第38話 血の粛清
軍内と民衆の間で高まる反パルメリアの機運は、大統領府にも次第に不穏な兆しとして伝わり始めていた。失敗が続く外征と尽きかけた物資、そして国内で急速に広がりつつある蜂起の兆候――どれを見ても、今の体制が危険水域に達していることは明らかだ。
パルメリアはこうした報告を受けるたび、唇をきつく噛み締めつつも危機感を募らせ、今や普通の粛清では収まらないという偏執的な思考に傾き始めていた。
(みんなが私を見限るなら、根こそぎ排除するほかないわ。……私の革命をここで終わらせるわけにはいかない。ふふっ、もう誰にも止められないのよ)
その内なる声には、かつて掲げた「理想」の面影はなく、どこか狂気を帯びた笑みさえ混じっていた。
数日後、大統領府から発せられた新たな布告は驚くほど過激な内容を伴っていた。
「反パルメリア運動に与する者を一斉検挙し、反逆者は即時処刑とする」
そんな文言が各地の役所や掲示板に張り出され、読み上げる官吏の声に市民たちは凍りつく。
これまでも粛清は横行していたが、「即時処刑」などという直接的な言葉を公に掲げるのは初めてのこと。首都の空気は一段と張り詰め、警備隊や保安局員が道を闊歩しては市民を睨みつけ、少しでも不穏な動きを見つければ連行するという殺伐とした日々が訪れた。
「また布告か……。今度は『反逆者は容赦なく始末せよ』だって。どれだけ血を流せば気が済むんだ」
道端で拾われる声は震えを含むものばかり。わずかな会話さえ密告の恐れがあるため、人々は互いを警戒してまともに言葉を交わすことすらままならない。まるで息が詰まるような闇が町全体を覆っている。
だが、この露骨な恐怖政治の発動は、反パルメリア勢力の決起を一段と加速させる結果を招く。民衆に「従うか、立ち向かうか」の二択を突きつける形となり、すでに蜂起を準備していた抵抗組織は日毎に勢いを増していった。ユリウスやレイナー、クラリスらもこの布告を知り、首都や主要都市での行動を一気に進める必要があると痛感する。
仲間たちの表情には悲壮感がにじんでいた。今や、どれだけ多くの者が犠牲になるか予測もつかない。――今動かなければ、国は取り返しのつかない崩壊へ向かう。だからこそ、一刻も早く蜂起し、パルメリアを退陣に追い込まなければならない。すでに各地ではビラが広まり、秘密集会が相次いで開かれている。軍の内部でも協力者を引き込みながら、「いつでも一斉に動ける」態勢が整えられつつあった。
一方、ガブリエルには、この布告が逃げ場のない重圧としてのしかかる。軍司令官として少しでも逆らう素振りを見せれば、保安局による粛清が待っている。兵士たちも彼の動向を見守り、「司令官はどうするのか」という問いが沈黙のまま広がるばかりだ。
(これほど兵も民も苦しんでいるというのに、まだ主君を見限る決意ができない。だが、このまま従い続ければ、さらなる流血を招くことになる……)
毎日のように届けられる報告書を目にするたび、彼の胸には大きな葛藤が積み上がる。戦線は崩壊寸前で、前線の兵たちは飢えと疲労に苦しむばかり。侵略戦争で得られるはずの「勝利」はどこにも見えない。ただひたすらに犠牲だけが増えていく。
そうしたなか、首都近郊では飢えに耐えかねた農民や下層市民が小規模な反乱を起こし、保安局の詰め所を襲撃する事件が立て続けに発生した。結果こそ短時間で鎮圧され、参加者は捕らえられるや否や処分されたものの、地下で活動を続ける抵抗組織は「いよいよ人々の限界が近い」と悟り、蜂起への結束を強めていく。
「このまま怯えているだけじゃ飢え死ぬか殺されるかだ。それならば、今立ち上がるしかない……!」
そんな覚悟が各地で噴き上がり、ユリウスやレイナー、クラリスらがまとめる抵抗運動は急激に動き出す。
パルメリアはさらなる厳戒態勢を敷き、毎朝の執務室では保安局幹部に「徹底検挙の成果」を要求する。同時に裏切りの兆候が見えた地域には追加の兵力を送り、取り締まりを強化し続けている。しかし、その内心ではすでに焦りが狂気のように渦巻いていた。
「……ふふっ。みんなが私に逆らうと言うなら、根こそぎ粛清してやればいいじゃない。わたしの革命が、この程度で潰えるわけがないんだから……!あははははっ!」
後を引くような狂気じみた笑い声が、執務室の静寂を切り裂く。その声に、周囲の官吏たちは恐怖を隠しきれずに震えあがり、あえて視線を合わせようとしないまま頭を下げるしかなかった。彼女の暴走が進むほど、国中は限界点へと近づいていた。
こうして、彼女の偏執的な粛清指令が恐怖を撒き散らすほど、反パルメリア運動は皮肉にも勢いを増していく。
ユリウスは秘密会合の場で静かにつぶやく。
「もうパルメリアは止まらない。ならば、俺たちが止めるしかない。これ以上、彼女に国を壊させるわけにはいかない」
その言葉に、レイナーやクラリス、そして軍内の協力者も強くうなずく。そこには、かつて彼女と共に夢を語った者たちの苦渋と決意が混じり合っていた。
ガブリエルもまた、刻一刻と迫られる選択から逃れられない。裏切り者として粛清を受けるのか、それとも主従の誓いを捨て、民と兵を守るのか――。
――こうして、「徹底検挙」を掲げる偏執的な布告が、国全体に恐怖をもたらすと同時に、反逆の炎を煽る結果となる。いよいよ「第二の革命」が爆発する時が、遠からず訪れようとしていた。




