十四話 うたかた
それは進む。
ふたごの樹は根を伸ばし続けてついに城へ到達。根の半分はさらに城の地下へ地下へと進んで行く。もう半分は息絶えた半身を求めて秘密の通路を目指して行く。
城の地下へ進入して行った木の根はさらに四方へ広がっていき、ついに目指すものを見つけた。それ程厳重にされていないそれは簡単に壊せた。ある人が見ればただの箱、別の人が見れば精密な機械、またある人はパテロの中心と言っただろう。
パテロの核となるそれが破壊もしくは機能停止となるとどうなるのか、今から彼らはその全てを目撃する。
パテロ-ゼルダは均衡を保つ中心、核を失い大きく傾いて元に戻った。大きく揺れた時、その地にいた者は足下からの揺れに倒れるか転んだが中には平然とした者もいた。
その揺れにシャトウィルドはソレルを落とさないように抱える手に力を込めた。その時足下の露台に足をとられ転倒してしまった。自分の背中を下に倒れたので生きた彫像の彼女は無事。ほっと安堵するがこの光景は具合が悪い、と慌てた。今の状態は上を向いて横たわる自分の上にソレルがいる。誰かに見られたら、特にキッシアに見られたら大変まずい、まずいと小さなシャトウィルドが本人に耳打ちしている。
体を横に向けてゆっくりソレルを置こうとした時、唐突にそれが起こった。硬直していた体が徐々に元に戻っていく。自分の腕の中で彫像が生きた人へ、何も見えていない目には間近にいる自分の姿が映されていく。
「シャル? 本当にシャルなの?」
本人なのか確かめるように髪や頬に触れて見下ろし、強張った頬が緩んでいく。
「もう会えないかもって覚悟したよぉ」
今度は本当に涙を浮かべながらしがみついて言った。
それを聞いたシャトウィルドは何かが変だ、と思う。同じ事を塵出しの荷車から出て来た時言っていなかったか?
「来てくれてありがとぉ」
言っている事も全く同じ。もしかしたら記憶が前後しているのか。シャトウィルドは感情を出し続けているソレルの肩を掴んで自分の胸から離してソレルの顔をよく見る。眉間に皺が寄って睨んでいるように見えたのか、彼女の涙は引いて困惑した顔つきになっている。
「まずは俺の上から降りて」
静かに言うと、それに素直に従ってシャトウィルドの上から横へ動いた。彼の言う事も現状もしっくりこないのかソレルは周りを見渡している。それから考えるように首を傾げ、シャトウィルドを見て、自分の手の平を見たあと服装で気づいた。
「あ、れ? おかしい・・・ここは、どこ?」
シャトウィルドは上体を起こして記憶の混乱が解消されてきた彼女が可笑しくて笑いそうになって顔を背けた。
「えーと。何か勘違いしてたみたい」
恥ずかしそうに下を向いてぼそぼそと言ってきた。堪えられなくなって笑いながらシャトウィルドは手をソレルの耳元へ持っていき、
「気分はどうだ? 生きた彫像になってたんだぞ」
そう言いながらさりげなく脈を確認していた。ソレルは考え込んで顔を上げると問題ないという様に明るく言ってくる。
「大丈夫、だと思う。それよりお祖父様は? みんなは無事よね」
平常心で言っていると感じたシャトウィルドは手を離した。
「何も言ってこないから無事だろう」
それを聞いて安堵の表情を見せるソレルと反対に、シャトウィルドはみんながお前の為に動いているんだ、と心の中で呟いた。
「さぁ、今度こそ船に行くぞ」
シャトウィルドが立ち上がろうとすると足首に痛みが走った。体勢を崩したのを見てソレルが慌てて肩を貸す。先程つまずいた時に捻ったようだ。心配そうな表情で見上げてくるのでこれではどちらが助けに来たのか分からない。シャトウィルドは<ルーシ>の補助があれば普通に歩けると言い、息を吸ってイゾから<ルーシ>を引き出した。シャトウィルドは歩いて見せて安心させてから手を差し出した。ソレルは今度は素直に従うつもりでその手を取ろうと腕をのばしたが、二人の手は重なる事なく離れ離れとなった。
