第5話 矛盾の中で
強権的な鎮圧により、地方の混乱は一時的に収束したかに見えた。しかし、王政崩壊後の混沌はあまりにも深く、パルメリアを中心とした新政権にはすでに暗い影が忍び寄っていた。
その日、パルメリアは首都の臨時議会が使っている館の一室に現れた。室内には外務を担当するレイナーと、内務・治安維持を担当するユリウスが顔を合わせ、山積みの書類に目を通している。二人の表情は硬く、室内には緊迫した空気が漂っていた。
(ふたりとも、私が来るのを待っていたようね……でも、嫌な予感がする。こんな顔、そう滅多に見せないもの)
パルメリアが部屋に足を踏み入れると、最初に立ち上がったのはレイナーだった。疲れがにじむ瞳に、わずかに鋭さを含んだ光が宿っている。
「パルメリア、来てくれて助かる……正直、まずい話があるんだ。最近の「武力鎮圧」が周辺諸国に悪い印象を与えて、外交的に厳しくなりそうなんだ」
彼はテーブルの脇に置かれた資料を手に取り、言葉を選ぶように続ける。
「どの国も、王政を倒してできたばかりの共和国が民衆をさらに虐げているのではないかと疑い始めている。内乱を抑えるには対話より武力を選ぶ危険な政権と見られるようになれば、こちらから友好を求めても警戒されるばかりだ。僕が懸命に説得しても、うまく信用を得られないかもしれない」
レイナーの声には焦りと危機感がにじんでいる。パルメリアは彼の懸念を予感していたようで、小さく眉を寄せた。
「わかっているわ、レイナー。私だって、そんな形で名を馳せたいわけじゃない。でも、現実に火種が各地でくすぶっている以上、やむを得ない面もある……あなたの焦りも理解しているつもりよ」
彼女の言葉を遮るように、ユリウスが声を上げた。
かつて革命派のリーダーとして王政打倒に大きく貢献した青年。今は「内務・治安」を担当しつつ、その責任に苦しんでいる。
「問題は外交だけじゃない。革命は、民衆の自由と平等を勝ち取るためだったはずだ。それなのに、力で農民や反対派を黙らせるのは、革命の理念を自分で踏みにじっているように見える」
ユリウスの瞳は鋭く、震える拳がその思いの強さを物語っていた。
(彼がこんな表情をするなんて、よほど追い詰められているのね……でも私だって、好き好んで強硬策を取っているわけじゃないの)
パルメリアは二人の意見を頭では理解しながらも、深いため息をつく。レイナーが懸念する外交問題、ユリウスが突きつける革命の理念――どちらも無視できない。しかし、目の前には反乱が各地で勃発しており、放置すれば被害が拡大する一方だ。
「けれど、あの旧貴族たちは自分たちの権力を取り戻そうと必死だし、農民たちは飢えや貧困に苦しんでいる。全てを対話だけで解決するには、あまりにも時間がかかりすぎるの。今は、国が瓦解しないようにするだけで精一杯なのよ」
言葉には、少し棘が混じる。それでもユリウスは譲らなかった。険しい顔で反論する。
「それが理由で、民衆に剣を向けても構わないのか? 自由と平等の国を作ると言いながら、民を抑圧するなんて、矛盾しているじゃないか」
その言葉に、パルメリアの胸が痛む。レイナーも視線を落とし、さらに続けた。
「僕だって君が苦しんでいるのはわかる。でも……外交の面はもう限界なんだ。君が力を使えば使うほど、危険な政権という評価が加速してしまう。周辺諸国からの協力や貿易が途絶えれば、内政の混乱はますます悪化する」
会話はもはや、正面からぶつかり合う形ではなく、互いの懸念を押し付け合うような状態になっていた。誰もがこの国を救いたいと思っているが、今はその方法や優先順位がかみ合わない。
「私は革命の理念を捨てたわけじゃない。誰もが救われる社会を築きたい。でも、そのためには最初に混乱を抑えなきゃならない。私たちが悠長に構えているうちに、荒れ果てた町や飢えた人々が増えて、国全体が立ち直れなくなる可能性だってあるのよ」
パルメリアは、少し声を強めた。ユリウスは苦々しげに顔を背け、レイナーはその間に入ろうとするが、言葉を選びかねていた。
やがてユリウスが髪を乱暴にかき上げ、低くつぶやいた。
「わかったよ。確かに放置すればもっと悲惨なことになるかもしれない。でも、これ以上民を傷つければ、革命そのものの正当性が失われる。……俺はその矛盾に耐えられない。どうしても苦しくなるんだ」
その言葉にうなずきながら、レイナーが控えめに付け足した。
