【8】
これで二階は周り終わったが、もうすぐ夕方だ。
神楽が言うには、夜になると霊の力が強まるらしい。急がなくてはならない。
階段に差し掛かると、俺の耳に下から奇妙な音が鳴るのが聞こえて来た。
複数、何十もの何か固いものが動くような音。誰もいないはずの廃病院で、いったい何がこんな音を立てているのか。
「神楽、太刀風僧正! 階段の下から音が迫ってくる! それもすごい数だ!」
「音が……いったいなんじゃ? またおかしなまじないか何かか?」
「そこまではわからないけど……だんだんこっちに向かって来ている!」
「はぁー、何も起きなかったり不気味なことが連続で起きたり、なんなんだよぉ、クソ!」
奏人がいら立った声で言い捨てる。なおも音は近づいていた。
皆にも音が聞こえ始めたらしく、神楽たちが身構える。
「わらわと太刀風は相手をしなくてはならぬかもしれん。あかり、音の方向に光を当ててくれ」
「は、はいっ!」
あかりさんが手にした大きな懐中電灯で階下を照らす。
そこには、階段を這い上がってくる数え切れないほどの人骨があった。
「ほほほ、骨がうごいてますぅ!? なんですかこれぇ!?」
「むう……妙だとは思わぬか、神楽……」
「お主も思うか、太刀風。やはりこれはおかしいのう」
落ち着いて動く骨を観察しているふたりが、言い合った。
「ふたりとも、おかしいってどういうことなんだ!?」
「今までわらわたちが触れて来た心霊現象は、言うなれば和、日本に現れるものじゃ。しかして、白骨が動き迫ってくるなど、あまり起こらない。死体は火葬するゆえな。むしろこれは西洋の呪術、ネクロマンサーのようなものだ」
「だけど、怪奇現象なんてどれも同じだろう?」
「違う……。今までのものはそこに怨念などがあれば……自然に起きてもおかしくない現象……。しかし……これは異なる……誰かが意図的に魔術を施さねば……こんなことはおきない」
意図的に魔術を行った――?
つまり、怨念や苦しみが霊になったのではなく、誰かが人為的にこの怪奇を起こしているということか?
考えてみれば、サクリファイス・ホスピタルだってそうだ。
ゲームが自然に生まれるワケがない。
勝手にインターネットに出回るハズがない。
誰かが、サクリファイス・ホスピタルを作ったからこそ存在するんだ。この事件には、裏で糸を引いている黒幕がいるのか――。
「とにかく、こいつらをどうする!? ぶったたいて壊すか!?」
俺は腰に差していた霊木刀を構えて言った。
「いや……数が多すぎる……。これでは……時間の無駄だ……」
「それに、この人骨どもが魔術の産物ならば、病院の呪いとは別物じゃ。後回しでも問題ない。幸いこやつらは動きが遅い、無視して三階にゆくぞよ!」
そうか、病院の呪いではないなら、清めても地下に控えた強敵の弱体化にはつながらないワケか。
まさに時間稼ぎの相手……。黒幕は、かなり周到なやつのようだ。
人骨から逃げるため、駆け足で階段をあがっていく。
三階に着いたとき、神楽の息があがっていた。華奢な身体で大きな荷物を背負っているのだから、当然だろう。
「おいおい、神楽息あがっちゃってるじゃん。しょーがねーなぁ、ほれ、荷物よこせよ。俺が持っててやる」
「ぬ、この程度、どうということない」
めずらしく奏人が気の利いたことを言った。
自分が何もしていない自覚はあるようだ。
「まだあの骨野郎が追いかけてきてるんだろ、走る場面もあるかもじゃん。神楽と太刀風センセーが戦えないと俺たちが困るワケ。ここは一般人代表に任せろって」
「むう……」
神楽は奏人に疲れを見抜かれ、仕方ないといった様子で荷物を奏人に預けた。
「どうだ遥人、これで俺も役に立ってるんだからな! うるさいこと言うなよな!」
「わかってるよ奏人。でも撮影はいい加減にしとけよ」
「荷物持ちしてるんだから、撮影くらい良いだろ。この事件が終わったら、ハルカナチャンネルは登録者数が爆増だぞ、俺たち一気に人気者だ、遥人も喜べよ!」
「すわりんたちのことが優先だろ。やれやれ」
本当に奏人はマイペースである。
ただ、いつもと変わらぬその姿が、俺の気持ちを少しだけ落ち着かせてくれる。
三階もまた、入院患者用の病室が並んでいた。
今度はどれも個室である。
一階は雑魚寝のような部屋、二階はやや複数。そしてここは個人専用と使い分けられているようだ。個室だけに、お清めも手早く進んでいく。
