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ルーシアンミス  作者: 月白 翠
三章 アイリンの剣

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四話 種を蒔く

 アンダステ南東外域、パテロ-ペデオン。ここにはガリア王国の荘園がある。

 その一角でアサンを浴びながら大地を穿ち、種を埋めている人影。一列終えては次の畝へ黙々と続けていた。屈んでいるので腰も痛み出して、時々立ち上がっては腰を伸ばして再び屈み込む。終わった畝を眺めると綺麗に並んだ仕事が認められ、丁寧で正確な仕事ぶりに自画自賛しそうになっていた。

 「そっち終わったかぁ?」

 少年が背中から声をかける。彼女は自信ありげに振り向いて答えた。

 「もうすぐ終わるよ」

 今までで一番上手く出来たと自負するソレルは力強い声だった。ホウサは終わった畝を眺めて分かりやすく不満を漏らす。

 「真っすぐって言ってんのに、何で曲がるかなぁ?」

 ソレルは不思議そうな表情を少年へ向ける。今日は真っすぐ出来たはずだ。

 少年は大袈裟にため息を吐いて

 「またやり直しかよ」

 手伝いなのか邪魔してるのか、どっちだよと小声で言っている。

 ホウサの視線はソレルの蒔いた所を端から端へと眺めて、緩やかに曲がっている所で嘆息する。

 真っすぐの所もあるが徐々に曲がっていき、緩やかに元の位置に戻っている。どうやればこんな風に出来上がるのかとホウサは悩む。これが三つもあるのかと思うとため息しか出ない。最初にやり方教えたよな、と思い出しながら少年はどうやってやり直そうかと考える。

 「やり直さなくてもいいんじゃない?」

 後方から声をかけてきたのは先生。彼は本名を名乗らず先生と呼ばせている変わり者だが、ここではなくてはならない人物。いつも作業着を着ているが今日は厚めの上着を着込んでいた。

 先生はソレルの植えた畝をざっと見回して頷く。

 「あそことあっちね」

 指で示した。

 「曲がった所に別のを植えてみるのもいいんじゃないかな」

 予想外な言葉にホウサは気が違ったのかと思った。

 「何言ってるの?」

 「面白そう」

 何故かソレルは楽しそうにしている。気付くとソレルと先生は何を植えたらいいかと話の花を咲かせている。

 「ちょっと待ったーっ」

 ホウサは叫んで熱の入った会話を止めた。二人を睨んで真面目にやれと叫ぶ。そうして怒ったままぷいと小屋へ行ってしまった。



 荘園の中に点在する小屋は作業の合間に休憩をしたり、作業に必要な道具の保管などに使われている。これはパテロ-ガリアで行っていたのと同様で、働く人達がやり易いように配慮されている。

 パテロ-ガリア崩壊後、荘園の職員、作業員はこのパテロ-ペデオンへ来ていた。気分が落ち着くまでと新しい環境に慣れるまでの時間を置いて、彼らは新しい作業を始めたのだった。

 荘園には何でも揃っていた。その為彼らはまず土を耕し、次にふくよかになるように肥料を混ぜ込んだ。それから暫く土地を寝かせた。

 その間彼らはパテロの崩壊と改めて向き合ってしまい、精神的に引き籠る人も出た。そんな時先生は一人ひとりの心が晴れるように寄り添った。ホウサはそんな先生を見て尊敬の眼差しを向けたものだ。

 その後、平常心を取り戻した人から作業に戻っていった。ホウサはその一人でまだ十歳だが作業能力は大人並み。彼自身も作業についてはかなりの自信を持っている。

 彼は母親と二人で支え合って荘園の仕事を熟していた。本来なら彼くらいの年齢には基礎学力は修了しているのだがホウサは基礎をまともに受けていない。

 荘園の管理と指導をしている先生は時々ホウサに勉強を教えていたが学校へ行かないのかと聞くと「読み書きは出来るから問題ない」と取り合わない。

 そんな押しの弱い先生にソレルは腹を立てた。

 「ホウサは確かに優秀かもしれないけど、まだ子供だし学ぶ事は多いはず。あなたがその気にさせなくてどうするんですか」

 一度はっきりと言ったのだが、先生はホウサの家庭環境を出して無理は言えないのだと説明した。

 ホウサの父親は彼が幼い頃に亡くなり、母親は仕事と子育てを一人で担っていた。母親は元々体が弱く寝付く事も多かった。出産がより体を弱めた可能性があると医師が話しているのを聞いてしまったホウサは自分のせいなのかと思い詰めた。それから彼は幼いながら母親を自分が守ると決めていた。

