第17話 国家保安局
仲間とのすれ違いに胸を痛めながらも、「国を守る」という信念をさらに押し進めるパルメリア。強権がじわじわと社会に浸透していくなかで、「反乱分子」や「反体制派」の取り締まりは一層強化されつつあった。
そして、それを決定づけるかのように誕生したのが、新たな情報機関――「国家保安局」。いわゆる「秘密警察」とも言えるこの組織の創設は、共和国に深い影を落とそうとしていた。
ある朝、首都の官報や壁の掲示板に「国家保安局設立のお知らせ」と記された告示が張り出された。
しかし、そこに記された内容は驚くほど簡素だった。「国家の安全を確保するため、反体制派の取り締まりと情報収集を目的とする独立機関を設立する」とあるのみで、具体的な権限や活動内容については一切触れられていない。
街のあちこちで、告示を見た人々が不安げに顔を見合わせる。
「つまり……どこに潜んでいるかわからない反逆者を監視するってことだろう。これから先、いったいどうなるんだ」
すでに反政府活動への取り締まりは厳しくなっていたが、今度は「秘密警察」の設立が告げられた。人々の間には恐れと諦めが入り混じる。
政府の広報担当は「徹底した治安維持のために必要な措置」と繰り返すだけで、組織の実態については何も語ろうとしない。
一方、パルメリアは執務室で国防局長や警備隊幹部たちを前に、静かな口調で語った。
「各地の混乱はまだくすぶっています。旧貴族や反政府勢力が潜伏しているなら、早急に摘発しなければならない。……だからこそ、この国家保安局は必要不可欠な組織になる。徹底した情報収集と監視体制を構築し、未然に動きを察知できるようにするのよ」
彼女の周囲には、すでに新たな顔ぶれが増えていた。強硬策に賛同する者、権力に擦り寄る官吏、保身のために体制に忠誠を誓う軍人たち――かつて彼女の傍にいた者たちとはまるで違う、「取り巻き」が集まりつつあった。
「保安局の活動があれば、反体制的な動きは事前に察知できます。密告制度を整えれば、大規模な反乱は未然に防げるでしょう」
取り巻きたちは次々と「国のため」「大統領のため」と唱えるが、その言葉の裏にあるのが「自らの権勢を守るため」であることは、パルメリアにもわかっていた。
しかし、秩序を維持するためには彼らを活用するしかない――そう割り切るしかなかった。
(これで本当に国を守れるのかしら……けれど、ここで手を緩めれば、混乱が広がるだけ。私は、悪く思われても構わない)
そう心の中で繰り返し、パルメリアは目の前の報告書に目を落とした。
やがて、首都には「秘密警察が動き出した」という噂が広がり、人々は互いを疑い始める。「あの人、政府に不満を言っていた」と耳にすれば、それが保安局に伝えられるかもしれない――そんな恐怖が街のあちこちに満ちていた。
「今はうかつなことを口にすれば、すぐに目をつけられるらしい」
「隣人だって、本当に味方なのかわからない。誰が密告するかわからないのが、一番怖いわ」
そんなささやきが広がるほど、民衆はますます沈黙するようになっていった。「黙って生きていれば、平和が保たれる」――それがこの国の新たな現実となっていた。
革命で掲げた「民衆の声を国政に活かす」という理想は、もはやどこにもない。
レイナーやユリウスらは、こうした動きを耳にするたび、やりきれない表情を浮かべた。だが、今のパルメリアへ正面から意見をぶつければどうなるか、彼らには痛いほどわかっていた。彼女の傍に残るガブリエルでさえ、密かに動揺を見せつつも、黙って命令を遂行している。
誰もが不満や恐怖を胸に抱えながら、それを口にすることさえできなくなっていた。
「こんなの、革命で勝ち取ったはずの自由とは程遠いじゃないか……」
誰かがつぶやいたその言葉は、風にかき消された。
パルメリアは夜遅くまで執務室の灯を消さず、保安局から上がってくる報告を隅々まで読み込んでいた。そこには逮捕者のリスト、疑わしい発言をした者の記録、さらには周辺諸国の動向までもが網羅されている。
「……強権なしでは、もう国を維持できない。そう思うしかないわね」
そうつぶやいた声には微かな震えが混じっていたが、自分を奮い立たせるようにペンを握り直した。ここで弱気になれば、また戦乱が繰り返される――そう信じることでしか、彼女は前に進めなかった。
こうして、パルメリアが主導した「国家保安局」という名の秘密警察は、国中に監視と密告の風潮を根付かせ、恐怖を武器に秩序を維持する社会を現実のものとした。
皮肉なことに、「民の声を救う」と輝いていた革命の象徴は、今や「国家の安定」という名のもとに、徹底した情報統制を推し進める存在へと変貌していた。
(私が信じた革命は、こんな監視と疑いの上に成り立つものではなかったはず。……だけど、もう戻れない)
瞳を伏せるパルメリアの背に、静かに夜の闇が重なっていく。
「王政時代よりはいい」「秩序こそが国を救う」――そんな言葉を繰り返しながら、さらなる取り締まりが続いていく。
秘密警察の誕生は、この国に新たな爪痕を刻みつつあり、パルメリアはその先頭で孤独に耐えながら、不帰の道を歩み続けていた。




