第44話 最後の説得
首都を揺るがした「第二の革命」によって独裁政権が崩れ去ったあと――パルメリア・コレットは「反逆・大量虐殺」の罪で死刑を宣告された。かつて王政を倒したはずの「革命の英雄」が、今や独裁者として法の裁きを受けるという皮肉な結末。だが、かつての仲間だったレイナーやユリウスは、判決後に「最後の説得」を試みる道を選んだ。
死刑宣告が下された翌日、パルメリアは首都近郊の拘置所に移送されていた。
かつての華やかなドレスも、高潔な軍服もすでになく、代わりに粗末な囚人服を纏い、冷え切った独房の中にひっそりと座っていた。荒れた髪とやつれた顔つきに、往時の凜々しさは微塵も残っていない。だが、その瞳だけは奇妙な静穏を帯びている――まるで全てを諦めたかのような、深い絶望を宿した静かな光だった。
(……結局、こうなる運命だったのね。こんな終わり方が待っていることは、どこかでわかっていた)
そんな思いを噛み締めるように、パルメリアは微かに目を伏せる。
そこへ、レイナーとユリウスが最後の説得を試みるために面会に訪れた。数名の看守が厳しく見張っているなか、わずかに許された面会。二人は独房の鉄格子越しにパルメリアと向き合う。
(このまま、僕は彼女に何を伝えるべきなのか……最後の情けをかけるのか、ただ見守るべきなのか。だけど、最後に確かめておかないと、気が済まない――)
レイナーはそんな思いを抱きながら、静かに口を開く。
「……パルメリア」
「ふふ……来たのね。レイナー、ユリウス」
彼女はゆっくりと顔を上げ、二人を見つめた。その瞳には狂気の影はもう残らず、微かな笑みが浮かんでいる。
その穏やかな声音を聞いて、ユリウスは胸の奥で複雑な思いが渦巻くのを感じた。かつて革命を共に戦った仲間の姿が、今や鉄格子に閉ざされている――その事実が切なく胸を締めつける。
(なぜ、君はこうなってしまったんだ。王政を倒したあの夜、俺たちは同じ未来を語り合ったのに――)
「パルメリア、これが本当に……君の望んだ結末なのか?」
ユリウスの声を抑えた問いに、パルメリアはわずかに首を振る。そして、どこか遠いものを見つめるようにつぶやいた。
「……望んだわけじゃないわ。ただ、私は私の理想のためにやっただけ。……ふふ、私が悪いのか、あなたたちが悪いのか――どちらにせよ、もう何も変わらないわ」
その言葉に、レイナーは声を震わせ、視線を落とす。
「もし、もっと早く止まってくれていたら。君が、暴力以外の道に耳を貸してくれていたら……今と違う未来もあったんじゃないか、そう思わずにはいられないんだ」
パルメリアは鉄格子の向こうで、わずかに瞳を伏せる。その表情には虚ろな笑みが浮かんでいた。
「どんな未来になっても、血は流れたわ。王政を倒した時も、今回の第二の革命だってそう。私一人を裁いて終わるなら、それでいいわ――」
(……もし、あの時、私がもっと他の道を選んでいたら。王政を倒した先に見えたはずの理想を、大事にできていたなら。こんな未来にはならなかったのかもしれない。けれど、私は――止まれなかった)
ユリウスは鉄格子に手を触れ、改めてその答えを求めた。
「パルメリア……俺は、君の理想が全て間違っていたとは思わない。けれど、その手段がどれほど多くの人を苦しめたか……。もし、今からでも償う気があるなら……助ける方法も、ないわけじゃない。死を選ぶことが、君にとって本当の救いになるのか……?」
小さな沈黙が訪れ、パルメリアはそっと首を振る。そして、彼女は静かにつぶやいた。
「もういいの。あなたたちが何を思おうと、私はこの結末を受け入れるしかない。……死刑だろうと何だろうと、ここで終わるなら、それも仕方がないわ……ふふ、仕方ないじゃない」
そう語り終えると、彼女はゆっくりと目を閉じる。その表情からは怒りも狂気も消え失せ、ただ深い倦怠と諦念だけが漂っている。
(これが、私の最後。今さら何を悔やめばいいの? ……ふふ……もう、何もかも手遅れよ)
