔を上げ視線を感じた方向を見ると、格納庫の廊下側のはめ殺しの窓に小柄な少女が立って中の様子を見ていた。
「あ、あの子は」
このような場所にいる人物は限られている。ましてや少女となると一人しかいなかった。
大森は作業を辞めると手に持っていた高周波メスをトレーの上に置き、少女のいる廊下に続くドアに歩いて行った。
「こんにちは」
ドアを開けると、大森は少女に向かって挨拶をした。
まさか自分に向かって声をかけると思っていなかった少女は、驚いた表情で小さな声で『こんにちは』と返した。
「あなた、あのNCBMに乗っていたパイロットだよね」
「あ、あの、ごめんなさい。あたしのせいで・・・」
おどおどした様子で、少女は頭を下げた。
「あ、ごめんね。そんなつもりで声をかけたわけじゃないんだ。あたしは大森久実子。整備を担当してる」
「あの、水瀬慧です。あの、お忙しいところごめんなさい。あの、ちょっとどうなったのか気になって」
水瀬は再び頭を下げながら言った。
「ああ、機体のことね。大丈夫だよ。すぐ交換できるし。それよりも体は大丈夫だった?」
「あ、はい。大丈夫です。お医者さんも問題ないって」
「そう、よかった」
大森は少し考えると、水瀬の手を取った。
「おいで。見せてあげる」
そう言うと、水瀬の手を引いて格納庫に入った。
「井桁主任!パイロット見学です。許可お願いします」」
大森はヘルメットについたインカムのマイクに言うと、すぐに井桁が NCBMのコクピットから顔を出ししばらく水瀬を見た。
「どっちだと思ったら、慧ちゃんか。いいぞ。ヘルメット着用な」
大森はすんなりと許可されてたことよりも、『慧ちゃん』と呼んだ事に驚いた。
「あれ?主任と知り合い?」
大森はドア近くにある棚からヘルメットを取り出すと、水瀬にかぶるようにと渡した。
「井桁さんは父の知り合いで、時々家に来られていました」
水瀬の言葉に大森は少し考え込んで、そして驚いたように声を出した。
「ひょっとして、水瀬先生のお子さん?」
「あ、水瀬・・・吾郎はあたしの父です」
大森は大きく息を吐くとそのまま俯き小さな声で言った。
「そーだったんだ・・・」
「父を知っているんですか?」
話が途切れないように気を遣ってか、水瀬が言った。
「あ、学校で授業を受けたことがあってね・・・。あたしがこの道に進むきっかけをくれたんだ」
その時、大森の耳に声が響いた。
「コラァ!手を休めるな」
井桁だった。
「すみません」
大森は井桁のいるコクピットに向かって頭を下げると、先ほどトレーに置いた高周波メスを取った。
「こっち来て。置換するとこ見てもいいよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
大森はちょっと嬉しそうに返事をする水瀬の顔に、水瀬吾郎の面影を見た。
「聞きたいことがあったら、いつでも聞いていいからね」
大森はそう言うと、皮膚切開の続きを始めた。
そして手慣れた感じで筋肉を切断すると、高周波メスの出力を変えてNCBMの大腿骨ともいえるフレームを切断した。
水瀬は時折『すごい』と驚きの声を上げながら真剣に大森の作業に見入っている。
次に大森は置換用の脚部が載った運搬用トレーを、先に切断したフレームに接続位置がぴったり合わさるように操作した。
そして、骨格接合用の器械を持つとフレームを接合した。
「さて、これからが重要なとこ」
大森は水瀬に向かってそう言うと、すぐに軟部接合用の器械に持ち替えた。
今度は神経系、循環系、筋肉を接合してゆく。ここで接合箇所を一つでも間違えるとNCBMは正常な動作ができなくなる。損傷部の置換で最も神経を使うところだった。
水瀬にもそれが解るのか、大森の処置を一言も声を出さずに息を殺すようにじっと見ていた。
大森は接合箇所に間違いがないか数回確認すると、器械を換えスプレー状に培養促進剤を吹きかけた。接合部分が跡を残さず癒合していく。それを見たのち最後に皮膚を寄せて同じく培養促進剤をスプレーした。
「ふぅ。片足終了」
大森はほっとした様子で額の汗を首に巻いていたタオルで拭き取ると水瀬を見た。
「ね、けっこう簡単でしょ。だから機体のことは心配しなくていいよ。自分の安全を考えてね」
「あの、父もこんなふうにしてたんでしょうか?」
水瀬は実際に父親が仕事をしているところを見たことがなかった。
「そうだけど、あたしよりも何倍も速かったと思うよ」
大森は笑った。
しばらく水瀬は何も言わなかった。父親のことを考えているのだろうと大森は思った。
「さて、残りの足も交換しなきゃ。後は自由行動。飽きてなきゃこのまま見ててもいいしね」
そう言って汗を拭いたタオルを首に巻いて、つなぎに押し込んだところで水瀬が口を開いた。
「これって、医療からの技術だってNCBMの授業で聞いたんですけど、人でもやってることなんですか?」
大森は水瀬のそんな質問にちょっと驚いたが、考えてみれば水瀬の父親はもともと外科医だったわけで、そんなことを聞いてきてもおかしくはなかった。しかし、父親が亡くなったことに関連付けているのなら、ひょっとしてもしもこの技術が使えたなら父親が死ななくて済んだと考えているのではないか、とも思った。
「そうだね。これが人にもやれたらよかったのにね。でも、動物実験の段階から実用は不可能って言われたの」
簡単に説明を済ますつもりだったが、続きを聞きたそうな水瀬に大森は続けた。
「BMで使っている薬剤、培養促進剤って言うんだけど、それを生体に使うと反応した体の組織が異物として認識されて治癒が阻害されてしまうの。で、異物としての反応を抑えようとすると、今度はそれが腫瘍化してしまう」
大森がNCBMの整備だけをしてきたのなら、こんな話はできなかっただろう。水瀬にはちょっと難しいかな?と思ったが、興味ありげに聞き入っていた。
「だったらその異物の反応を起こす事に関連するDNAの遺伝子配列はなんだってことで血眼になって探したけど、結局見つかる前にケルベロスの出現が起こってしまったんだよ。まぁ、多少は人の医療にフィードバックされてるらしいけど、BMほど利用されていないかな」
そこで大森はちらっともう一機の NCBMのコクピットを見た。井桁はコクピットの中にこもっているようだった。また怒鳴られる前に作業を始めようと、大森は高周波メスを持った。
水瀬は大森の話に納得すると、置換の終わった足の皮膚の傷が徐々に薄れて、そして消えてゆくのをじっと見ていた。