下からの強い衝撃が天頂に向かって突き抜けていき、木の根があけた床のところで大きく割れた。その衝撃で不安定になった足下に足を取られシャトウィルドは床に倒れ、ソレルは斜めになった床の上を滑り出す。うつぶせで手をかけるところもなく下へ滑っていき、その先は切れた露台の端でそこから下へ落ちてしまう。足先が露台の端の先へ落ちそうになった時、胸元に飾られたキッシアの結晶が伸びて床に突き刺さった。足首が露台の端から覗いたところでソレルは止まった。
「キーちゃん?」
小さな声で結晶に向かって言ってみた。キッシアの返事も何の反応もない。
「もしかしてプリハ?」
今度は伸びた結晶が返事をするようにほわんと光った。プリハとはキッシアが契約している精霊の名前。彼女は精霊と契約する事によって<ルーシ>が使える。本来なら契約の証として刺青を入れるのだが、キッシアの場合その形代として腕環を常に身に着けている。腕環は精霊の分身で精霊が引き出す<ルーシ>は腕環を通して使われる。精霊は<ルーシ>の引き出し役、キッシアは<ルーシ>を使う役というわけだ。
不思議な事に契約者でもないソレルを精霊は気に入り、時々姿を見せたりしていた。精霊の名前は長かったので小さい頃のソレルが略して「プリハ」と呼んでいた。大人になった今も呼び方はプリハのまま。
キッシアの精霊はソレルの危機を感じて勝手に<ルーシ>を使った。本来なら決してあり得ない事なのだが。
「プリハ、ありがとう」
ソレルはお礼を言うと体を横にずらして少しずつ露台の端から離れて行った。腹ばいのままゆっくりと焦らず上へ向かって。指先と足先に力を込めて、爪が割れても手の平に傷を作りながらも慎重に。痛みは感じていても緊張と落下への恐怖で緩和されていた。さらに揺れが静まっているのも幸いした。
斜めになった床の上へ出ると上体を起こして周りを見てみる。シャトウィルドは割れ目の向こう、こちら側より低くなり、割れた床が盛り上がっている。下からの衝撃は何だったのだろうとソレルは遠くを見回した。見える範囲で分かった事はゼルダ中に衝撃は突き抜けて行ったようだ。
滑って行ったソレルを注視していたシャトウィルドは、登って来たソレルを見て安堵し大袈裟な表情で彼女を見ている。
「無事か?」
叫ぶシャトウィルドに平気だと答えるソレルだがこの状況は喜べない。
パテロ-ゼルダ全体が揺れに伴って大地が湾曲し、城郭の外の建物は崩れ落ちて瓦礫の山。城は頑丈に作られており倒壊はしていないが壁がところどころ剥がれ落ち、露台の手すりは斜めになっているか一部が落下している。城と渡り廊下で繋がっている別棟は下からの衝撃で縦にずれてしまい、渡り廊下もずれて一部が落下して通行など無理な状態になっている。
人の被害はまだ確認出来ないが、ゼルダから人が移動していたのが被害を最小限に留めているのかもしれない。
これでパテロの崩壊が始まったという事実が明らかになった。
秘密の通路がどこにあるのか、それは知っていた。自分に刻み込まれた情報の一つであったから。
それは深く伸ばした根の向きを変え今度は上へ向かい、ひと気のない城の中を邪魔される事なく自由に進んで隠された扉を突破した。空間が縮んだ通路を通り抜け、半身のいる場所へ。
半身である万能薬の樹は完全に枯れて萎んだ姿でそこにあった。
それは勢いのまま抱きしめるように根を幹に何重にも巻き付けて、その勢いによって枯れた木を粉々にした。粉々にしてそこから抜いた形にしてパテロ-ゼイラーの核を同時に破壊した。パテロ-ゼイラーの核はその真下にあり、万能薬の樹を抜くか退かす事によって破壊出来る。
粉々になったものは根に付着して、万能薬の樹に残っていた薬物は根から吸収されていく。
ふたごの樹の幹には先程現れた男の姿が浮かび上がっていた。幹から浮き出るような形で現れたそれは感情があるのか、パテロ-ゼイラーを懐かしむように眺めている。すでに二つのパテロの核を破壊し終わったそれは満足感と共にどこか清々しい表情をしている。やり遂げた達成感にふたごの樹は枝葉を緩やかに風に乗せ、さながら鼻歌を歌っているようだった。
