第20話 断絶の時
翌日――大規模処刑の衝撃が、国中を震撼させている最中。パルメリアの執務室を、レイナー、ユリウス、そしてガブリエルが同時に訪れた。まるで示し合わせたような彼らの足取りに、周囲の官吏たちはただならぬ気配を察し、言葉を失う。
書類をめくっていたパルメリアは、その手を止める。視線を上げる先には、かつての仲間――だが今や「批判者」と呼ぶべき三人が並んでいる。
最初に口を開いたのはレイナーだった。
「パルメリア……あの処刑は何なんだ? あれほど多くの人々を見せしめのように殺すなんて、本当に必要だったのか?」
声には激情というより、喪失感がにじんでいる。王政を倒した革命期、彼女こそが未来を拓く象徴だったはず――そんなパルメリアが、人々の命を奪う立場へと変貌するなど、誰も想像していなかった。
続いてユリウスが言葉を継ぐ。
「俺たちは王政の圧制を打ち破ろうと戦った。誰もが少しでも救われるようにって願ったんだ。それが、今や大勢の市民を公開処刑だなんて……こんなことが、俺たちの望んだ『革命後』の世界だったのか?」
低く、しかし震えるような声には以前の青年の面影はない。「民衆の自由」を掲げて立ち上がった彼が、目の前の現実を受け入れきれずにいるのが、傍目にも伝わってくる。
そして、ガブリエルが重々しく口を開いた。騎士としての矜持を抱きながら、剣を手放せない自分を問い詰めるような声音だ。
「この剣は、パルメリア様をお守りするためにあるはずでした。しかし……あの処刑を見て、信じてきたものが揺らいでいます。これは、本当に国を守るための戦いなのですか?」
彼の言葉は、自身の存在意義への問いでもある。騎士道の誇りと、現在の「強権路線」との間で矛盾に苛まれながら、それでもパルメリアを見捨てることができない――そうした葛藤が痛々しいほど浮き彫りになっていた。
(みんなの顔が、あの頃とは違ってる。……いや、私こそが変わってしまった? でもやめられない。ここで止まれば国が壊れる――そう信じないと、自分を保てない)
一瞬、胸が締めつけられるような痛みが走り、パルメリアは息をのむ。彼らの訴えが正しいことはわかっている。それでも、「さらなる混乱を招かないために、強行手段が必要だ」という思い込みだけが、彼女を支える最後の砦だった。
「……私だって望んでやったわけじゃないわ。でも、旧貴族派が農民を煽り、王政を取り戻そうとしていた事実を見過ごせば、もっと大きな反乱が起こるかもしれない。……国が分裂すれば、血はさらに流れる。私はそれを防ぐために、やむを得ず判断したのよ……」
絞り出す声にはどこか擦れた響きがある。もしかすると、その心はすでに限界を超えつつあるのだろうか――彼女自身にも、もはやわからない。けれど、ここで弱さを見せれば全てが崩れてしまうと思うと、必死に言葉を紡ぐしかない。
ユリウスが身を乗り出し、まるで叫ぶように応じる。
「だからって、無関係な民まで巻き込むなんて……昔の王政と変わらないじゃないか。お前は血に溺れて、すでに先が見えなくなってるんじゃないのか?」
パルメリアは強い衝撃を受けたように眉を寄せるが、声には出さない。胸の奥で何かが砕けそうになるのを、必死にこらえるように息をつく。
「私が血を求めてるとでも言うの? 冗談じゃないわ。犠牲は少ない方がいいに決まってる。でも、ここで手を緩めれば、もっと多くが死ぬ――そう思わなければ、私はやっていけない。あなたたちが認めなくても、もう止まれないのよ」
その言葉に、ガブリエルが苦悩の色を浮かべて視線を伏せる。
「……私は剣を取る理由を見失いかけています。それでも、まだここにいるのは、騎士としての誓いを簡単に捨てることはできないからです」
彼はそれだけ言うと、苦しげに唇を噛む。レイナーもまた、やるせない表情を浮かべ、静かに首を振る。
「君を裏切るつもりはない。でも、もう一度考えてほしい。これは本当に必要な正義なのか? 国民の血を流してまで守る国が、いったいどんな未来をもたらす?」
一瞬、返す言葉が見つからず、パルメリアは俯く。
仲間の目が自分を貫くようで、その視線から逃れたい気持ちと、それでも譲れない信念がせめぎ合う。だが、彼女の心には、もう迷う余裕はなかった。
拳を強く握りしめたまま、彼女は顔を上げる。怒りに満ちた目で、目の前の三人を睨みつけるようにして――冷たく、突き放すように言い放った。
「……好きにすればいいわ。私を否定するなら、ここにいる必要なんてないでしょう? この国を守るために戦う覚悟もなく、ただ綺麗事を並べるだけなら――そんなもの、いっそ聞きたくもない」