 ガリア王国には組制度があり、作業は組ごとで行う。組は十戸で一組、一戸で最低一人の作業員を出す決まり。ホウサの家は父親が亡くなり、母親も寝付いてしまうとホウサが出るしかないのだ。

 「朝夕の手伝いならともかく、子供が作業員になるのは禁じられているはずよ」

 それを聞いたソレルは先生に食って掛かったが、先生は冷静に答えた。

 「特例はありますよ。その特例を決めるのは領家です。領家が認めれば子供でも作業員になれます。荘園の中の事は全て領家の承認があれば何でもありなんです」

 先生のどこか悔しさが滲む言葉にソレルは鼓動が速くなって穏やかになれずにいた。

 「それなら、私が言うわ。お父様に」

 「それはいけません」

 先生は大きな声を上げた。

 「それは決してしてはならない事です」

 目を見開いて驚くソレルにさらに言う。

 「それに知っていますよ、国王様は」

 先生の言葉はさらに大きな衝撃となって彼女を貫いた。蒼白になったソレルに先生は絞り出すように続けた。

 「国王様でも、領家の権限に口出し出来ません。荘園の経営は領家に任されています。国が子供の作業員を認めていなくても領家の判断で認められます」

 ソレルは反論する言葉を持ち合わせず、ただそこに悔しさを抱えて立ち尽くしていた。


 事情を知って以降、ソレルは時々手伝いに行くようになった。名前は偽名で学生の身分を使って。

 (世間を知りたいと思っただけだったんだけどな・・・・)

 知れば知るほど自分がいかに世間知らずだと思い知らされる。

 (学校では決して知る事の出来ないものがここにある)

 小屋の椅子に座り卓に肘を付けて考え込んでいた。その前に湯気の立つ腕が置かれた。

 「ここはね、国ではないから、今までの政令でいいのかと、僕は思うんだよね。こんな事を僕が思っていても、上の方々が何もしないと同じままなのかな──」

 先生が独り言のようにぼそぼそと言った。

 その意味を測りかねてソレルは見上げたが、表情からは何も分からなかった。

 「先生、このあと水やりでいいか?」

 小屋の奥から道具を担いで現れたホウサが確認する。

 「いいよ。一回目は水で時間をあけてから混合水だからね」

 分かっていると返事をしながら出て行こうとするホウサに向かってソレルは立ち上がって懇願した。

 「ホウサ、いい機会だからここの学校へ行ってみない?」

 ホウサはうんざりとした顔で振り向いた。その表情に後込みしそうになる。

 「前にも言ったけどさ、字も読めるし、書けるから。それに」

 ホウサは一度言葉を切って、考え込んだあと強い眼差しではっきりと言った。

 「俺は母さんと暮らしていきたいから、頑張るしかないんだよ。せっかくパテロの崩壊に巻き込まれずに済んだんだし」

 そう言って少年は道具を担ぎ直して出て行った。

 ソレルに彼を説得するだけの材料はなかった。母親と二人で暮らしていく──彼の願いはそれだけなのだ。その願いを叶える為には彼が作業員として従事しなければならないと、ソレルにも理解は出来る。しかしどうも心が騒ついてならない。これで良いわけがないと頭の片隅で思っている。それにはどうすれば良いのかが問題なのだ。また難しい問題に直面して眉間にしわが寄ってきそうになる。

 「そうだ」

 ホウサが戻って来た。ソレルに真っすぐな瞳で言い忘れていたひと言を言いに。

 「姉ちゃん、イゾって知ってるか?」

 ソレルが頷くとホウサは明るく言ってきた。

 「人はイゾってので生き方が決まってるんだってさ。だからもう俺の事はいいから、姉ちゃんは姉ちゃんの勉強しっかりやれよ」

 それだけ言って立ち去った。ソレルはすぐに先生の発言かと彼を振り向いたが、彼は慌てて首を振った。

 「誰がそんないい加減な事を。イゾは生き方を決めるものではないのに」

 ソレルは肩を落とした。

 「そんなはずはないのに──」


 その後、迎えが来たと連絡がありソレルは先生に付き添われて荘園の外へ向かった。

 荘園の門にはセランが待っていた。正式にシャトウィルドからソレルのお守りとなった彼女の最初の仕事といえる。

 先生はすらりとした長身に長い銀の髪が揺れるセランを見て

 「いつもの人は?」

 と尋ねた。てっきりシャトウィルドが来るものと思っていたのだ。やや拍子抜けしてぼーっと初お目見えのセランを見ている。

 ソレルはセランが綺麗なので見惚れていると勘違いした。透明感のある肌に光を通す銀の髪はさらりとして、肩幅が広い長身は目を引くのだ。大昔に存在していたクレウという人々はこんな風だったのだろうかとソレルは思う。今まで会った先祖返りの中で一番の美だと密かに思っていた。美形というものを思い浮かべるとちくりと胸に痛みが走る。