そして半身を殺したのと同じ薬物が根から幹、枝葉へと浸透していき、最後には男の姿もろとも真っ二つに裂けて地に倒れた。
シャトウィルドはこの状況を見回して崩壊の順序を思い出していた。パテロの中心である核が壊れると最初に起こるのは南北の横揺れ、次は東西の横揺れ。その後は地下から天頂へ向かっての強い衝撃。
横揺れは一回だったが、下からの衝撃はあった。このパテロは最初に作られた古いもの。あの論文に書かれた内容と同じとは限らない。では、崩壊の収縮に巻き込まれるまで時間はどの位あるだろうか。
そんな事を考えていたがまずはソレルをこちらへ保護しなければならない。裂け目の際に立ち、下を覗いてみると建物は二つに割れて途中の階で再びくっついているように見える。今の自分の足の状態でこの距離を跳び越えるのは自信がない。跳べても彼女を連れて跳ぶのはかなり難しい。ロリイがいれば何とかなったかも、と思ったが彼が相手にしているのは元ダルーナ。簡単に倒せる相手ではない。それならキッシア、には頼みにくい。
こうなったらソレルに全力で跳んでもらうしかない。そう思ったら急がなければならない。
「ソレル、跳べるか?」
散歩に誘うような長閑さを醸し出して穏やかに尋ねた。ソレルは裂け目に近づき、裂け目の広さに首を横に振り目で訴えてくる。無理、と。予想していた事だったがこれをどうやってうまく乗せればいいか、初めてシャトウィルドは悩んだ。勉強を教える為に引き合わされてその後同じ学校へ行かされ、ダルーナの修行も同じ頃に受けて、気付けば側近にされていた。初めの頃こそ甘やかされたお嬢様らしさに嫌悪した。けれど間もなく自分の見方が間違っていたと知る。
ソレルについては良く分かったつもりでいたので、何を餌に釣ろうかと本気で考えた。考えてこの場で言うのが良いのかと、自分に質問してやはりこれしかないと思った。そう決めると大きく息を吸った。
「王様の十三段」
力強い声でシャトウィルドはあるお菓子の名前を叫んだ。それを聞いたソレルの様子が目に見えて変わった。
「王様の十三段。あれを注文してやる。もちろん、全部一人で食べていいぞ」
振り向いたソレルの顔に喜びが溢れている。王様の十三段という名のお菓子はかつて存在した十三人の王が好んだというお菓子を一つの箱に詰めたもの。それが初めて世に出た時、ソレルは食べたいと騒いだ。しかしこのお菓子は注文を受けてから食材を集め、出来上がりまでかなり時間がかかり、値段も出来上がってから決まるというものだった。その為ソレルの望みは叶えられず、しばらく臍を曲げていた、という経緯がある。
さて、ここでこれを持ち出して彼女を動かす事は出来るのだろうか。
「そうだ、二つ頼もうか」
追い討ちをかけてみた。ソレルは裂け目の際で下とシャトウィルドを見比べて悩んでいるような感じだ。
もう一押しか?
「ほら、王様の十三段。どんなお菓子かな? 王様が好きなお菓子だからきっと豪華だろうなぁ」
見た事ないのだが、想像で色々言ってソレルを追い込む。ソレルも想像しているのか口角を上げて目はどこか彼方を見ている。
「それじゃあ、こっちへ来てみようか」
本題をさりげなく言って促す。
「こっちには王様が待っているぞぉ」
シャトウィルドは甘ったるい猫なで声で言う自分に虫唾が走る。
すっかりお菓子で頭が一杯なソレルは軽い気持ちで跳んでみようかと思うようになっていた。誘導に従い助走をつける為に距離をとり、いよいよ無謀な事をしようとした時。
思わぬ事はすぐそこにあった。
二人は気付かなかった。シャトウィルドはソレルをこちらへ来させようと集中していて、ソレルはまだ見ぬお菓子を夢見て、いつの間にかいたその男の存在に。
疑似<ルーシ>の槍を杖のようについて瓦礫の影から現れたのはグランサ。パルナ老と刃を交わしていたはずなのだが、いま彼はソレル達と同じ歩廊にいる。
「こんな所で何をしている」
掠れてくたびれた声がして振り向くとそこにいたのはグランサ。ソレルは急に現実へ戻されて息を呑んで彼をじっと見た。
「生ける彫像が戻っているとは」
