第10話 恐怖の支配
大統領令が連発され、議会が形骸化していく共和国では、政府内部からさらに強硬な取り締まりを求める声が高まっていた。一方で、かつての革命の仲間たちは必死に説得を試みるものの、パルメリアはその声を押し切り、自らの意志を貫き通す。
ある朝、首都の広場にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。警備隊の詰め所から新たな大統領令が読み上げられると、広場に集まった市民たちは息をのむ。それは、「旧貴族や反政府活動に関わる者を一括して『反乱分子』と見なす」という内容だった。
反乱分子という言葉が掲げられるたび、逮捕や追放が繰り返される。さらに罪状が曖昧な者までも「疑わしきは拘束」という方針のもと取り締まりが行われ、街には昼間から重苦しい影が落ちていた。
市場の隅や路地裏では、恐怖や不満を小声でささやき合う市民たちの姿があった。しかし、わずかな声さえ反乱分子として告発される可能性を恐れ、人々はすぐに口を閉ざすのだった。
一方、旧貴族の中には勢力を立て直し、密かに武装して政権への抵抗を試みる者たちもいた。しかし、情報が漏れるたびに警備隊が動き、計画は潰されていく。ある旧貴族の私邸で深夜に行われていた会合も、密告を受けた官吏の指示で夜明け前に警備隊が踏み込み、参加者全員が逮捕された。その翌日には財産没収と強制労働が命じられ、まるで「見せしめ」のように速やかな処罰が執行された。恐怖の波は街中に広がり、人々の間には諦めの空気が漂い始めていた。
「どうして、こうなっちまったんだ……王政と変わらないどころか、もっと酷いかもしれない」
微かなぼやきが聞こえても、公然と批判する者はほとんどいなかった。下手に声を上げれば、すぐに国賊や反乱分子として告発されるからだ。街の空気は重く、昼間の光さえどこか陰鬱に見えるような状況になっていた。
そんななか、レイナーとユリウスが執務室を訪れ、何度目とも知れない説得を試みる。
パルメリアが制圧命令を下している反乱分子の網には、無関係な人々も巻き込まれ続けている。それを看過できない二人は、最後の望みをかけて彼女と向き合った。
「パルメリア、もうやめてくれ。『反乱分子』なんてひとまとめにして逮捕や追放を繰り返すのは、あまりに乱暴だ。罪のない人まで巻き込んでいる。このままじゃ、みんなが君を恐れるだけだよ」
先に口を開いたのは、外交を担うレイナーだった。その瞳には切実な悲しみが浮かんでいる。
パルメリアは机に広げられた報告書から目を外さぬまま、冷静な声で答える。
「放置すれば、内乱がさらに広がるだけよ。それこそ王政を倒した意味がなくなるわ。武装して動き出している者たちがいる以上、先手を打たなければ被害はもっと増える……あなたにもわかるでしょう?」
そこへユリウスが声を張り上げる。「民衆の自由」を掲げた革命のリーダーとしての激情が、その言葉に込められていた。
「待ってくれ。革命ってそういうものじゃなかっただろう。王政を倒して手にした自由をどう使うか、それが大事だって昔はみんなで話し合っていたじゃないか。こんなふうに市民の口を塞いで、何が残るんだ?」
その言葉には怒りというより、深い悲しみがにじんでいた。同じ理想を掲げた彼女が、今や反政府活動とひとくくりにされた人々を次々に排除している現実――それに抗うことができない無力感が彼の胸を苛んでいた。
パルメリアは短く息をつき、膝の上で指を組む。
「……私だって、誰かを抑えつけたいわけじゃない。それでも、旧貴族の陰謀や反乱の動きを見過ごすわけにはいかない。彼らが再び力を握れば、民衆の暮らしがさらに悪化するのは明らかよ」
レイナーは視線を落としながら、絞り出すように言う。
「それはわかる。だけど、このやり方では誰も反論できない。こんな形で国を守ったとして、いったい何が残るんだ?」
「少なくとも、戦火の拡大を防ぐことはできる。それがどれほど重要か、あなたもわかるはず」
彼女の返答に、二人は言葉を失うしかなかった。
ユリウスは唇を震わせながら、目を伏せた。彼女を強く拒絶すれば、国が分断される危険がある。それでも彼女の進む道を容認するには、革命の理念を裏切るような気がしてならなかった。
「……わかったよ。君の考えは変わらないみたいだな」
レイナーとユリウスは視線を交わし、無言のまま執務室を後にした。二人が去った後、パルメリアは静かに息を吐き、再び机上の書類へと目を戻す。
「私も、あなたたちを裏切りたいわけじゃない。でも、今やるべきことは明らかよ。――『反乱分子』を排除し、国を守る。それが私の責務なの」
彼女の瞳には揺らぎが見えたものの、その奥には硬い意志の光が宿っていた。
結局、二人は言葉を残すことなく執務室を後にするしかなかった。彼女を説得できない無力感、そして「強権」へ突き進む姿を止められないもどかしさが、胸の奥に重くのしかかる。
二人の背中が消えていくのを見つめながら、パルメリアは心の中で問いかけた。
(どうしてこんなにすれ違ってしまったの? 私たちは同じ理想を掲げていたはず。それなのに、どうしてこの方法以外に道がないように感じてしまうのかしら……)
その日の午後、パルメリアは旧貴族や反政府派のリストを整理し、新たな逮捕命令を発行した。その中には、かつて王政打倒に協力した者たちの名前さえ含まれていたが、「権力奪取を図っている可能性」という名目で次々と処分が下されていく。
さらにこれまで中立を保っていた商人や知識人までもが、政府の方針に異を唱えれば「反乱分子」とされかねない状況に陥っていた。こうして次第に人々は口を閉ざし、街には静かに恐怖が染み渡っていった。
「……やむを得ない。これほど多くの反乱の種があるなら、先手を打つしかないわ。誰かが汚れ役を引き受けなければ、国が滅びるだけ」
パルメリアは自らに言い聞かせるようにつぶやきながら、逮捕命令書に署名する。その行動はもはや、「革命の理想」からかけ離れたものになりつつあった。しかし、彼女の中では「国を守るためには仕方がない」という考えが確固たる信念となり、もはや外部からの声が届かなくなっていた。
レイナーは他国との交渉の合間に「国内での粛清が酷いと各国から非難されている」と頭を抱え、ユリウスは「これでは革命前の過ちを繰り返しているだけだ」と苛立ちを募らせていた。しかし、二人とも現状を変える手立てを見つけられず、今は沈黙するしかなかった。
こうして旧貴族や反対派の排除が日常的に行われるなか、表向きには街が落ち着きを取り戻したように見えた。だが、それは平和ではなく、ただ沈黙と恐怖によって成り立つ秩序にすぎなかった。
国を守るという大義のもと、パルメリアの決意は揺るぎないものとなり、強権支配はさらに加速していく。仲間たちと誓い合った革命の理想は、もう手の届かない場所へと遠のいていた。
それでも、彼女は後ろを振り返る余裕などないとばかりに前を向き続ける。それが、やがて彼女を取り返しのつかない運命へと導く引き金になることを、まだ誰も知る由もなかった――。