ある個室に入ったとき、俺はおかしな気配を感じた。
何かいる――。俺の直感がそう言っている。
いったいどこに……。
「あれは……人形?」
この部屋に入院していたのは女の子だったのだろうか。
ベッドのそばの棚に腰掛けるようにして、西洋人形が置かれていた。
その人形が、なにかおかしい。首筋が痺れるような感じ。この違和感――。
「神楽! 太刀風僧正! あの人形はなにかおかしい! 注意しろ!」
霊木刀を抜いて、叫ぶ。
神楽と太刀風僧正も、俺の言葉に素早く反応した。
その瞬間、西洋人形はものすごいスピードで飛び掛かって来る。
「今度は人形が動くとか、ホラー映画そのまんまじゃねーか!」
「くそ、こいつ速いっ!」
霊木刀を思い切り叩きつける。しかし、人形はひらりと身をかわした。
手の甲に、小さな痛みが走った。見ると切り傷が出来ている。あの人形の爪だろうか。
「注意しろ、何か鋭いものを持ってる!」
人形は、素早く自在に宙を舞う。
神楽の符も太刀風僧正の数珠も、なかなか人形を捉えることが出来ない。
しびれを切らした奏人が声をあげる。
「なぁ、太刀風センセーよぉ! こんなの無視して先に行くってのはダメなのかっ!?」
「先ほどの骨と違い……かなり速い……。逃げても、追い付かれるだけ……」
「ここで片づけるしかないのじゃ! ええい、それにしてもわずらわしい!」
三人がかりでも、なかなか人形に攻撃を当てることが出来ない。
人形は俺たちを嘲笑うように、俺と神楽と太刀風僧正の間を動き回っている。
――なぜ、俺たち三人しか狙わないんだ?
――どうして、あかりさんと奏人に攻撃をしない?
俺は人形の動きをじっと観察した。すると、あることが見えてきた。
この人形は、攻撃してくる相手に反応して動いているんだ。
神楽が符を出せば神楽を襲い、太刀風僧正の数珠が飛べばそれをかわして斬りかかる。
それならば、攻撃をかわし反撃に移る瞬間の隙を狙えば、もしかしたら――。
「神楽、考えがある! 俺の合図で人形に攻撃を仕掛けてくれ!」
「なんじゃと? いや、ここはお主を信じるか。把握した!」
人形が太刀風僧正の数珠をかわし、反撃した。
回避から反撃に変わる一瞬、人形は動きを止める。狙うのはそこだ。
「神楽、今だ! 人形に攻撃してくれ!」
「承知した! てやぁ!」
神楽の繰り出した符を、人形がひらりとかわした。
ほんの一瞬、反撃に映ろうとする人形の動きが止まる。
一気に間合いをつめ、俺は人形に霊木刀を振り下ろした。
「そこだ! おおおっ!」
重い手応え。
俺の霊木刀は、見事に人形の頭に命中した。
しかし、頭部を破壊された人形はまだビクビクと動いている。
「祓いたまえっ、清めたまえ!」
神楽の符が人形の中心に押し当てられた。
ぶしゅうっと空気が抜けたような音をして、人形が地面に落下した。「南無……」と短く言った太刀風僧正が、数珠を持った手で人形の残骸を殴り潰す。
「おー、すっげー! 遥人やるじゃん!」
「遥人さん、お見事でございますっ!」
「よく観察して、なんとか動きを読めたよ。うまく行って良かった」
念入りに人形にお札を張り付けた神楽が、俺に向き直る。
「やるのう、遥人。これもお主の勘か?」
「これは勘じゃないよ。人形の動きをよく見ていたら、攻撃と回避の間に一瞬止まるときがあるって気付いたんだ」
「良い判断であった……。我らのように……悪霊と闘いなれた者には、見えぬことも……そなたになら見えるのやもな……」
皆に褒められると、ついつい浮かれてしまう。
けれど嬉しい気持ちを抑え込んで、気を引き締めた。
「日没までもうあまり時間がない、どんどん行こう」
「そうじゃな、手間取ってしまったゆえ、急がねばじゃな。それにしても……遥人、太刀風、気付いたか? あの人形はまだ置かれて間もないものだったぞ。汚れもなく、ほこりもかぶっていなかった」
「誰かが立ち入り……設置したということ……。ゲームの流行と言い……意図的なものだな……」
言われてみれば、人形だけは廃墟に似つかわしくなくキレイなままであった。
この廃病院に、つい最近誰かが入って仕掛けたということか。
「これからも罠はあるじゃろうな、警戒して行こう」
それからも個室をひとつずつ浄化して回る。
個室には窓があり、すでに外が夕暮れのオレンジに包まれているのが見て取れた。
もうすぐあの夕日が沈んでしまう。