深く息を吐いて続けた。
「元ダルーナも役立たずだったか」
獲物を狙う狩人のような視線を投げつけて嘲笑う姿にソレルは今まで感じた事のない気味悪さを覚えた。
「お前の災難でしかないイゾを欲しがる気も分からんが、おれのイゾの失敗を濯げるのなら役立ってもらおう。現世こそおれの勝ちだ」
グランサはそう言うと槍の疑似<ルーシ>を起動した。バチバチと光る穂先をソレルに向けて食い尽くそうとする様な表情で繰り出された槍は彼女を突こうしていた。
真っすぐ突き出された槍の先があと少しで当たるというところで胸元の結晶が光を放ちながら姿を変え、穂先を受け止めた。それは人の姿で背中に羽があり、さながらおとぎ話に出てくる精霊のよう。
光る体は小さいながら先端をしっかりと掴み疑似<ルーシ>にも怯まず攻撃を食い止めていた。
「プリハ」
変化した結晶に向かって声をかけたソレルにプリハと呼ばれた精霊は振り向き微笑むと槍を押し返した。
小さい者に阻まれ、押し返されたグランサはうろたえる事なく冷静だった。それどころか、
「お前は常に守られている、今も昔も。本当に過保護すぎるくらいだ」
と昔話を、イゾに刻まれている過去の話を始めた。彼はこの短い間にイゾの記憶が蘇っていて、それを語り出していた。
グランサは槍の疑似<ルーシ>の仕様を変えて槍を斜めに振った。甲高い耳障りな音と共に人の姿をした結晶が切られた。切られてすぐ細かい結晶の粒となって散っていった。
「プリハ」
なす術なく小さな守り手は消えた。衝撃を受けてソレルは両手を出して細かい結晶を掬い取ったが、それも泡雪のように消えていった。
グランサは石突きをつくと続けた。
「そうだ、みんなお前を守ろうとして消えていく。全部お前のせいだ。お前の歪なイゾのせいだ」
槍の先をソレルに向けてさらに悍ましい表情をした。
「覚えているぞ、最初は体の左半分をほとんど食い千切られて血の海で絶命したのだったな。次はましだったか? 指をちょっと無くしただけで済んだ。けどそのあとが悲惨だったよなぁ」
嫌な節をつけて言った。ソレルは目を逸らす事が出来ず、彼の言う事が頭の中でぐるぐると回っていた。
「そこから細菌が入り込んだ挙句生きたまま腐り始めて。みぃんながお前を気味悪がって、遠巻きにして居づらくなったんだよな。腐った臭いを撒き散らして仕舞いには殺してくれと頼んだあれは誰だ? 親か? 兄弟か? 酷い事しやがる」
グランサは喉の奥で笑い出した。
ソレルは泥濘んだところに立っているような感じを覚え、足がはまって動けなくなっていた。目は見開いて目の前の男から離せず、声は一人の男の声しか入ってこなかった。握る両手は僅かに震えていた。
「その次はもっとましだったな。大岩が左半分だけをきれーいに潰してくれたんだからな」
ソレルはその時、今の自分の左半身が潰された感覚に襲われて無意識に右手で左腕を掴んでいた。
「そのあと何も残さずきれいさっぱり消えた時もあったな。あとは」
「もうやめろ」
シャトウィルドの声が響く。彼はグランサが姿を現した時迷わず裂け目を跳び越えた。
足首へ<ルーシ>の補助を続けていながらだと彼には負担が大きかったが、ぎりぎり裂け目の際に足をつけた。足がついた所がでこぼこしていた為、上体が揺れて裂け目に落ちそうになって慌てて帯革から剣を取り出して床に突き立てた。体勢を立て直し裂け目から離れた。
シャトウィルドがソレルの近くへ来た時彼女は過去の悲惨な死に際を次々告げられて体を強張らせていた。グランサはそれを楽しそうに見ていた。
シャトウィルドの声がするとそちらを凝視してひと言。
「お前は違う」
そう言ってグランサは槍をシャトウィルドに向けて強烈な疑似<ルーシ>を放ち、後ろへ吹き飛ばした。
痺れる痛みと衝撃波が彼を襲い、再び裂け目の際へ押し戻されてしまった。
それを見たソレルが過去の話の波から戻って来て叫んだ。
「シャル」
裂け目に落ちそうな勢いだった彼を追って後ろを向いたところで髪を掴まれた。
「お前はこっちだ」
