第14話 国外追放
旧貴族派が「元王太子ロデリック」を担ぎ出そうとしている――。
その報せがパルメリアの耳に届いたのは、ある夕刻のことだった。薄暗くなりはじめた空の下、彼女は閣議室で官吏から詳しい情報を聞く。
「旧貴族の中には、王政復活を目指す動きが色濃くなっております。その旗印として、ロデリック・アルカディアを擁立しようという声があるようです」
パルメリアはわずかに表情を曇らせた。
ロデリック・アルカディア――かつては王太子として国を背負っていた彼は、腐敗を嫌いながらも自らの立場に葛藤していた。だが結局、革命を支持し、王位を捨て「ただの一市民」となる道を選んだ人物だ。革命後はしばらく陰ながら新政権を支えてくれた。彼女にとっても、大切な仲間であり……どこか特別な思いを抱いていた存在だった。
(あの時、あなたは王太子という全てを捨てて、一緒に戦ってくれた。――それでも、今は国が混乱を極めるなか、あなたの存在が……脅威になるの?)
そう胸の内で問いかけながら、パルメリアは文書を握り締める。このままでは、旧貴族派の陰謀がさらに広がり、内乱が起きる可能性もある。
周囲の閣僚や官吏たちからは、すでに強硬策を進言する声が上がっていた。
「大統領閣下、万が一、ロデリック様が旧貴族派に利用されれば、国は大きく揺れるでしょう。……彼の影響力は、いまだ無視できません」
「――ええ、わかっているわ」
パルメリアは深く息をついた。表情には、苦痛がにじんでいる。
その夜、レイナーとユリウスを呼び、彼女はロデリックへの対応を打ち明けた。
互いに顔を見合わせる二人の顔色は一変する。レイナーが先に声を震わせた。
「……本気で言っているのか? ロデリックを国外追放するなんて……君が、あのロデリックを?」
「そう。彼をこのままにしておけば、旧貴族派の動きを止められない。今のうちに彼を制すれば、国全体の混乱を防げると判断したの」
ユリウスは拳を机に置き、低く唸る。
「確かに旧貴族派が彼を担ぎ出せば、体制が危うくなるかもしれない。だからといって追放なんて……。ロデリックは、俺たちと一緒に革命を支えた仲間だろう!」
パルメリアは黙ったまま、わずかにまぶたを伏せた。彼女の頭には、革命の最中、ロデリックがどれほど苦悩しながら自分に協力してくれたかという記憶がよぎっていた。
それでも、今や彼の存在そのものが火種になりうる――そう悟るたびに、胸が締めつけられる。
「……ロデリックは、私が心から信頼した相手。敬意と、特別な思いさえ持っていたかもしれない。でも、だからこそ追放するの。彼を救えずにごめんなさい。――けれど、国を守るためなら、私はどんな批判にも耐えなければならない」
レイナーは苦しそうに眉を寄せる。
「国を守るため……? 本当にそこまでしないと、この国は成り立たないのか? 君はわかっているはずだ。ロデリックが王位を捨ててくれたから、革命はスムーズに進んだんだ。そんな彼を追放なんて……」
「わかってるわ、レイナー。彼がいなければ、王政を倒すのはもっと苦しかった。それでも、今の私には他の選択肢が見えない」
ユリウスは唇を噛みしめ、言葉を失う。その目に強い憤りと、どうしようもない無力感が宿っている。
けれどパルメリアは机上の書類を手に取り、冷静さを装うように視線を落とした。
「……国外追放の手配を急いで行うわ。彼が脅威となった以上、時間をかければ旧貴族派に取り込まれる可能性が高まるだけ」
二人は彼女を非難する言葉を探そうとするが、うまく絞り出せない。失望の色が、痛いほど明確に浮かんでいた。
数日後。ロデリックの追放は想像以上に急速に進んだ。旧貴族派が動きを起こすより先に、あらゆる通達や命令書が取り回され、彼に与えられた屋敷や財産も大半が差し押さえとなる。
多くの市民はその報に息をのみつつ、もはやパルメリアの強権に立ち向かうだけの力を持たない自分たちを自覚していた。
執務室。レイナーとユリウスは、ロデリックの国外追放を示す最終書類を受け取り、パルメリアと向き合う。
