あなたが若い子が好きだから
タイトルの一文は、僕だったらつい「あなたが若い娘が好きだから」と書きたくなってしまう。
なぜそう書きたくなるかと言うと、「若い子」と書いた場合は性別が明確ではないからだ。
若い男の子かも知れないし、若い女の子かも知れない。
どちらもあり得る以上、もしかすると「あなたがショタコンだったらどうしよう」と心配している可能性だってある。
まぁその時はその時で、どうしようも無いが。
ただし、「あなたが若い娘が好きだから」と書いてしまうと、『娘』を『むすめ』と読むか『こ』と読むかが若干紛らわしくなってしまうという欠点もある。
だったらルビを振ればいいだろ、ってことで、僕なら「あなたが若い娘が好きだから」と書くに違いない。
少し話が逸れるが、娘という漢字の部首は『女へん』である。
つまり左側の『女』が部首となっている。
その右に『良』と書いて娘という字が成り立っているわけだ。
「女 + 良 で『むすめ』になるのなら、男 + 良 で『むすこ』にすりゃいんじゃね?」と単純に思ったりもするが、残念ながらそのような漢字は無くて、『むすこ』は息子と書くのが正解である。
世の中には良い息子は少なく、ドラ息子が多いということだろうか。
あるいは逆に、「娘は『息女』と書くのが正解では?」と言いたくなるが、息女と書いてある場合は『むすめ』とは読まず、『そくじょ』と読むのが正解である。
そしてこの場合、息女は自分の娘ではなく、よその家の娘を指している。
ホワーイ、ジャパニーズピーポー!!
厚切りジェイソンか。
それはさておき。
実はこの作品のタイトルである「あなたが若い子が好きだから」は、森高千里の「私がオバさんになっても」という有名な歌の歌詞から引用したものだ。
歌詞を一行前から書くと、次のようになっている。
とても心配だわ
あなたが若い子が好きだから
僕は昔からこの歌詞には違和感があって、曲がこの部分に差し掛かると、いつも決まって「ん?」と思ってしまう。
そう思う理由はハッキリしている。
助詞の『が』が連続しているためだ。
同じ助詞でも、『の』の連続が気になる事は少ない。
例えば百人一首では、
「秋の田の 刈穂の庵の 笘をあらみ」
とか
「足曳の 長々し尾の しだり尾の」
なんて歌が出てくるが、これらはむしろリズム良く読むことができ、大して気にはならない。
ところが、『が』という濁音が繰り返されてしまうと、いかにも「俺が俺が」という感じになって耳障りに感じてしまう。
また、『の』は細かい事は気にせずに、どんどんくっつけていけるから、「秋の田の刈穂の庵の笘」と聞いても混乱することはないが、助詞の『が』の繰り返しはそうはいかず、極端な例を挙げれば、「私があなたが彼が君が好きだって言うのを聞いた」なんて言われると、すぐにピンとこなくて混乱してしまう。
そこまで極端ではないにしろ、森高千里ファンの人たちは先ほどの歌詞を聴いて、誰も何の違和感も感じないのだろうか。
「あなたが若い子が好きだから」という箇所は、部分的に見れば、「あなたは若い子が好きだから」とするのが一般的な正解であろう。
この方が聞こえが良く、意味もすんなりと入ってくるからだ。
もしも僕だったら、好きな女の娘に向かって、
「とても心配なんだ。僕は君が好きだから」
と言うことはあっても、
「とても心配なんだ。僕が君が好きだから」
とは絶対に言わない。
反対に、もしも僕が付き合っている彼女から、
「とても心配だわ。あなたが若い子が好きだから」
と言われたら、
「ん? 今の日本語おかしくね?」
と、口には出さないまでも、心の中で思っているに違いない。
ところが先ほど引用した通り、この歌詞の前には「とても心配だわ」という歌詞が置かれている。
仮にさっきの箇所を
「あなたは若い子が好きだから」
とすると、今度は
「心配だわ あなたは若い子が好きだから」
と続くことなり、『わ』という音が繰り返されることになる。
これはこれで収まりが悪く、部分的には「心配だわ あなたが〜」としたいところであるが、こうすると最初の歌詞に戻ってしまい、再び「あなたが若い子が」問題に直面することになる。
それならいっそ「心配だわ」を「心配なの」に変えてしまって、
「心配なの あなたは若い子が好きだから」
とすれば、同じ音が続くことはなく、一応の解決にはなりそうだ。
ところが、こうしてしまうと今度は微妙なニュアンスの違いが新たな問題として浮かび上がってくることになる。
「なの」と「だわ」のニュアンスの違いなんて、いちいち学校では教わらないから(特に教わるべきものでもないが)、この違いは各人の感性に委ねられるところであるが、僕にとっては「心配なの」の方が「心配だわ」よりも、若干重たく、恩着せがましく聞こえる。
歌詞全体を読んだ上で、この箇所にはどちらのニュアンスが相応しいかといえば、やはり後者である。
僕は、ここでの「とても心配だわ」には、「とても」と言う割には深刻に心配しているというニュアンスを感じない。
心配してそう言っているというよりは、イタズラっぽく笑いながら皮肉でそう言っているという感じなのだ。
「今はまだ私が若いからチヤホヤと大切にしてくれるけど、私がオバさんになったら、貴方はどうせ若い子に夢中になるんでしょ」という達観と皮肉が見て取れる。
ところが、これを「とても心配なの」にしてしまうと、この皮肉が効かなくなってしまう。
続けて「私がオバさんになったら、その時は貴方だって中年太りのオジさんなんだからね」という皮肉が追い討ちで控えている以上、やはりここは「とても心配だわ」としておきたいのである。
さぁ困った。
あちらを立てればこちらが立たず。
いわゆるトレードオフというやつだ。
仕方なくどこかで妥協し、どちらかを選択しなければならない。
人生とは妥協と選択の連続なのだと思い知らされる。
(大袈裟だな、おい)
この苦労は、『は』と『が』の区別なんて気にしない欧米人には到底分かるまい。
こんな些細な言葉の選択で悩むなんて、日本人とは何と繊細な民族なのであろう。
そりゃあストレスも溜まるわけだ。
まぁそれはともかく、僕は森高千里のこの曲を聴くたびに違和感を感じ、そしてその都度、僕は前述の考察を辿って、「なるほど、やむを得ない事情があったんだな」と勝手に一人で納得しているのである。(もちろん、そう思い込んでいるだけで、本当にそんな事情があったかは知らない)
最終的に森高千里は、
「心配だわ あなたは」
ではなく
「あなたが若い子が」の方を歌詞に採用した。
苦渋の選択だったに違いない。
読んで頂き、ありがとうございました。