グランサの有無を言わせない行動がソレルを絡め取る。髪を引っ張られて仰け反りながら向きを変え、ソレルは勢いよく両手を合わせて手の平をグランサの顔へ向けた。
「お断りよ」
ソレルの両手に嵌めている指輪から強い光が放たれた。間近からの光で目が眩んだグランサは呻き声を上げて髪を掴む手を離した。ソレルはその隙をついてシャトウィルドの方へ走る。
飛ばされたシャトウィルドは裂け目に踵を引っ掛けたが口を開く裂け目に体を投げ出される。
その瞬間を目撃したソレルは顔面蒼白になりながら名前を叫んだ。
エギールは安全な場所にいる自分に多少の苛つきを感じながらも必死に自制していた。自分の役割を自覚しながら。
彼は今の状況を見て祖父の子飼いの部下に向かって指示を出した。
「爺さんのところへ。ゼイラーはもたない」
彼の言った通りパテロ-ゼイラーは最後の収縮を迎えてより小さく縮んでいく。縮んで縮んで縮んで、これ以上縮めないところまできて、霧散した。
「パテロ-ゼイラー崩壊。ゼルダの崩壊が進むよ。みんな脱出準備をするんだ」
エギールは通信装置に向かって叫び、遠眼鏡で散らばっている奪還者達の様子を確認した。彼の持っている通信装置には統括機能があり、ほかの装置を把握出来るようになっている。二つは貨物用の船の中、三つは別々の所にあると教えている。
ロリイは城を挟んでシャトウィルド達とは反対側にいて、シャトウィルドはソレルと共にまだ別棟の歩廊に。キッシアは城へ向かう途中で足止めをされているようだ。
今の状態を把握したところで脱出はすぐには無理。ならば先に行けるなら行かせようとシャトウィルド達が乗って来た船に出港を命じた。それを聞いたキッシアの部下達は反対をしたが、彼らに船の運航の権限はないので黙らせた。船長はエギールの指示に従いすぐ出港すると伝え、全員無事に戻るように言ってきた。
その言葉にエギールは気を引き締めて、ゼルダの崩壊具合と彼らの状況をもう一度確認した。
エギールの推測ではゼイラーはゼルダの六分の一の大きさだったので崩壊は早かったのだ。ゼイラーはゼルダの城に近い場所にあるので彼らは崩壊の収縮に巻き込まれる危険がある。
エギールは遠眼鏡で城の奥の奥の方向を見る。たった今まであったゼイラーの面影などない。それどころかゼルダの外縁部が迫り上がって来ている。
パテロの収縮はゼイラー側の外縁部からか。反対側を見てみるとこちらも迫り上がり始めている。
手元の通信装置を自分達が乗って来た黒い船へ繋げると
「船をこっちへ、爺さんを回収してくれ。そのあとはソレル達を乗せるまでその場で待機」
そう指示した。
しかし、これでいいのか、自分自身に問うが答えは出ない。ここで間違ったら全員が終わりだ。まだ決着のついていない方へ祈るような思いを向けた。これしか出来ない自分が情けなく、もっと強く、もっと賢くならなければ誰も救えない。
そんな感情の渦の中、黒い船は最短距離をとって到着しパルナ老を乗せる梯子を下ろしたところを確認した。
まずは爺さん、と彼は心の中で呟く。
だが梯子はずっとそのまま。変だと思った時祖父の部下から通信が入る。パルナ老がまだ船には乗らないと言っているがどうすればいいか、と。
あの爺さん何やってんだ。エギールは声に出して言いたくなった。祖父の動きはずっと見守っていた。彼の体調は良くない。僅か数日前に心臓が止まったからだ。
その時は家族のみんなが泣いた。生きるという事は冒険といって豪快としかいえない人生がついに終わりを迎えたのだ。
そう思ったのに数分後、彼は何事もなかったように寝台から起き上がり、みんなを驚かせた。それからのパルナ老は以前より元気だった。側には見た事のない杖があり、その杖に関しては誰が聞いても祖父は答えなかった。その後彼はビシレーを乗り回し、ソレル救出も自ら進んで来ている。誰にも言わない何らかの意図を持って。
その意図の為にまだ船に乗らないと言っているのか? エギールには判断出来ない。彼は通信装置を手にした。
「お爺さん、僕です」