ユリウスは、やりきれない表情で拳を握りしめる。かつて同じ夢を追いかけ、共に戦場を駆け抜けた光景が瞼に蘇るが、もはやそこへ還る道はないのだと知り、彼は苦く目を伏せた。
レイナーはパルメリアの姿を見つめ、胸を抉られるような痛みに息を詰まらせる。
「……パルメリア、本当に……」
言葉を続けようとするが、彼女の虚ろな瞳は全てを拒んでいるかのようだった。
パルメリアは小さな笑みを浮かべ、ゆるやかに首を振った。誰も何も言えない沈黙のなか、錆びた鍵の音が控えめに響く。看守が近づき、面会時間の終了を告げた。
「……さようなら、パルメリア。……本当に、すまない。君を救えなくて……すまなかった」
レイナーが搾り出すように伝えると、パルメリアは微かに目を伏せ、淡い笑みを浮かべる。まるで、全てを諦めきった者が見せる儚い光のようにも見えた。
「ふふ……謝る必要なんてないわ。私はもう、何も望んでいない。――あなたたちの望むとおりに、この命を終わらせればいい」
「……もう、俺たちは行くよ。最後まで、君を止められなかった。……さようなら、パルメリア」
ユリウスが静かにつぶやくと、レイナーもまた沈黙のまま背を向ける。
(……さようなら。あなたたちも、きっとまた同じ血の道を歩むのね)
そうして、レイナーとユリウスは独房を後にする。看守が扉を閉め、鍵が回る重い音が響いた時、パルメリアは薄暗い独房のなかでゆっくりと目を閉じた。
(「悪役」として転生させられた時から――こんな結末、初めから決まっていたのかもしれないわ。……もし、何かが違っていれば――ふふっ、今さらそれを言っても遅いわね)
深い沈黙が独房を包む。彼女の唇には、わずかに苦笑が浮かんでいた。どこか慈悲深いようでいて、同時に全てを拒絶するような微笑み――それは、誰にも届かない「絶望」の形にも思えた。
こうして、かつての仲間たちによる最後の説得は、むなしく終わりを告げる。パルメリアは死刑執行の日を待つばかりの身となり、レイナーやユリウスもまた、救えなかった友への苦い想いを抱えながら足早に拘置所を後にするのだった。
外へ出た瞬間、レイナーはふいに足を止めた。冷たい夜気が頬を打ち、先ほどまでこらえていた感情が胸の奥で溢れそうになる。拳を握りしめ、歯を食いしばる。――これでいいのか? 本当にこれで、終わりなのか?
彼は、強く瞬きをして涙をこらえた。だが、それでも瞳の奥ににじむものを完全に消すことはできない。
「……何か、別の道はなかったのか」
かすれた声で、レイナーはつぶやく。ユリウスは黙って夜空を仰ぎ、こみ上げる感情を押し殺すように唇を引き結んだ。
「そんな道があったなら……とっくに選んでいたさ」
低く絞り出された声には、痛みと後悔がにじんでいた。かつて、あれほど信じ合い、共に未来を夢見た仲間が、今は鉄格子の向こうにいる。――そして、もう二度と戻ることはない。
ユリウスはゆっくりと瞼を閉じ、しばらくその場を動けなかった。悔しさも、やるせなさも、虚しさも、全てが混ざり合い、彼を押し潰しそうになっていた。
――もし、革命を掲げたあの時に戻れるなら。
もし、どこかで手を差し伸べることができていたなら。
だが、どれだけ悔やんでも、もう何も変えられない。
重苦しい沈黙が続いたあと、ユリウスは深く息をつき、ようやく顔を上げた。
「……行こう」
その言葉には、自分を奮い立たせるような響きがあった。彼はぐっと歯を食いしばりながら、一歩を踏み出す。レイナーも後に続くが、彼らの背中には重い影が落ちていた。
パルメリアを救えなかった――その事実が、痛烈な重さで心を抉り続ける。
冷たい風が、静まりかえった拘置所の外を吹きすさぶ。空は暗く淀んだまま、その色を変える気配すら感じられない。そんななか、レイナーとユリウスは視線を交わすこともなく、足早に闇のなかへ消えていった。
革命の終わりとともに、新たな時代が訪れようとしている。だが、彼らの胸に残るのは、勝利の実感ではなく、取り返しのつかない喪失の痛みだった。




