シミュレーター
2085年5月 山梨県 国防省バイオエレクトロニクス研究所
梅原賢太郎は、研究所に隣接して建てられた宿泊施設の3階にある1室からサクラの木をぼーっと見ていた。
梅原がここに来た時にはサクラの花が咲き始めた頃だったが、今では花は完全に散り、新緑の葉が生い茂っていた。
この1ヶ月ちょっとの間、採血とか頭のMRIとかいろいろな検査が、もう何度やったかわからなくなるほど繰り返し行われた。その度に、最初は10人ほどいた学生は徐々に数を減らしていき、次に外されるのは自分かと毎回思っているうちに、とうとう最後のひとりまで残ってしまった。
「おはよーございまーす!」
約束の時間の9時ぴったりに、ノックとほぼ同時にドアを開けたのは上田李依だった。
この施設に来た時、最初のミーティングで話をしたのは上田よりももう少し年上の女性だったが、それ以来テストの時にはいつも上田が付き添ってくれていた。
上田も研究所に来たばかりの新人だと言って、会った当初はかなり緊張した様子だったのを覚えている。しかし、最近の研究所のスタッフとの接し方を見ると、今ではすっかりこの環境に馴染んでいるようだった。そんな上田を梅原は、『社会に適合しやすい性格っていいな』と思った。
「さて、本日のミッションは、シミュレーターに乗って適合のテストを行ってもらいます。じゃぁ、ついてきて」
上田はそう言うと、にこっと笑った。
最近、梅原は上田のこの笑顔が少し心地よく感じるようになっていた。毎回、テストの度に見せるこの笑顔を、最初はテストの不安もあって何か企んでいないかと警戒していたのだが、どうやら考え過ぎだったようだ。
こんなことがあった。採血を何度か続けて行うことがあり、はじめのうちはスムーズに採血出来ていたのだが、何度も血管に針を刺すうちに血管が腫れて来たようで、看護師が血管を探すために何度も腕に針を刺すこととなった。そのうち梅原は気分が悪くなり貧血を起こして倒れてしまった。
その時の上田の慌てぶりは尋常じゃなかった。
看護師が『少し横になっていればすぐによくなるよ』と冷静に言っているのに、上田は自分が貧血を起こすんじゃないかというような顔色で、ベッドまで体を支えてくれたり水を持ってきてくれたりと世話をしてくれた。そんな上田の様子を見て梅原は、『この人ほんとに心配してくれているんだ』と感じ、その時を境に笑顔に対する警戒心が消えたのだった。
上田について研究所に入り2階の廊下を歩いていくと、突き当たりの大きな部屋がシミュレーター室だった。ドアには『使用中』のランプが点いている。
「上田、入りまーす」
上田はそう言ってノックするとドアを開け、梅原を先に中に入れた。
入ってすぐの20畳ほどのスペースにはモニターのついた長いテーブルがあり、たくさんのスイッチやメーターが並んでいた。テーブルの正面の壁の中央には50インチほどの大きなモニター、そしてその左右にはその1/3ほどのモニターがそれぞれ3つずつ配置されていて、シミュレーターのコントロールルームとなっていた。
コントロールルーム左側の1段下がった広いスペースの中央には、跳ね上げ式のゲートが開いた直径3メートルほどの球形の物体がおかれ、周囲には数人のスタッフがタブレット端末を見ながら何やら話をしていた。
「さぁ、ここに座って」
上田は梅原にコントロールルームの端においてある椅子に座るように指示した。
「テスト始めます」
スタッフの声がすると、球形の物体のゲートが閉まった。それがシミュレーターのコクピットだった。
シミュレーターの周りにいたスタッフがコントロールルームに戻ってきた。
「あ、梅原君、おはよう」
梅原に気付いて最初に声をかけたのは速水香織だった。すると他のスタッフも次々と声をかけてきた。
「おーっす」
「おはよう」
「いよいよシムか」
「気を楽にね」
「あとでジュース奢ってやるよ」
みんな気軽に声をかけてくれる。
梅原はちょっと緊張しながらその都度言葉を返した。
「じゃぁ、ちょっと仕事してくるから、ここでモニターを見ててね」
上田は梅原にそう言うと、大きなモニターの前のコントロールパネル中央に座る速水の隣の椅子に向かった。