聞いていないのかと思うくらいの間をとってパルナ老は答えた。
「なんだ」
相変わらず力強い声で疲労は感じられない。ほっとしてエギールは続けた。
「お爺さん、もういいでしょう。十分やりました。あとはシャトウィルド達に任せて、船に乗ってくださ」「まだだ」
重ねるように強くしっかりとした口調で言ってきた。
「まだ、終わっていない」
一呼吸おいてパルナ老は続ける。
「最後の場にはあの子がいなければならない。もう少しだけ、頼む」
頼むなど初めて言われた。見えていないが老人が頭を下げているのが分かる。これにはエギールも不安しかないが望み通りにしない訳にはいかない。
彼に言えたのはこれだけだった。
「くれぐれも無茶はしないで下さい」
裂け目へ消えたシャトウィルドを追いかけたソレルは裂け目の際で用心深く下を覗くが、彼は見えない。もっと下へ落ちてしまったのかと、もう少し身を乗り出して覗こうとした。そこにグランサの手がソレルを掴んで乱暴に引き戻した。
「手間をかけさせるな」
そう言いながら引っ張って行く。
「離して」
言ってもグランサはそのまま傾いた歩廊を船に向かって進んで行く。振り解こうと身をよじり、再び光を浴びせようと両手を合わせたところで勢いよく前方へ投げられた。床に叩きつけられて嘲笑う声が降ってくる。
「同じ手はくわん」
大股で近寄るグランサとソレルの間に風を切る音と共に剣が飛んで来た。幅の広い重そうなパルナ老の剣だった。
ソレルは飛んで来た方を見ると祖父がこちらを見て合図を送っていた。
これを使え、と言っているようだ。
この剣を? とソレルは思う。こんな重そうな、扱いにくそうなもの。剣だって習った事はないし、持つのも初めてなのに。
だが迷う間はない。目の前にいるのはグランサ。この崩壊の最中、彼女のイゾをまだ諦めずにいる。
意を決してソレルは剣の柄に手をかけた。
掴んだ瞬間、手に馴染む感覚と懐かしさがあった。一気に抜くと重さも感じられないくらいの軽さだった。そのまま剣先をグランサへ向けた。
「ここは崩壊し始めています。もう、やめませんか」
両手でしっかりと構えて目は真っすぐ見据えた。
「これ以上続ける意味、ありますか? もう終わりなんですよ。何も得られないんですよ」
「お前は何も知らない」
「知っています。昨日は気付かなかったけれど、あなたがグランサ王ではない事を」
目の前のグランサは目を見開き、言葉を失う。
「私はグランサ王に小さい頃会っているので彼のイゾを覚えてます。あなたのイゾとは違う。あなたは誰?」
ソレルの言に彼は口を歪ませて射るような眼差しを向け、髪を後ろへ撫でつけて言った。
「影武者だ。王は以前から影武者を使って公務をしていたんだよ。誰も気付かない。誰もおれが偽物だと気付かない。だったらおれが本物になってもいいだろう?」
彼の告白にソレルは恐怖を感じていた。では本物の王はどうしているのだろうか。
「王は、今どこに? 城にいるの?」
尋ねる声は震え、向けている剣が重く感じてくる。
目の前の男は不敵な面構えでソレルを見据える。
「もういない」
ソレルは胸の中に石が詰められた感覚を味わい、呼吸が苦しくなって無言で男を見つめ返すだけ。男は愉快そうに続けて言う。
「おれが殺した」
冷やりとしたものが全身を流れていった。耳を何かで貫かれ、頭の後ろが殴られたように目眩がした。
「たしか、影武者は数人いると聞いたけど・・・・」
昔聞いた事を思い出し、絞り出すように無駄と思える事を聞いていた。
「影武者の要が病気で死んだあと、ほかは殺した」
その言葉にソレルの足下にあった薄い玻璃は細かくひび割れていった。この男は何がしたいのだろうか。この事を彼らは知っているのだろうか。帰る故郷を失い父親も殺されていたなど、そんな事自分だったらとても耐えられる事ではない。そう思うと胸が潰れる。
しばらく沈黙が漂った。その後グランサでない男は笑い出し、そのまま槍をソレルに突き出して言った。
「これを知ったのなら死んでもらおう。なに、死体でもイゾは残るからな」
