【5】
俺たちがあかりさんを見ていると、あかりさんはゆっくり身体を前後に揺らし始める。
「……キエ……イ……マダ……ツカレ……タス、ケ……セイボサ、マ……タスケ……」
あかりさんの声とはまるで違う、疲れたような男の声だった。
――セイボサ、マ。聖母様?
この廃病院でも、聖母様という言葉を聞くとは。
倒れた部屋や、病院ですわりんが言っていた言葉と同じだ。
やはり、サクリファイス・ホスピタルはこの病院が舞台だったのか。
そして、この霊もまた、聖母様という存在に何かを求めている。
「スクッテ……クダ……セイ、ボ、サ……アアア……タス……」
「神楽、同じだ。俺の友達のすわりんも聖母様と言っていた」
「ゲームそっくりな作りの病院に、プレイした人間とこの地の霊が言う事が共通した。つまり、やはり呪いの発信地はこの廃病院なのじゃ」
神楽の言葉に、太刀風僧正もうなずく。
あかりさんは同じ言葉を何度も繰り返している。
「ふむ、この霊はかなり低級の霊のようじゃな。大した言葉はもたぬ。頃合いかのう」
そう言うと、神楽はあかりさんのそばまで歩み寄り、あかりさんの額に符を当てた。
「魔を祓いたまえ、はっ!」
神楽が符を当てると、さっきは吸い込まれそうだった風が、飛び散るように周囲に吹いた。あかりさんはガクンと一度大きく身体を前に倒したあと、ゆっくり顔をあげた。
「も、戻りました。あの、霊は何か言っていたでしょうか?」
「ご苦労じゃった、あかり。やはり呪いの根源はこの病院のようじゃ」
「そうでしたか。じゃ、じゃあ気を付けないといけませんね」
かすかに震えたあかりさんが、立ち上がり服のほこりを払った。
奏人は相変わらず熱心にカメラを回している。神楽が見取り図を見て言った。
「ふむ、二階に通じる階段は東側にあるようじゃな。ならばわらわたちは北側から西側、そして南側を通って東側の階段まで行くとするかの」
「北から順番に、霊やバケモノみたいなのを払っていくってことか?」
俺の問いかけに、太刀風僧正が口を開く。
「何も霊やバケモノだけではない……。穢れた部屋も……浄化しながら回る……」
「うえぇ、それめっちゃめんどくさそう! すげー時間かかりそうだし」
顔をしかめて文句を言った奏人を、神楽がしかる。
「このバカモノがっ! だから朝早くに集まるはずだったんじゃろうが。遅れてきたのはお主ではないか。文句を垂れるな」
「はーい……、すいませんでしたよっと」
肩をすくめる奏人。
俺たちはまず受け付けに清めの塩をまき、太刀風僧正が念仏を唱えた。
「そういえばさ、霊とかバケモノに念仏って聞くワケ? 霊がクリスチャンだったらアーメンとか言ったほうが良くね?」
太刀風僧正の念仏を聞いていた奏人が、不思議そうに言った。
言われてみるとそうだ。どんな霊にも念仏が通用するものなのだろうか。
「大切なのは、信じている宗教や宗派ではない。場を清める力なのじゃ。太刀風ならばそれが仏教であり念仏であるだけで、清めの力さえ発揮出来ればなんでも良いのじゃ」
「そんなテキトーなもんなのか、霊とかって?」
「テキトーではない。わらわたちは霊を清めるため、言うなれば祓う力のトレーニングをしていると考えよ。そのトレーニング方法が何通りもあり、誰がどれを選ぼうが勝手じゃ。効果さえあれば良い」
なるほど、世の中にはエクソシストとか、神父とか、祈祷師とか神道とか色々ある。
仏教なんて宗派が分かれていて、数え切れないくらいだ。
「形は違えど、霊や穢れってやつを祓う意思が大切ってワケか」
「その通りじゃ、遥人。お前たちもせいぜいこの機会にいろいろと学んでおくのじゃな」
奏人は「そんなもんかねー」と言って、あかりさんの方を見た。
「ねぇねぇ、あかりちゃんはどういう風にオバケやっつけたりするわけ? やっぱあの、巫女さんとか神主さんが持ってる紙ついた棒でバサッとやるの?」
奏人に話を振られたあかりさんが、戸惑って首を振る。
「い、いえいえ! あたしまだまだ未熟でっ! 太刀風僧正や神楽さんのようなことは出来ません! 降霊以外はほとんどなにも出来なくて、あの、すいません!」