 それを思い出さない為の外出だったのに、やはり自分は出来ていない。まだまだ未熟なのだと思い知らされる。

 「お疲れさま。どうでしたか? 久し振りの作業は」

 労わりと涼やかな声が届く。ソレルは無理にでも明るい表情を浮かべて手を振った。

 それから先生にセランを紹介してソレルは帰って行った。

 先生は姿が見えなくなるまで見送っていた。漸く見えなくなって厚い上着を脱いだ。それを片手に持ち踵を返した。

 「エルフィード・フレイスの名前の意味に気付いてないようだね。何であの方は教えなかったんだろう・・・・・ は、て、」

 先生は歩きながら考え事を始めた。上着のせいで暑くてたまらなかったので手のひらで首元を(あお)ぐ。歩きながら考えを巡らせているとホウサが混合水を作っている所へ行き当たった。

 「出来たかい?」

 少年に声をかけると、栄養素を丁寧に測りながら真水へ混ぜているホウサは振り向かずに頷く。

 「なあ、俺にもこの栄養素の作り方教えてくれよ」

 「だめだ」

 素早く鋭い返しにホウサは驚いて先生に振り向くがいつもと違い真剣な眼差しで見返していた。

 「な、なんでだよ」

 「これを作るには配合さえ覚えればいいというものじゃない。これを混ぜればこうなると分かっていなければならないんだよ。それこそあのお嬢さんがいう学校で学ぶ事なんだよ」

 先生はその先、学校へ行くべきとは言わなかった。ホウサの気持ちを理解していたし、ソレルの希望も良く分かっていたから、どちらの味方にはならないと決めている。もし今後ホウサが学校へ行きたいと本気で思ったなら全力で協力しようと思ってはいるが、彼にはその気はまだない。だから先生はまだ何もしない。

 ホウサは先生の言った事を理解したのか、混合の手を止めていた。栄養素の瓶をじっと眺めて握る手には知らず知らず力が入っていた。少年の中では葛藤が渦巻いていた。ソレルの勧めに希望を見出しているが、それに乗れない自分もいる。

 ホウサは何かを吹っ切ったのか、ふうと息を吐いた。

 「先生、姉ちゃんは?」

 「お帰りになったよ」

 ふーんと小声で言いながら止めていた計量を再開した。

 「先生、俺さ、今のままで十分だよ。いる場所があって、母さんの役に立てる」

 ホウサは水を混ぜながら

 「それだけで十分さ」

 そう言って先生を振り仰いだ。その目には鮮やかな瑠璃色が映り、その時のホウサには未来の色に見え、羨望の眼差しを向けた。

 「その色、凄く綺麗だ。何で上着なんか着てたの?」

 先生は笑って答えた。

 「そうだね。お嬢さんが来たから咄嗟に着ちゃったんだよ」

 「何で?」

 「お嬢さんにはまだこの色を賜っていると知られたくないんだ」

 ホウサは色を賜るという意味を知らず尋ねたが、先生は頭をかいて言葉を濁しただけだった。

 国王より瑠璃色の衣を賜った者達は結束が強く、様々な決まり事を自分達で決めていた。その一つは国王の崩御のあとには賜った瑠璃色の服を毎日着用する事。特例はキッシアだけで、彼女は常に身に着けている。また先生の所には身分を隠したソレルが訪れるのでその時は見られないようにと厳命されていた。

 「守らないとキーさん怖いし、何であんなに気の強い人ばっかり」

 小声で言い続けている。確約を無理強いさせられたんだと嘆いて肩を落とした。

 ホウサには先生が何をそんなに怖がっているのか理解しかねるが、かつて先生が語った話が蘇る。

 これはもっと偉い人が言っていた事なんだよと前置きをして語られた。

 ───人は不思議なもので、何もしていなくても腹が減る。腹が減り過ぎると余裕がなくなるし、優しく出来なくなる。優しく出来ないと疎まれるし、気が付いたら周りには誰もいないという事にもなる。

 優しい世界を望むなら、多くの人が楽しみながらおいしい物を食べればいい。

 その為にはまず種を作る事だ。そのあとはみんなで大事に育てて大きくしていく。

 だから種を作るんだ───

 その言葉は少年の中に深く刻まれていた。それは彼自身の憧れをもって、自分もそうあるべきと思うほどに。

 少年の目には嘆いて俯く先生でも大きく頼もしい存在に見えた。





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