その前に呪いの正体を突き止めて解決しなければ。
決意も新たに踏み込んだ最後の個室で、俺は言葉を失った。
その部屋には、ずらりと人形が並べられていたのだ――。
「なぁ、おい、遥人……。まさか、アレ全部ヤバイなんてことないだろうな?」
奏人が声を震わせる。俺は霊木刀を抜いて、歯ぎしりして言った。
「悪い知らせだ、奏人。あの人形全部からイヤな予感がする」
「マジかよ……。たった一体であんなに手こずったのに」
「さっきの洋風の人形以外にも、和人形とかよくわからないものまでありますよっ!?」
「そうは言っても、やるしかなかろう!」
神楽と俺が身構える。しかし、その前に太刀風僧正が立った。
「ここは……我に任せよ……」
「何を言うんですか、太刀風僧正! 皆でこいつらをやっつけましょう!」
「もうすぐ日が沈む……その前に本体を叩かねばなるまい……。ここで時間を……無駄にするワケにはいかぬ……」
今までにないほど長い数珠を取り出して、太刀風僧正が大きく息を吐いた。
「大規模な術式を使うゆえ……心配無用……。こやつらを片づけたのち……すぐに私も地下に参ろう……」
「だけどっ!」
身を乗り出して太刀風僧正を止めようとした俺を、神楽が手で制した。
「太刀風はこの部屋全体を一気に浄化するつもりじゃ。ここにわらわたちがいても邪魔になるだけであろう。地下へ行くぞ、遥人・奏人・あかり」
どうすれば良い?
俺は束の間、迷った。しかし、こうして迷う間にも時間は過ぎていくのだ。
「くっ、それしかないのか……。太刀風僧正、どうかご無事でっ!」
「太刀風センセー、地下で待ってるからなっ! カッコつけてやられちゃうとかすんなよ!」
「太刀風さん、あたしたち先に行って待っていますから! 絶対絶対来てくださいね!」
「太刀風、頼んだ! よし、地下へ行くぞ!」
個室を抜けて走り出す。部屋からは太刀風僧正が呪文を唱える声が聞こえた。
――どうか、無事で。
思いを込めて、進んで行く。しかし、その足が止まった。
階段に続く廊下に、何十体ものガイコツの群れがいたのである。
「うげぇ! こいつら、あんなにのろかったのにもうここまで来たのかよ!?」
「人形に時間をかけ過ぎたようじゃな」
「どうする神楽!? 強引に駆け抜けるか!?」
焦る俺を、冷静な神楽の声がたしなめた。
「落ち着かぬか、遥人。見取り図を思い出すのじゃ」
「見取り図がどうしたっていうんだ?」
「三階は、円を描くように作られておったじゃろう。つまり、ぐるりと回り道をすればこやつらを避けて、安全に階段を降りられる。むしろこやつらが階段に残ってなくて幸運だったと言えよう」
そうだった。三階は、円形に作られてるんだ。
ならば、こいつらと闘って切り抜けるより、迂回した方がずっと早い。
そんなことにも気がつかないなんて――。
太刀風僧正が抜けてしまって、俺がもっとしっかりしないといけないのに。
気持ちだけが先走っている。
こういうときこそ冷静に。
奏人たちとやったゲームの数々を思い出せ。
相手を追い詰めたとき、勝負が決まる瞬間、引き金を引くとき。
どんなときも、慌てたほうが負ける。
落ち着いてプレイした方が、勝利を収めるんだ。
俺はふぅと息をついて神楽の顔を見た。まだあどけない顔の中で、芯の強そうな大きな目が輝いている。
「すまなかった、神楽。なんか俺、太刀風僧正がいない分もやらなきゃって変に気負ってたみたいだ。神楽の言う通り、回り込んで下に降りよう!」
「それで良い、遥人。いかなるときも冷静さを失うな。では、走るぞ!」
四人で廊下を逆方向に走り出す。
ガイコツたちは追いかけてくるが、やはり動きは遅い。
あっという間に差をつけて、無事に階段までたどり着いた。
「ふぃー、焦った。遥人、皆、こっからどうするワケ? 俺らが見てたホラーゲームだと、地下ってなんか別の場所に入り口があったよな?」
「まずは、一階まで降りましょう! それで地下に続く階段を探さなきゃ!」
無事にガイコツにも遭遇せずに、階段を降りきって一階までついた。
すわりんの配信を思い出して、なんとか地下に続く階段を探り当てようと記憶をたどる。
そのとき、ドアが激しく閉まる音と奏人の悲鳴が響いた。
「うわぁぁぁぁ!」
「奏人っ!? どうした、どこだ!?」
「遥人、ここだ! 出られない、助けてくれっ!」
声を追いかけて視線を向けると、鉄製のドアに閉じ込められた奏人の姿があった。