「あかり、謝る必要などない。霊やバケモノの相手はわらわたちがする。お主は降霊で少しでも事件の真相を見つけて行ってくれればそれで良いのだ」
「はいぃー! 神楽さん、ありがとうございますぅ! あたし、頑張ります!」
あかりさんが胸の前で手をぎゅっと握りしめて言った。
「奏人も余計なことを言うでない。一番なにも出来ないのはお主ではないか」
「俺はこの動画でアクセス数と登録者稼ぎまくって、大金持ちになるからいいんだよ。お前らにもちょっとは分けてやるから、感謝しろよな」
奏人のあくびれない様子に、神楽はため息をついた。
「一般人の感覚も必要かと思いこやつも誘ったが、失敗だったかもしれぬな」
「なぁ、神楽。なんで奏人も連れて行くことをオーケーしてくれたんだ?」
神楽の、呆れた様子を見かねてたずねる。
「遥人、さっきも言ったがお主は五感、ひいては第六感に優れる。小さな怪異も見つけることが出来るかもしれぬと連れて来た」
「ああ。まぁ、勘が良いとはよく言われるけど。でも奏人は?」
「お主とは逆に、奏人はただの一般人じゃ。その一般人が危険を感じるほどの何かがここにはあるかもしれぬ。わらわたちは皆それぞれに修行をしておる。だからこそ、何かを見落とすかもしれない。ゆえに何も出来ぬ一般人も必要だったのじゃ」
なるほど、一般人でも恐れてしまうようなものがあるかどうか、言うなれば奏人は探知機のような役割りを任されたということか。
神楽の言う通り、様々な視点でこの廃病院を見たほうが、なにかを見落とすこともなさそうだ。
「待たせたな……清めは終わった……。北側の病室を回ろう……」
太刀風僧正が戻って来て言った。受け付け辺りまではドアから入る日差しでまだ明るかったが、奥のほうに視線を向けると、真っ暗な闇が広がっていた。
「暗すぎて見えないな。懐中電灯を使うしかないか」
「いいじゃんいいじゃん! 廃墟探検っぽくて! 雰囲気出て良い動画撮れるぜ」
「奏人はそればっかだな。すわりんのこともあるんだぞ、ちょっとは真面目にやれよ」
俺があきれながら言うと、奏人は肩をすくめて笑った。
「その問題は、ここにいる専門家のセンセーたちがなんとかしてくれるだろうよ。そりゃあ、俺だってすわりんのことは心配だ。でも、俺ってば一般人だからなにも出来ねーし」
奏人は、意外と神楽に一般人と言われたことを根に持っているのかもしれない。
これ以上言ってもムダだなと判断して、懐中電灯に灯かりをつけた。
「よし、北側の病室へゆくぞ」
神楽の言葉で、全員が病院のドアに背を向ける恰好で北側に進んで行く。
そのとき、背後で大きな金属音がした。
それに続き、ドシン、と何かが閉まる重い音。
俺たちが慌てて振り返ると、病院のドアが閉ざされていた。
「病院のドアが! 風で、閉まったのか?」
「なにやら……良くない予感がするが……」
俺と奏人、それに太刀風僧正がドアまで向かう。
そして閉まったドアを開けようとしたが、三人でどんなに力をこめても、ドアはピクリとも動かなかった。
「どうやら、この病院もわらわたちのことを逃がす気はないようじゃな」
「廃病院とゲームの呪い……その関係性……それを知った者は、逃がさぬか……」
「あ、あたしたち、ととと、閉じ込められちゃったんですかぁ!?」
大慌てするあかりさん。
奏人は、何度もドアに体当たりしたり蹴りつけたりしている。
「おいおい、マジかよ! ざけんなよっ! こんなことあってたまるか!」
怒鳴る奏人は、廃病院のいたるものをドアに向かって投げつけた。
最終的には待合室の長椅子を引きずって来て、勢い良くドア目掛けて突進していく。
それでも、病院のドアはまるで動かない。
廃病院の呪い――。
入って来た人間を閉じ込めてしまうほどの、強い呪いがここにはあるのだろうか。
「なんで開かねぇんだよ!? くそ、太刀風センセーよぉ、なんとかならないのか!?」
「廃病院の呪いの力が……集まっている……。ひとつずつ……浄化していくしかあるまい……」
「呪いってなんだよ! ちくしょう! 出せー! そうだ、スマホで助けを呼べば!」
なおもドアを殴りつける奏人が、ポケットからスマートフォンを取り出した。
そして、画面を見て顔色を変える。
