第16話 孤独な決断
広々とした執務室の窓の外には、灰色の空が広がっていた。どこまでも重く、冷たく――まるで、理想を語り合った仲間たちが、全て遠ざかってしまったことを象徴するかのように。
パルメリアは山積みの書類を手に取りながら、ふと視線を遠くへと投げた。革命期、あの頃はいつも彼女の周りに、夢を語り合う仲間がいた。共に歩み、未来を描き、支え合った者たち――今では、その姿は影すら薄れている。
(私が求めたのは、こんな静けさじゃなかったはずなのに……どうして、あの頃とこんなにも違うのかしら)
レイナーやユリウスは彼女の強硬路線に反発し、執務室を訪れることはほとんどなくなった。業務連絡は最低限交わすものの、昔のように気兼ねなく言葉を交わす機会は途絶えてしまった。
クラリスは新政権での職を辞し、首都を離れた。そしてロデリック――彼女と共に国の未来を模索した元王太子は、彼女の決断によって国外へと追放された。
その現実を前に、パルメリアは確かな寂しさを感じずにはいられなかった。かつて共にあったはずの者たちが去り、今、彼女の傍にいるのは、もはや「同志」ではない。
「……こんな時、少しでも理解してくれる人がいれば、どれほど楽だろうに」
微かな独り言が、静まり返った執務室に溶ける。
目の前の書類には、先日の抗議運動が武力によって鎮圧された際の詳細な報告が記されていた。逮捕者の数、取り締まりの経緯、説得の失敗――無機質な言葉の羅列を目で追うたび、胸が締めつけられるような痛みを覚える。
それでも彼女は、あえてその感情を押し殺し、仄暗い瞳で書類に目を落とす。
ロデリックの追放を機に、旧貴族派の反発はより激しさを増した。表立った暴動こそ起きていないが、地方では彼を「正統な君主」と呼ぶ者たちが増えつつあり、地下組織の動きも活発になり始めているという報告が届いている。
それでも、パルメリアはこの路線を捨てることはできないと確信していた。王政が崩壊した後も、地方では幾度も暴動や反乱が発生し、民同士が血を流す惨状を彼女は見てきた。
もしこのタイミングで強硬策を緩めれば、また同じ混乱が繰り返される。――それだけは避けなければならない。
「私がここで弱さを見せれば、国はすぐに乱れてしまう。……嫌われても構わない。みんなが離れていっても、この国の崩壊を招くわけにはいかない」
そう言い聞かせるようにつぶやき、報告書を閉じる。
彼女の名のもとに多くの人々が処罰され、粛清されていく。もはや「革命」ではなく、国家の維持と統治が彼女の責務となっていた。
多くの市民が彼女を「恐ろしい大統領」と呼ぶようになり、かつての仲間も遠ざかっていく。それでも、パルメリアは「民を守る」という言葉だけは捨てようとしなかった。「独裁者」と呼ばれようと、自分がこの国を守らなければ、誰が国を救うのか――その思いだけが、彼女を支えていた。
一方で、彼女の周囲が完全に空になったわけではない。
新政府の中で勢力を伸ばしてきたのは、強硬派と、彼女の権力に擦り寄る官吏たちだった。彼らは「断固たる大統領を支える」という名目のもと、忠誠を誓う姿勢を見せている。
しかし、そこに革命の理想は見当たらず、ただ自らの出世や権勢を求める思惑ばかりが透けて見えた。
「大統領閣下こそ、この国の安定を成し遂げる英雄です」
「さらなる取り締まりの強化を進言いたします。民衆も閣下の毅然とした態度を望んでおります」
彼らの言葉は、仲間との対立に疲れきったパルメリアを一時的に安堵させることもあるが、同時に拭えない違和感を残す。
彼女はうっすらと気づいていた。この取り巻きに、「あの頃」の熱意や理想はない。ただ、彼女の決定に異を唱える者がいなくなった今、疑問を抱いたところで、それを口にすることもできなかった。
夜が更け、彼女は「治安維持」のための新たな方針案に目を落とす。「地方自治を大統領府直轄とし、行政長官を中央から派遣する」「軍備をさらに拡大し、反乱分子を徹底的に排除する」――
そこには、本来ならば議会で慎重に話し合われるべき事柄が並んでいるが、もはや彼女の決断ひとつで実行される時代になっていた。
(……たとえ私が一人になっても、国が混乱に沈むよりはいい。――それが、私が選んだ革命の行く先)
机の上に並ぶのは、「処分要請」や「監視リスト」――そこに記された名前を読みながら、パルメリアは微かに瞳を伏せる。かつて共に戦った者の名を見つけるたび、心の奥にわずかな痛みが広がる。
それでも、彼女の手は止まらなかった。
翌朝、彼女のもとに届けられた報告には、「支持率の上昇」という言葉が並んでいた。
確かに、一部の市民層は暴動や混乱を恐れ、彼女の強権に安堵している。しかし、それが本当の支持なのか――彼女は誰よりも理解していた。王政時代のような熱い支持ではなく、ただ恐れによって維持される秩序にすぎないのだ。
「……それでも、私はこの国を守るために進むしかないの」
パルメリアは書類を閉じ、静かに瞼を伏せた。王政を倒した頃の自分が、この未来を予想できていたなら――いや、そんなことは考えても仕方がない。
あの頃は、仲間と共に理想を語り、熱をもって未来を思い描いていたはず。しかし今となっては、彼女の周囲にいるのは理念を掲げる者ではなく、ただ命令に従うだけの官吏たちばかり。
権力を握れば、孤独が深まる。それはわかっていた。だが、これほどまでに「ひとり」になるとは思わなかった。どれだけ高い支持率を示されても、それが本当に彼女の望んだものなのか――答えは霧の中にある。
それでも、立ち止まることはできない。「国を守る」――その言葉だけが、彼女を前へ進ませる唯一の拠り所だった。
パルメリアはゆっくりと立ち上がり、無言のまま廊下へ歩み出る。響く足音だけが、静寂に満ちた空間に染み込んでいく。
窓の外には、厚い雲に覆われた灰色の空が広がっていた。その先に何が待っているのか、彼女にはもう見えなかった。
それでも、前へ進むしかない――振り返る道など、もうどこにも残っていないのだから。