「開始します」
速水が言う。
中央の大きなモニターには、両腕でアサルトライフルを持ち片膝をついてしゃがんでいるNCBMの姿が3DCGで描かれている。右の小さなモニターにはコクピット内でヘルメットをかぶったパイロットの姿があり、その他のモニターにはいろいろな数字やら、グラフやらが表示されていた。
「古川中尉、起動に問題ないですね」
ヘッドセットをつけた速水が、コクピット内を映すモニターを見ながら言った。
「問題ない。はじめてくれ」
スモークのバイザーなのでパイロットの表情はわからないが、もう何度もシミュレーターに乗っているのか落ち着いた口調だった。
「では、まず立ち上がってください」
速水の声にあわせて、コクピットのパイロット~古川が軽く左右のレバーを動かすと、中央のモニターのNCBMがゆっくりと立ち上がった。
「接続率60%、アシスト可能範囲内です」
ヘッドセットつけた上田が速水に言う。
「アシスト補正操作率100%、テスト進行問題ありません」
上田の横に座る男性スタッフが、そう言いながら記録のためにキーボードを叩き続ける。
「古川中尉、前進してください」
「了解」
古川がレバーを動かすと、NCBMはゆっくりと歩きだした。
「走ってください」
モニターの数字やグラフが細かく変化した。
「全速」
「CPU負荷上昇、温度70度を超えます。冷却率100%」
「全速10秒、最大ジャンプ、そして急制動」
NCBMはダッシュすると大きくジャンプし、着地と同時に足を滑らせながら急停止した。
「次、ターゲット」
「地面固定ターゲット出します」
速水の言葉にすぐにスタッフが応える。
すると、NCBMの前方の地面に円形の的が現れた。
NCBMはそれに向かって走り出すと、ライフルを構えトリガーを引いた。
「ターゲット破壊」
「次、空中、移動ターゲット」
速水の言葉に反応して古川はレバーを操作し、上空に現れた的となるドローンを正面に捉えるとライフルを撃った。
「ターゲット破壊」
「次、2つ」
「破壊」
「さらに5つ」
NCBMは現れるターゲットを次々に破壊していった。
「すごい」
モニターに映るNCBMの様子を梅原は瞬きを忘れて見入っていた。
「実際の機体もこんなに速く動けるのかな」」
BMの戦闘シーンは何度かニュースで見て知っていたが、動きはどこか重たげな印象だった。しかし、モニターの中のNCBMは、3DCGとはいえ全く重さを感じさせないほど軽々と動いていた。
「データ記録OKです」
「中尉、完了です。30秒ほどゆっくりしてからコクピットを出てください。おつかれさまでした」
速水はヘッドセットをおくと上田を見て目で合図した。上田はうなずき立ち上がると梅原の座っているところへ行った。
「さぁ、いこうか」
「ぼくもあんな風に動かせるんでしょうか?」
上田に促され立ち上がった梅原は、先ほどの興奮が残っているまま上田に聞いた。
「その可能性があるから、ここにいるんだよ」
そう言うと上田はいつもの笑顔を見せた。
コントロールルームから1段下がったフロアに行く階段を降りると、ちょうどシミュレーターのコクピットから古川が出てきたところだった。古川はすぐに梅原に気付くと声をかけてきた。
「君が選抜の民間人か」
梅原が少し戸惑っていると、代わりに上田が話しだした。
「中尉、だめですよ、子供をいじめちゃ」
「そうだな、まだ子供だもんな」
古川は優しく微笑んだ。
「大丈夫だ。我々がちゃんとやる。君たちに怖い思いはさせないよ」
そう言うと梅原の肩を軽く叩き、コントロールルームへの階段を上って行った。
梅原がシミュレーターに目を移すと、背後で速水と古川の声がした。
「中尉、あとで正式な辞令が届くと思いますが、中尉を含めた5名は次のステージに行っていただきます」
「滋賀か、了解」
すぐにドアの開く音がして、古川は部屋を出て行った。
「これがNCBMのシミュレーター用コクピットだよ。座ってみて」
上田の言葉に梅原はコクピットを覗き込んだ。
