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2083年5月 神奈川県 国防省統合軍参謀本部 本部長室
「アジア大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、穴から陸続きの地域はすべて壊滅状態です。どうやら、奴らは海を渡れないようです」
本部長室の大きな窓はシャッターが閉じられ、薄暗い照明が灯されていた。天井のエアコンの吹き出し口からは微かな風の音がしている。
国防省統合軍大佐篠原大輔は応接セットのソファーに座り、端末のタブレットを見ながら話を続けた。
「イギリスは決断が早かったですね。ユーロトンネルを爆破した事により、奴らの侵入を阻止出来ています」
「海に囲まれた日本は単にラッキーだったと言うことか」
篠原の正面にゆったりと座る統合軍参謀本部本部長大川平蔵は、右手で眼鏡の位置を直しながらそう言うとテーブルに置かれてあった自分のタブレットを手に取った。
「ご覧の通り、オーストラリアと、アジア圏では他に台湾、フィリピン、インドネシアなどが健在で、被害なしと連絡が取れています」
大川の端末は、篠原の端末とミラーリングしている。
「壊滅状態となった各国の政府関係者など一部は巨大地下シェルターに避難して生き延びていますが、間もなく物資が枯渇すると救助の発信を行っています。それに応え政府はアメリカに空母を向かわせようと動いているようですが」
「反応の遅さもさることながら、行ったところで何も出来んだろう」
大川がツッコミを入れるように言うとさらに続けた。
「それにしても、イギリス軍の攻勢に少しは期待したのだが、ああもあっさり壊滅するとはな」
1週間ほど前、イギリス軍はヨーロッパに向けて、大量の自律型兵器及び遠隔無人兵器を空と地上から投入した。しかし、ものの数時間で全滅していた。
「かなり高性能な兵器だと聞いていましたが。何か問題でもあったのでしょうか」
「分からん。周囲の状況を確認する時間すらなく潰されたようだ」
それ以降、イギリスから情報が入ってこないのは、もう打つ手なしと言うことなのかもしれないなと篠原は思った。
「すでに地上に生存者はいないだろうな」
大川は、手にしていた端末をテーブルに置くと話を続けた。
「他国と親密な関係にある議員が、現場に行くので軍の飛行機を飛ばせと言ってきた。状況がわからない中、ひとりで行くのは構わないがパイロットを危険な目に合わすわけにはいかない。また、与党は統合軍を動かすように働きかけている。しかし、現場に行って何ができる? 奴らに金でも渡して引っ込んでもらうのか? 何の意味もない。金に頼ってきた政治家は、この状況じゃ慌てて地下シェルターを造る以外何も出来んよ」
地下に巨大シェルターを建設中との噂が流れてきていた。実際、動きはあるので噂ではなく事実なのだろう。それを隠していると言うことは、政治家たちが入ることを前提としていることは明らかだった。
「まぁ、隠れたい奴は地下深くに隠れていてもらったほうが都合がいい」
大川はそう言うとソファーから立ち上がり自分のデスクに行くと、引き出しから分厚いファイルを取り出しそれを篠原に渡した。
「我々の話をしっかりと聞いてくれる政治家もいる」
篠原は受け取ったファイルの厚みが指紋認証のカバーであることに気がついた。登録してあるごく限られた者にしか開くことができない。中身はデジタルファイルだろう。もしも無理に開けようとすれば、一瞬でデータが完全に消去される。
「これは」
篠原は驚きを声にした。
「まぁ、今となってはここまで秘密にする必要もないのだがね。これから忙しくなる。今日のうちにすべて目を通しておいてくれ」
篠原は受け取ったファイルの厚み以上の重さを感じた。
このファイルからどんな未来が出てくるのか、何が始まろうとしているのか、突発的な世界の出来事に、篠原は今までに経験したことのない不安と恐怖を感じながら、いつもと変わらない様子で椅子に座る大川を見ていた。
数週間後・・・。
『残忍で凶暴な悪魔に、我々の巨大な国家でも立ち向かうことはできなかった。弱小な国しか残っていない今、人類は滅亡したに等しい』
これを最後に、海外の地下シェルターからの通信が完全に途絶えた。