釣り人の独り言
釣りはいい。
私がやっていた釣りは川釣りで、延べ竿(渓流竿)と呼ばれるリールがないただの一本竿を使用し餌釣りを行っていた。
幸いなことに父がキャンプを趣味としていたこともあり、週末はよく川の隣に設営されたキャンプ場へ赴いていた。
よって、春から秋にかけては釣り場に困ることは無かった。
川のせせらぎ、鳥のさえずり、草木の匂い、照り付ける太陽。
釣りは私の少年期から青年期にかけての青春の象徴であった。
今でこそ釣りはしなくなったが、一部の釣り具は手元に残っていたりする。
その釣り具が入ったケースを開けると、釣り竿と練り餌を取り付ける器具、ハリスやインタースナップ付ローリングサルカンという器具が入っていた。
フライ(疑似餌)も入っていた。
まだ少年だったころの私は自転車で釣具屋へ向かう。
そこで目玉が飛び出るような価格のロッドを横目に、目当ての釣り具を買う。
餌、浮き、重り、テグス(釣り糸)、針、――使いはしないが、ルアーも買ったことがある。
その小さなルアーの針を外して改造し、キーホルダーにしていた。
そしていざ釣りへ。
腰にポーチを付け、帽子を被り、竿を持っていく。
腰元のポーチからは巻き尺に取り付けられた小さなハサミとメジャーがぶら下がっていた。
川に辿り着いた私は、重りと生餌のついた針を川に向かって放り投げ、根がかりしないように気を付ける。
しばらくそのぴくりともしない浮きを眺める。
この時間がたまらなく好きだった。
そして浮きが数回水中へ沈む。
しかし竿はすぐには上げない。
確実に釣るためにタイミングを見計らう。
――そして、完全に浮きが沈んだところで一気に竿を引き上げた。
針が獲物の口に引っかかる。
そうして獲物と格闘すること数十秒。私はそれを陸に引き上げた。
釣り上げた魚は立派なニジマスだった。
命を粗末にしてはいけないという思いがあったので、すぐさま針を引き抜いて水の入ったバケツの中に魚を入れる。
そうして釣り上げること数匹。
私はその後、その重たいバケツを持って親がいるテントの元へ戻った。
その日は偶々親の知り合いの子がキャンプに参加していた。
バケツの中に居る魚が珍しかったらしく、その子はしばらく魚を触っていたが、その触り方が悪かったのか魚は弱っていった。
私はその子に注意をし、触ることを中断させた後魚を捌く。
親はよく小学校中学年の自分に刃物を持たせたものだ、と今になっては思う。
魚を器用に捌いたあと、キャンプ用のグリルの上でニジマスをホイル焼きにした。
自分で釣った魚の味は格別だった。
命を頂くというのはこういうことを指すのか、と当時考えたものだ。
テントの中で釣り具とサバイバルナイフを片付け、私は家族の元へ戻った。
冬はワカサギ釣りをしていました。
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