「圏外っ!? なんで、どーしてだよ! さっきまでは普通に電波あったのに!」
慌てふためく奏人に、神楽が冷静な声で言った。
「それもこの建物の呪いであろう。太刀風の言う通り、この廃病院を少しずつ清めていくしかあるまい。時間が経つほどわらわたちは疲弊し、霊たちは勢いづく。急いで北側の病室に向かうぞ。イヤならそこでドアにしがみついておれ」
言うと、神楽はカンテラを持って歩きだした。太刀風僧正もそれに続く。
「と、とにかく奏人さん! 離れ離れになったら危ないですよ、行きましょう!」
「奏人、太刀風僧正と神楽がああ言うんだ。他に方法はないだろう。行くぞ」
「ちくしょう、ちくしょう!」
俺とあかりさんがなんとか奏人をなだめ、先を行くふたりの後を追った。
北側は集団病室が並んでいる。
暗いだけで、病院はこんなにも不気味になるものか――。
「ここには大したものはいなさそうじゃな」
北側の病室に入りまわりを見渡した神楽が言った。
病室には、いくつものベッドがほこりを被って並んでいる。普通、病院の複数人用の病室はせいぜい六人から八人だろうが、ここには何十ものベッドが置かれていた。
これでは気が休まらないだろう。
ひどい環境で入院を強いられていたのであろうか。
「ひでー部屋だな、俺ぜってーこんなところ入りたくないわ」
カメラを手にした奏人が呆れた声で言う。まったく同感だ。
太刀風僧正と神楽が手早く作業――お清めと言えばいいのだろうか――を済ませる。
「これにてこの場の浄化は終わった……すぐに次に参ろう……」
太刀風僧正の言葉で、全員が移動を始める。
見取り図を見た限り、病院はかなり広くて大きい。これは確かに早朝からやらねば回り切れないだろう。
静かな廃病院に、俺たちの足音だけが響き渡る。
いくつかの部屋でお清めを済ませた俺たちが次に向かったのは、厨房だった。
ここで入院患者の食事を作っていたのであろう。
学校の給食室で見たような大きな鍋などが並んでいた。
厨房の中を進んで行くと、ふいにどこからか微かな音が聞こえた。
「ちょっと待ってくれ、神楽、太刀風僧正。今なにか聞こえた」
「音がしたじゃと? 気のせいではないのか?」
「俺の五感を信じて連れてきたんだろ、何かあるのかもしれない。警戒してくれ」
歩みを止めた太刀風僧正が、手にした数珠を数度鳴らした。
「何かおるならば……出てこさせて祓わねばならぬ……ぬん!」
太刀風僧正が気合いを込めて腹の底が震えるような大きな声を出す。
すると、まるでそれに応えるように厨房全体から、ガタガタと物がぶつかり合うような音が聞こえ始めた。
「きゃ、きゃあ!? なんですか、これー!?」
「おいおい、マジで何か起きちゃってんじゃん! なんだってんだ!?」
うろたえるあかりさんと奏人。
神楽は符を手にかかげ、太刀風僧正は身構える。
「俗に言うポルダーガイストというやつじゃな。目ざわりじゃのう。失せよっ!」
神楽が叫ぶと、物音が一斉に止まった。
「おおー、一発で止めちゃった! すっげーじゃん、神楽! しかも怪奇現象をマジでカメラで撮れちゃったし、大ラッキーってやつ?」
「いや、まだ終わっておらぬ。奏人とあかりはわらわたちの後ろに隠れておれ」
「へっ、だってもう静かになって……」
奏人が言いかけたとき、厨房のそこらじゅうから調理器具や食器、皿などが浮き上がった。
「うわぁぁぁ! なんだよこれっ!?」
「これは……ただのポルダーガイストにあらず……何か妙だが……」
「ただのポルダーガイストじゃない? どういうことです、太刀風僧正?」
太刀風僧正に問いかける俺に、神楽が背負ったカバンから何かを放り投げてきた。
「これを使え、遥人。お主には戦力になってもらうからのう」
「なんだよ、この棒っきれ? それに戦力ってどういう意味だ?」
「質問ばかりするでない。それと、それはただの棒にあらず! 神聖な霊木より生み出された霊木刀じゃ。さっさと構えよ、来るぞよ!」
俺はどうして良いかわからないまま、神楽に渡された霊木刀とやらを持ちやすいように調整した。剣道の竹刀より少し短いかな、と思わせるものだ。刃の部分には読めない字が刻まれており、握るとわずかに赤く輝くようであった、