「正直、僕も他国から力による支配と疑われるのが心配なんだ。支援が欲しくても相手が警戒してしまう。国際的な信頼を築くことなくして、持続的な復興は難しい。……無理矢理押さえつけるだけでは限界があるんじゃないかな」
パルメリアは言葉を選んだ後、黙り込んだ。二人の言葉はどちらも真実だ。けれど、そのどちらかを優先しても、国の現実を乗り越えられない恐れがあった。
「……わかるわ。私だって、どこまで強行策に頼るか、毎日自問している。けれど、全て対話だけで解決できるなら、私も最初からそうしているわ」
「……それは、確かにそうだね。」
レイナーが苦しげに応じる。
ユリウスは唇を噛みながら、言葉を続けた。
「でも、このままじゃ仲間だって離れていくぞ。現に一部の革命派は政府のやり方に失望したと距離を置き始めてる。農民も、期待したのに裏切られたと感じている。俺は……」
そこで、ユリウスは言葉を飲み込んだ。恐らく本当は「俺だって見限りそうだ」と言いたかったのだろう。しかし、かつての絆が、最後の一線で感情を押しとどめているようだ。
パルメリアは痛む胸を押さえるように、テーブルの上で組んだ指に力を込めた。
「……もう、これ以上は何を言っても平行線になりそうね。ユリウス、あなたの不安な気持ちはわかる。でも、私は国を崩壊させるわけにはいかない。レイナー、他国からの懸念に配慮しながらも、当面は武力を含めた対策が必要よ。いずれは混乱を収めて、穏やかな政治へと移行させたい。それが今の私にできる精一杯の考えよ――今は、それしか言えないわ」
室内に重い沈黙が落ちる。わずかな息遣いすら聞こえそうな静寂の中、ユリウスは小さく苦笑しながら立ち上がった。そしてパルメリアをじっと見つめ、深く息をついた後、背を向けて歩き出す。
「……わかった。しばらくは、俺も内務担当として君の方針に従うが、理想を諦めるつもりはない。もしこのまま暴力に頼った国づくりを続けるなら、俺はどこかで声を上げるかもしれない」
その言葉を残し、ユリウスは部屋を出て行った。レイナーは肩を落とし、パルメリアに視線を向ける。
「彼の気持ちもわかってあげて。ああ言うのは、裏を返せばそれだけ君を信じているからこそだと思うよ」
パルメリアは軽く目を伏せ、唇を震わせながら答えた。
「わかってる。だからこそ辛い。彼の言う通り、私が短絡的に強権を振るうだけなら、それは革命の理念を否定することになる。でも、今起きている問題は、まるで火が四方八方に広がっているように感じる。誰かが消し止めなきゃ、どんどん悪化するばかりよ」
レイナーは静かにうなずき、無言で部屋を後にした。
部屋に残されたパルメリアは一人、椅子に腰を下ろす。さきほどまでの激しい衝突が嘘のように静まり返った空気の中で、胸に重くのしかかる不安はむしろ強まっているように感じた。
(ユリウスとレイナー、二人は一心同体で王政に立ち向かってくれた仲間。今も、実際は私を責めたいわけじゃなくて、国をどう救うかを真剣に考えているだけ。それなのに、どうしてこんなに意見が食い違うの?)
視線を落とすと、そこには増え続ける報告書の束があった。内容には「農民デモの再燃」「旧貴族派の武装蜂起」など、混沌とした現実が列挙されている。
もしこれらを放置すれば、国全体が火の海になるかもしれない。しかし、武力で抑え込むと、革命の根幹――民衆の支持を失ってしまう恐れがある。
「……私の手は、どれだけ汚れてしまうのだろう。前世の私には、こんなに重い責任とは無縁だったのに……」
小さく息をつきながら、パルメリアは再び机上の書類を手に取った。
王政を倒したばかりの頃は、仲間たちと手を取り合い、理想を語り合っていた。しかし、現実はあまりにも過酷で、意見の対立を避けられなくなっている。彼女がその先を懸念している間にも、時間は容赦なく流れていく。
窓の外を見れば、首都の空は灰色の雲に覆われ、その色がまるでこの国の未来を暗示しているようだった。パルメリアは小さく肩を落とし、微かな声でつぶやいた。
「何か……何かうまく打開策があればいいのに。そうすれば、ユリウスやレイナーと衝突せずに済むのに」
しかし、答えはどこからも返ってこない。
こうして、「革命の同志」だった三人の間に、初めて本格的な意見対立の火種が生まれた。パルメリアはそれでも迷いながら、国を動かすための苦渋の判断を下し続けるしかなかった――その先に何が待っているのか、まだ誰にもわからないままで。