その勢いにソレルは反応出来ない。刺されると思った瞬間、剣が反応して槍の先を弾いた。ソレルは何が起こったのか理解が追いつかない。剣が勝手に動いたのだ。さらに手の中の剣はソレルが使いやすいように柄は手の大きさに合い、剣の幅も細く、短くなっていた。
驚いたのはソレルだけではなく、男も以前に同じ事を経験しているのか、
「またか。またお前に守護が・・・」
と呟いた。そして間をおかず再び槍を繰り出してきた。疑似<ルーシ>も起動して次から次へ突きを繰り返してくる。
それの全てを剣は防いでくれているとはいえ、持っている本人の腕の力が限界になってきた。重さを感じなくても攻撃を受けて交わしているうちに腕がだるくなってきた。持つ手が下向きになったところを見逃さず男は槍をソレルに勢いよく向けた。
ガギッという壊れるような音と共に槍の穂先がぽとりと落ちた。
二人の間にはセイドで槍を切ったロリイが立っていた。
「無事ですか?」
ロリイは振り向く事なく聞いた。目の前の男をじっと見つめ、次の攻撃に備えている。ロリイのセイドはまだ短く、完全に体力が回復している訳ではないのだが、それを知る者はいない。
「はい」
気が緩んで膝をつき、息を整えながら答えた。男は突然現れたロリイに顔をしかめた。
「またお前か」
男がロリイに言った言葉は彼には意外な事だった。初めて会うはずだし、ゼルダとの関りは今までない。
崩壊の音は次第に大きく近づいて来ている。終局だ、とロリイは彼から目を離さないでいた。
「崩壊が始まっています。このまま退きますか? それとも僕が相手をしましょうか?」
彼らの背後ではパテロ外縁が波のように迫り上がってきていた。男もそれを認めてはいたが、なかなか諦めがつかない。やっと過去の自分の失敗を濯げるはずだったのに。こんな土壇場で選択を迫られるのか。またもや負けなのか。いつまで自分の過去の過ちに縛られるのか。彼の内心は揺れて、大地も揺れて、行くところは一つしかないのか、と歯ぎしりする。
それでも、まだ諦められなかった。
穂先のない槍を振り回してロリイへ打ち込む。ロリイはただの棒を軽くいなし、細かく刻んでいった。得物が小さな欠片にされて、男は本当にこれまでなのかと窮地に立つ。
「まだやりますか? あなたの捕縛は命じられていません。今なら脱出も出来ると思いますが」
命じるも何も、本部の指示で来ているわけではないので、そんなものは始めからないのだが。方便も時には許されるだろうとロリイは思った。
ロリイの静かな口調に戦闘意欲は感じられない。男は結局自分の負けで終わるのが納得出来ない。空虚だ。これ程の空虚を感じた事はない。
男の心は千々に乱れ惨たらしく生き恥をさらすのかと思い始めた時、ゼルダ崩壊の足音は高い壁のように捲れ上がって彼らを飲み込む勢いであった。
ロリイはちらと後ろを見て、空も確認してソレルに言う。
「迎えが来ています。先に行って下さい」
「でも、シャルが・・・」
沈んだ声が不安を表していた。ロリイは<ルーシ>を後方へ送ってシャトウィルドを探した。彼は丁度裂け目から這い出て来たところで肩で息をしてこっちを、ソレルの無事を確認していた。
「今上がって来ましたよ」
ロリイの言葉に体が反応して後ろを向き、その姿を確認したソレルは真っすぐ走って行く。シャトウィルドは裂け目に落ちる瞬間、帯革の飾りを取ってそれを裂け目の際へ投げた。それは何かに引っかかり、伸びた細く強い紐で彼の体を支えた。裂け目の下の方まで落ちたシャトウィルドはその紐を頼りに登って来たのだ。
ソレルは無事な姿を見て満面に笑みを浮かべてしがみついた。
「よかった」
絞り出すような小さな声だった。シャトウィルドは面目ないといった感じで謝ってきた。許すというようにソレルは見上げて微笑んだ。
「早く船へ」
ロリイが叫んだ。男は動かず、ただ目の前の邪魔をする若者へ暗い目を向けていた。
シャトウィルドがソレルを伴って裂け目を跳び越えようとしたが、やはり彼女は躊躇した。跳び越える自信がない、と。