シミュレーターの中は全周囲モニター用のパネルが全面にはめ込まれており、後方から伸ばされたアームの先にはちょうどコクピットの中央に位置するようにシートがあった。シートの左右にはいくつかのスイッチと操作レバーがあり、足下のフットレストにはペダルがついていた。
『アニメで見るそのものだ』、梅原は緊張しながらも少し滑稽さを感じた。
上田は梅原と一緒にコクピットに入ると、フットレストに足をかけた梅原の体を支えた。梅原はぎこちなく体の向きを変えるとシートに収まった。
「右のレバーの内側にある緑のスイッチを押してみて」
上田が指を刺す先にあるスイッチを押すと、足下にあったパネルがせり上がってきて梅原の正面に固定された。それは21インチほどのタッチ式のモニターで、固定と同時に電源が入るとすぐに起動画面となり、また全周囲モニターにはCGによる周囲の疑似映像が映し出された。
「これは、NCBMの本物のコクピットだよ」
梅原の座るシートのシートバックに手をかけながら上田は説明を始めた。
「細かい操作はあとでいいから、今日はとりあえずどんな感じか雰囲気を味わって」
上田はシートの横にかけてあったヘッドセットをとると、梅原に渡した。
「これを通して外からの指示が来るし、君の声もあたしたちに届くからね」
ヘッドセットはゲームでいつもつけていたので、装着に違和感はなかった。
次に上田はシート横に巻き取られているシートベルトを引っ張りだしたが、少し考え込むともとに戻した。
「実機ではシートベルトするけど、今日はいいか」
梅原は左右のレーバーを手で握ってみた。それはゲームのような見た目だったが、握った感じは手に馴染めないくらいに大きく、かなりの違和感があった。
「じゃぁ、あたしがこの中にいるとテストの邪魔になっちゃうから出るね」
上田はそう言ってコクピットから出ようとしたが、すぐに体を戻すとタッチパネルのキーボードを操作した。
「大変なこと忘れてた。これでよしと」
目の前のモニターの隅で『assist』の赤い文字が点滅し出すと、それを確認して上田は外に出た。
「あ、え、待ってください」
まだ説明が続くと思っていた梅原は慌てて上田を呼び止めた。
「あの、まだ、動かし方を教えてもらってないんですけど。これで前進ですか?」
梅原はゲームの感覚で、レバーを前に倒すジェスチャーをした。
「そのレバーとかフットペダルとか、君の場合は飾りだから」
梅原は上田が何を言っているのか理解出来なかった。
「まぁ、雰囲気は大切だから、レバーを前に倒した方が進みやすかったら思ったように動かしていいよ」
梅原はますます混乱した。先ほどの古川は確かにレバーとペダルを動かして機体を操作していたように見えた。しかし、それが飾りだとしたら、いったいどうやって動かしていたのだ?
「上で指示するから安心して。じゃぁ、ハッチ閉めるね」
上田が外のスイッチを押すとハッチがゆっくりと閉じ始め、閉じる隙間から階段を上る上田の後ろ姿が一瞬見えた。
ハッチが閉じるとその壁も全周囲モニターの一部となり、映し出される周囲の広大な映像によって梅原はひとりぼっちになったように感じた。
周りをよく見てみると、そこは赤茶けた地面が続く荒野だった。時折吹き上がる砂塵まで再現されている。
「ゲームの世界よりもリアルだな」
CGで作られた世界はゲームで慣れているものの、対戦相手のいない世界にひとりきりになるのは何か現実の世界の孤独に近いものがあった。
「梅原君、聞こえる?」
急にヘッドセットから上田の声がして、梅原は今実際自分がどこにいるのかを思い出した。
「速水先輩の許可をもらったので、あたしがサポートしまーす」
スタッフの笑い声が小さく聞こえた。
「返事は?」
「あ、はい、お願いします」
あわてて反応すると梅原は左右のレバーに手をかけた。
「梅原君の機体は、現在片膝をついたしゃがんだ状態です。まずは立ち上がりましょう。どうぞ」
『どうぞって、おちょくられているのか?』梅原少しイラッとして適当にレバーを動かしてみた。しかし、機体は全く反応しない。
「ん~、なんて言うのかなぁ。自分が立ち上がろうとする時って、まずどこかを動かして次に別のところを動かしてなんて考えないで、すっと立ち上がれるでしょ。そんな感じ」