それにしても、来るっていったい何が――そう言おうとした瞬間、厨房の浮き上がっていた調理器具や食器、皿が一斉に動き出した。
まっすぐに、こちらに向かってくる。
「なんだこれ! どうなってんだ、くそ!」
俺は手に持った霊木刀で、飛んできた皿を叩き落とす。
次々と、様々なものがこちらに向かって飛び掛かってくる。これじゃあまるで、誰かが超能力でも使ったかのようだ。
「ことわりに背くものたち……滅するべし……喝っ!」
数珠をにぎった太刀風僧正が思い切り腕を振ると、周囲の飛んできたものがぼとりと地面に落ちていく。
「くだらぬ呪いにおびやかされるわらわではない! 呪術よ、消えよっ!」
神楽が符をかざし、言葉を唱えると器具たちがはじけ飛ぶように転がり落ちる。
これがふたりの力か……。
しかし俺も感心しているヒマはなかった。
次から次に襲ってくる食器たちを、目でとらえ、霊木刀でしっかりと叩き落とす。
「この! くっそ、数が多い! だぁぁぁぁ!」
「遥人、なんとかしてくれ! 頼んだぞ!」
「お、お力になれず、ももも、申し訳ございませんー!」
神楽と太刀風僧正と俺。
三人で、奏人とあかりさんを守るようにしてポルダーガイストの攻撃を防いだ。
「遥人、小皿などは構わずとも良い! ナイフや巨大な器具には気を付けよ!」
神楽にそう言われた瞬間、フォークが俺の目の前に飛んできた。
「うお、あぶねっ!」
思わず声をあげ、フォークをよけそうになりとどまった。
――俺がよけたら、奏人やあかりさんに当たってしまうかも。
「くっ、ぶったたくしかないのか!」
眼前のフォークを手にした霊木刀で叩く。
叩き落とした食器などは、不思議と再び動き出すことはなかった。
神楽や太刀風僧正ならば、呪いを祓ったということだろうが、俺が叩いたものも動きを止める。この霊木刀に何か力があるのかもしれない。
しばらくの間、食器や調理器具を祓う戦いが続いた。
俺は小皿にぶつかられたり箸に突っつかれたりしたものの、なんとか危険な刃物などは霊木刀で打って落とすことが出来た。
「これで……終いだ……はあぁ!」
太刀風僧正の大きな声で、暴れていた食器たちが落ち着いた。
「ふへぇ……よ、ようやく終わったぁ……。この映像、出来過ぎでやらせと思われるかもな」
その場にがくりと膝をついた奏人が言う。
まったくもって、こんなものは出来過ぎだろう。
呪われた病院だからと言って、こんなことが起きるものなのだろうか。
「ふぅ……。神楽、この棒、霊木刀だっけ? 助かったよ、ありがと、う……?」
神楽にお礼を言いかけたところで、俺は言葉に詰まってしまう。
奥にある巨大な、鉄のかたまりのような鍋がゴトゴトと動き出していたのだ。
あんなものにぶつかられたら、ひとたまりもない。
かといって、この霊木刀じゃアレはデカすぎてどうにか出来る気がしなかった。
立ち尽くしていた俺の横を、符を持った神楽が走り抜けた。
「祓いたまえ、清め給え、邪妖駆逐! はっ!」
今にも飛び掛かって来そうな鍋に突っ込んでいった神楽が、呪文とともに鍋に符を突き出す。神楽の符に触れた鍋が、一度ビクリと動いて静かに落下した。
「神楽……見事なり……」
「太刀風こそ、さすがじゃな。遥人、お前も素人にしてはようやったぞ」
ふたりはさして疲れた様子も見せずにしゃべっている。
彼らにしてみれば、こういう怪現象も慣れっこなのだろうか。
しかし、神楽が首をひねった。
「ポルダーガイストにしては都合の良すぎる現象じゃ。太刀風の言ったように妙じゃな」
「た、ただの呪いじゃないとなると、悪意のある呪術やまじないとかでしょうか?」
「わからぬが……進むよりほかに道は無し……。各々、注意せよ……」
そう言うと、太刀風僧正が先に進み始めた。神楽も続く。
どうやらここのお祓いとお清めはこれで終わったらしい。
サクリファイス・ホスピタル――いったいあのゲームは、そしてこの廃病院はなんなんだ?
なんにしても、ここには何らかの悪意が込められている可能性が高いということか。
俺は改めて、神楽から受け取った霊木刀を強く握りしめた。