第42話 狂気の果て
廊下に立ちこめた硝煙と血の匂いが、夜明け前の静寂を容赦なく切り裂いていた。深い息をつき、ユリウスとレイナー、そしてガブリエルはわずかに視線を交わす。――ここが最後の壁だ。崩れ落ちた扉の奥からは、不穏な気配が鋭く肌を刺し、兵士たちの張り詰めた息遣いが鼓膜を揺らす。
かつて同じ理想を語り合ったパルメリアが、今は狂気へと堕ちた姿で待ち受ける――誰もが胸に痛みを抱えながら、それでも後戻りはできない。重苦しい決意を背負って、彼らはついに大統領府の最奥へ踏み込む。
扉を蹴破ると、荒れ果てた光景が目に飛び込んできた。乱雑に散らばる書類と割れた調度品で埋め尽くされた執務室。
灯りの落ちた部屋の奥から姿を現したのは、乱れた髪と血走った瞳をしたパルメリアだった。
わずかに残る親衛隊員が彼女を守るように囲んでいるが、呆然と立ちすくむ者ばかりで、抵抗の気力は失われていた。そして一人が震える声で訴える。
「閣下、どうか……もうこれ以上は……!」
すると、パルメリアは剣を握りながら、声を荒らげ言い放つ。
「ふふっ……笑わせないで! 今さら降伏しろと? ……私が、どれだけこの国を守ろうとしてきたと思っているの……?」
ガブリエルが一歩前へ出る。
「……パルメリア様。これ以上の犠牲は無意味です。どうかお願いですから、剣をお収めください」
「ガブリエル……! あなただけは裏切らないと思っていたのに……! 私に誓った忠誠は……嘘だったの……?」
彼女の瞳には狂気と悲哀が入り混じる。ガブリエルは唇を硬く結んだまま、剣を構えるが、その刃はわずかに震えていた。
「そこまでだ、パルメリア……民衆も、兵士も、これ以上の血を望んでいない」
ユリウスが慎重に距離を詰めながら呼びかける。レイナーとクラリスも背後で息を詰めていた。かつては革命を共に勝ち取った仲間だったはずなのに、今やこの血塗られた舞台で再会することになるとは――誰もが胸に苦い痛みを走らせていた。
すると、パルメリアは憤怒を露わに、震える手で剣を握り締める。
「……みんな……みんな私を裏切るのね……! 私の苦労も知らないくせに……!」
しかし、パルメリアは最後の執念を振り絞るように剣を振りかざす。
「黙れ……黙れえっ! 私の革命は、私のものよ……誰にも邪魔はさせない! 見ていなさい……最後に笑うのは……この私よ……! あは、あはははっ! あはははははっ……!」
その姿はもはや常軌を逸していた。そこへレイナーが素早く駆け寄り、彼女の腕を押さえる。
「……やめろ、パルメリア! もう充分だ……! お願いだからもうやめてくれ……」
「……離して! まだ、私は……!」
必死に抵抗を試みる彼女だが、もう力が入らないのか、剣を床に落とす。レイナーが慌てて剣を遠ざけ、クラリスは負傷者が出ていないか周囲を見回す。
「あああっ……!」
押し止められた瞬間、彼女はまるで限界に達したかのように、大きく身体を震わせながら叫び声を上げる。
強い意志で耐えていた心の堤防が決壊したのだろう。瞳からは涙が溢れ、唇を震わすと同時に身体の力が抜け、床へと膝をつく。
「……もう……やめて……!」
それは嗚咽とも慟哭ともつかない、凄絶な声だった。パルメリアは崩れ落ちるようにその場に伏し、両手で顔を覆う。あの歪んだ狂信に支えられていた狂気が、今一瞬で崩れ落ちたかのようだった。
パルメリアは荒い息をつきながら、がくりと膝を突いた。
かつての仲間たちは、その光景に言葉を失う。あれほどの独裁と恐怖を生み出した相手とはいえ、同じ理想を追い、王政を倒すために肩を並べた仲間だったのだ。
ガブリエルは剣を静かに収め、胸を締めつける後悔を噛みしめる。レイナーはそっと目を伏せ、クラリスは震える手で彼女の腕を支えようとする。
遠くからは、降伏する親衛隊の声や、民衆が破壊を止めた気配が伝わってくる。大統領府周辺の騒動は次第に落ち着きを取り戻しつつあったが、この執務室には切り裂くような痛みだけが残されている。
「……これで、終わり、なのか……」
誰とも知れぬ小さな声が、瓦礫に覆われた部屋に零れる。その問いに誰一人答えられず、パルメリアの慟哭だけがいつまでも耳に突き刺さっていた。かつての同志と再会する未来が、こんな悲惨な結末を伴うことになるとは、誰も想像しなかったのだ。
かくして、「第二の革命」は果たされ、長らく続いた独裁体制は一夜にして崩れ去った。かつての王政を倒した」英雄」パルメリアは、その狂信が生んだ数々の血と涙の果てに、深い慟哭へと沈み込んでいく。
闇夜を断ち切るように響く嘆きの声は、あまりにも遅すぎる叫びとなって、彼女と仲間たちの運命を決定的に分かつ一節を刻んでいった。
かつては輝かしい宴の舞台だった大統領府も、今や破壊の爪痕が至るところに刻まれ、まるで廃墟のように変わり果てている。
外から差し込む夜明けの光が、血と涙にまみれた部屋を淡く照らしていた。誰もが、その光景にやるせなさを抱えながら、革命とは何か――その問いに深い沈黙で向き合わざるを得なかった。