ユリウスが低くつぶやく。
「結局、こうするしかなかったのか……。革命時代にあれほど助け合った仲間を、こんな形で排除するなんて」
パルメリアは目を伏せる。ほんの一瞬だけ歯を食いしばるような表情を見せたが、すぐに消え失せた。
「この国を内乱から守るためには、仕方がないの。――誰が私を責めようと、私はこれを選ぶ」
ユリウスは吐き捨てるように言う。
「無論、責めるさ。君はロデリックの思いをどうするつもりだ? 彼は君のために、王太子の地位まで捨てたんだぞ」
一瞬だけ、パルメリアの瞳が揺れる。けれど彼女は深く息を吸い、静かに口を開く。
「わかってる。……だからこそ、私は止まれない。あの日、ロデリックに王太子としての立場を捨てさせてまで革命を進めた。今私が揺らいだら、あの決断さえ無意味になってしまう。――彼の気持ちを踏みにじってでも、この国を守り抜く」
そう言い切る声は、どこか震えていた。ユリウスとレイナーはは何も返せないまま、書類を抱えて部屋を出ていく。
追放が確定した日の午後。ロデリックは最低限の荷をまとめ、遠く国境方面へ向かう馬車に静かに乗り込んだ。
革命を共に戦い抜いた仲間たちも、今や誰ひとり見送りに来ない。その姿を遠目に見つめる者はわずかにいたが、皆、「反乱分子」の疑いを恐れて声をかけられなかった。
馬車の車輪が動き始め、ゆっくりと街道を離れていく。小さく遠ざかるその音を耳にしながら、ロデリックは固く唇を結ぶ。
(……ここまできたか。パルメリア、君はどんな気持ちでこの決断を下したのだろう。――それでも、君を信じたい。私が追放されて国が救われるのなら、きっと君の判断は間違っていないはずだ)
そう自分に言い聞かせても、胸の奥にはどうしようもない喪失感が広がる。
「王太子」という立場を投げ捨ててまで、革命を支え合った日々。今やその思い出すら、遠く霞んでいくような気がしてならない。
やがて馬車は街道の先に溶け込み、足音や物音さえ聞こえなくなる。見送る人々は誰も言葉を発せず、ただロデリックの姿が視界から消えていくのを黙って見守っていた。
その沈黙が、追放がもたらす無情な事実を、町の隅々にまで染み込ませるようだった。
同じ頃、パルメリアは執務室で一人書類に向かっていた。けれどペンは進まず、思わず机に肘をついて目を閉じる。
(ロデリック……。あなたを救えずに、本当にごめんなさい。だけど、これが私の選んだ道――。国を守るためには仕方がない……)
独り言のような嘆きが、無人の室内に落ちる。けれど誰も聞く者はいない。
ノックの音が聞こえたが、彼女は返事をしない。動揺を悟られたくなかった。しばらくすると足音は遠のき、静寂だけが戻る。
(私が、あなたから未来を奪ってしまった。――王政を倒すために、どれだけ助けてもらったかわからないのに。今度は私が、あなたを追い出すなんて……)
瞼の裏に、革命期の鮮烈な記憶が甦る。自らの立場を捨て、パルメリアに手を貸したロデリックの姿。理想を追いかけ、互いを信頼し合った日々。
それを全て壊してでも、守らなければならない――それが「国」だと、彼女は必死に自分へ言い聞かせる。
「……全てが終わったあとに、もしあなたが私を責めることができるなら、責めてほしい。それでも私は、この道を進むしかない。――ロデリック、さようなら」
つぶやきを噛み締めながら、パルメリアはもう一度、ペンを握る。国境を越えて馬車が進むその頃、首都での統治はさらに強固になる。
レイナーやユリウスをはじめ、多くの者がパルメリアの決断を非難したが、彼女は心を閉ざすように書類を処理し続けた。どんなに苦しくても、背を向けることはできないと信じて――。
こうして元王太子ロデリック・アルカディアは国外へ追放され、新政府の「強権」はさらに揺るぎないものとなっていく。国を守るためだと繰り返すパルメリアの横顔には、揺るぎない決意と、それに追いつけない虚無だけがにじんでいた。