上田が何かを伝えようとしている気持ちを梅原は感じたが、それでも何を伝えようとしているのかは全く理解できず、やはりからかわれていると考えた方が納得出来た。
「上田さん、動かし方を具体的に教えてください」
梅原は懇願するように言った。
「あたし自身が動かせるわけじゃないから、うまく言えないんだけど・・・。じゃぁねぇ、自転車に初めて乗れた時のこと覚えてる?」
それが具体的?梅原はそう言って突っ込もうとしたが、上田の真剣な話し方からもう少しつき合うつもりで考えてみた。
「ああ、具体的な乗り方よりも、気がつけばいつの間にか乗れてた・・・かな?」
「そうだよね。何も右のペダル踏んで、次左踏んでなんて教えてもらわなかったよね。その時の様子思い浮かべてみて」
梅原少しあきれながらも目を閉じると、言われるままに初めて自転車を自分ひとりで乗ることができた時の様子を思い出し始めた。
なぜだろう?不思議とそれは鮮明に蘇ってきた。
あの時は、小学生の低学年だった。そうだ、自転車の練習をしているときはまだ家族があった。
ある日曜の夕方、母親が作る夕食までに時間があったので、父親は自転車の練習をしようと、梅原を外に連れ出した。そして梅原の補助輪付きの自転車を車庫から出すと、工具を持ってきて左右の補助輪を外した。
後ろで支えてるから大丈夫だと笑いながら言う父親の言葉を信じて、裏の空き地で梅原は自転車にまたがった。
まず、空き地の端までまっすぐに自転車を走らせた。後では父親の走る足音がした。
空き地の端まで行くと向きを変えまた走らせる。補助輪がなくなった緊張で、肩には力が入りスピードを落としてはいけないと左右のペダルを踏むことを一生懸命考えていた。
陽が傾き少し薄暗くなった中、何度か向きを変え走らせているうちに流れる風がとても気持ちよくなって、いつしか肩の力は抜けただ前に向かって進んでいるという感覚になった。ふと横を見ると、父親が空き地の端で休みながら微笑んでいた。
「意識とは別に脳がダイレクトに体を動かしている感覚...」
梅原は遠い記憶の中でそう思うと、ふと出来そうな気がした。
ゆっくりと目を開ける。すると全周囲モニターに映る地面が下がって行くように見えた。
「立った」
梅原が声を出した直後、モニターの中のNCBMはバランスを崩したかのように後ろに傾くとそのまま倒れ込んだ。
コクピットの中ではモニターの正面にきれいな青い空が映っていた。それを見て梅原は大きくため息をついた。
「すごい」
梅原のNCBMが立ち上がろうとしているとき、スタッフのひとりが驚きの声を出した。
コントロールルームのモニターに表示されるconnection rateの数字が見る見るうちに高くなって行く。
「接続率が95を超えたね。96、97、98、99...、まさか100」
モニターの数字を見つめる速水は驚きながらもどこかうれしそうだった。
「これが大人には出来ないこと」
その直後、NCBMは仰向けに倒れた。
「よし、今日はこれで十分。終了して」
上田がコクピットを開けると、梅原はうなだれるようにシートに座っていた。
「おつかれさま。がんばったね」
「ごめんなさい。倒しちゃった」
何とも情けない顔をする梅原を見て、上田は思わず吹き出してしまった。
きょとんとする梅原。
「あ、ごめん。倒したって、別に壊れる訳じゃないし」
「そっか...」
上田は梅原に手を差し出し、シートから立ち上がるのを手伝った。
あの軍の人はあんなにうまく動かせたのに、どうしてぼくは立ち上がることすら出来なかったのだろう。コクピットから出る梅原の頭はそんな疑問でいっぱいだった。
コントロールルームに行くと、速水が声をかけてきた。
「よかったよ。今日は、もう休んで」
優しく笑っている速水の後で他スタッフも笑顔を向けていた。
うまく出来なかったのに、どうしてそんな風に言うのだ。梅原は何か馬鹿にされているようで、込み上げてくる怒りを力一杯手を握って耐えていた。しかし、その一方で、こんな出来じゃ、きっとお払い箱だろう。すると、急に寮のおばちゃんの顔が浮かんできた。
もう、帰れるんだ。おばちゃんのとこに。
そう思うと、込み上げる怒りも徐々に消えて行った。