怒りと冷徹な決意がにじむパルメリアの言葉に、三人は凍りついたように沈黙した。
ユリウスは拳を握りしめ、机に身を乗り出す。
「……好きにしろ、だと?」
低く、押し殺した声だった。だが、それは抑え込んでも隠しきれない激しい怒りを孕んでいた。
「お前、本当にそれでいいのか? 俺たちはずっと一緒に戦ってきたんだぞ! それを、今さら好きにすればいいなんて、よくもそんな言葉を吐けるな!」
声が震えていた。憤りと失望、そしてわずかに残った未練が、入り混じったような声だった。
パルメリアはユリウスの剣呑な気配を感じ取りながらも、一歩も引かずに彼を睨み返す。
「あなたたちが私を見限るというなら、それでいいわ。私には、この国を守る責任がある。あなたたちの感傷に付き合っている暇はないの」
「感傷だと? お前、本当に……!」
ユリウスは激昂し、思わず机を拳で叩いた。その音が重苦しい沈黙を引き裂くように響く。
「どこまでお前は血を流せば気が済むんだ! どれだけの人間を犠牲にすれば、お前は満足するんだよ! こんなの、お前が一番嫌っていた王政と何が違う!? お前こそ、もう何も見えてないんじゃないのか!?」
「……うるさいわね」
パルメリアの声は、ひどく冷たいものだった。
「黙って従えばいいのよ。理想を掲げるだけで国が守れるなら、とっくにそうしてるわ。でも、現実は違う。このやり方以外で国を維持する方法があるなら、あなたが示してみせてよ。そうじゃないなら――私の邪魔をしないで」
「……ふざけるな!」
ユリウスは激昂のあまり、拳を固く握りしめる。怒りに任せて何かを言い募ろうとしたが、その口を開く前に、レイナーが静かに彼の肩に手を置いた。
「ユリウス……もういい」
その声は静かで、どこか痛みに満ちていた。
「これ以上言っても、もう何も変わらない。彼女は……止まらないよ」
ユリウスは肩越しにレイナーを睨みつける。だが、彼の表情にあるのは怒りではなく、深い悲しみと諦めだった。
「……チッ」
ユリウスは忌々しげに舌打ちし、拳をほどくと踵を返す。その足取りには、もう未練など微塵もなかった。
「俺はもう、お前とは戦えない」
吐き捨てるように言い残し、ユリウスは執務室を後にした。
レイナーは、最後までパルメリアを見つめていた。彼の瞳には、怒りではなく、悲しみと――ほんの少しの希望の欠片がにじんでいた。
「君が本当に守りたいものが、こんなやり方でしか手に入らないのか……僕には、もうわからないよ」
それだけを言い、レイナーもユリウスの後を追うように部屋を出ていった。
ガブリエルは、しばらくその場に留まっていた。沈黙の中で、ただパルメリアの横顔を見つめていた。
彼女は一度も彼を見ようとはしなかった。机の上に視線を落としたまま、ただ震える手で書類を握りしめている。
やがて、ガブリエルは何も言わず、ゆっくりと踵を返した。そして、静かに扉を開き、二人の後を追う。
執務室には、パルメリア一人だけが取り残された。
静寂が耳を満たす。
まるで世界に自分だけが取り残されたような錯覚に陥る。
彼女の胸の奥で何かが軋むような音を立てたが、もうそれを確かめる気力もない。ただ、机に積まれた書類へと視線を落とし、震える指先でペンを握る。
(……たとえみんなが去ったとしても、私がこの国を守っていくしかない)
そうして彼女は、胸の奥底に疼く悲しみを押し殺し、黙々と次の決裁へと手を伸ばす。すでに後戻りできないと悟った道を、ただ前へ進むしか術がない――その手の中にある「権力」にすがりながら、革命の理想を必死に言い聞かせる。
翌日、ユリウスが政府を辞職したことが報じられた。
革命の最前線で民衆を導いた彼の辞職は、大きな波紋を呼んだが、政府は「反乱分子の取り締まり強化に反対したため」とだけ簡単な声明を出し、深くは触れなかった。
国民の間では「ついにユリウスも大統領と対立したのか」との噂が広がったが、多くの人々は口を噤んだ。ユリウスの辞職が何を意味するのか、誰もが理解していた――それを口にすることすら、今や危険だった。
レイナーとガブリエルは、公式には何も語らなかった。
ただ、彼らの沈黙こそが、全てを物語っていた。
――こうして、粛清の嵐に激しく動揺する国民の姿とは裏腹に、パルメリアは仲間たちとの断絶を受け入れ、血濡れの独裁路線をさらに先へと進めていく。
王政を倒した頃の輝く希望は遠のき、かつての仲間はひとり、またひとりと離れていく。
誰もがその背中に問いかける――「これは、私たちが夢見た未来だったのか」と。
けれど、その問いに答えられる者は、もう誰もいなかった。