今の状況の中でお菓子を餌に釣るのは無理だと瞬時に判断したシャトウィルドは迷う事なくソレルを抱えて跳び越えると決めた。
腰に手を掛け体重を移動させようとしたところでソレルが体を強ばらせて抵抗する。
「目を閉じて全部俺に任せろ」
見上げてくるソレルの怯えた瞳を真剣な眼差しで受け止め、腰に回した手に力を込めた。遥か向こうに迫り上がるパテロが見える。ソレルも決意した。目を閉じてシャトウィルドに体を預ける。
シャトウィルドは大きく息を吸って走り出した。<ルーシ>の補助を付けて思いっきり跳躍した。彼は届け、届けと心の中で叫び続けていた。しかし彼の<ルーシ>は既に捻った足首と抱えるソレルに利用されており、引き出された<ルーシ>は多くはなかった。
その為あと一歩足りず、裂け目の際へ届かなかった。ソレルを抱えたまま落下していく。
シャトウィルドは帯革の飾りを素早く投げて落下を防いだが、二人を支えるには紐は頼りなかった。ソレルは目を開けてぶら下がった自分達の状況に声もなくしがみついていた。紐は瓦礫にこすれて千切れていく。あとは再び<ルーシ>を引き出して上へ跳び上がるしかないがそれで裂け目の際へ着地出来るか。迷っている暇はないとシャトウィルドが思った時、予想より早く紐が切れた。
ソレルが小さく悲鳴を上げてさらにシャトウィルドにしがみついた。足下には何もない空間で風が通り過ぎていく。
シャトウィルドがせめてこいつだけでも、と思った時、足が何か硬いものに着地した。用心して下を見ると半透明の円盤に二人は立っていた。それはキッシアの結晶で出来たもの。少し離れた所で彼女は腕環を向けて操っていた。
円盤は二人を乗せてゆっくりと上昇して安全な所まで運んだ。キッシアが結晶の鳥に乗ってやって来て飛び降りた。
「殿下、遅くなって申し訳ありません」
と髪を振って言った。キッシアは頭から水を被ったのか髪が濡れていた。赤く。それを見たソレルは
「キーちゃん、怪我したの?」
と大きな声を出した。
「いいえ。これは樹液です。ここへ来る途中、異界の木の群生に阻まれまして。薙ぎ倒していたら浴びせられました」
手櫛で髪を梳かしながら答えた。
そこへ闇色の船が近づいて来て、素早く梯子を下ろした。キッシアはソレルを先に行かせ、次に自分が乗り込んだ。シャトウィルドは僅かに疎外感を感じたがそれも無理からぬ事だと思い、自分の限界をしみじみ思う。そうして自分の為に下ろされた梯子に手を掛けた。
それを見届けるとロリイは男へ向けたセイドの刀身を消した。
「早くあなたも脱出した方がいいと思いますよ」
そう言って一歩後ろへ下がった。
男はロリイを睨めつけると予言するかのように言いきった。
「終わりじゃないぞ。これからだ。あの女に言っておけ、お前のイゾが招く災いはこれからだと」
男は漸く足を動かして砕壁船ではない船に転がり込んだ。そのまま操作室へ急ぐと操縦士が待っていた。
「早く出せ」
男は居丈高に言い、一つだけの椅子にどかりと座った。前方を見つめ、このような事態になった原因は何かと考え始めた。特に思い当たる事はないと思われた。
だが、一つが上手くいかなくなって次々に違う方へ進んでいったと思わざるを得ない。彼は何が最初だったのかと記憶を探る。その最中、船が動く様子がないのに気付いた。顔を上げて操縦士を恫喝しようとするが彼はおらず、男はただ一人で部屋にいる。
「どこへ行った。さっさと出せ、莫迦もの」
罵り出したが操縦士は現れない。代わりに男の両手首にひんやりとした輪が嵌められた。突然の事に唖然とし、誰がこんな時にふざけているのかと立ち上がった。するとその輪は手首を絞めて手を引っ張った。男は部屋の中央に両手を左右に引っ張られた状態で立つ事になった。
「何だ、誰だ、ふざけやがって」
ヴン、という音をたてて男の目の前にある操作画面に明かりがつき、その前に白い外套に頭巾という出で立ちの者がいた。顔には相手を莫迦にするような笑い顔を描いた面を被っている。
「何者だ。さっさとこれを外せ」
男の声など聞こえないというようにその者は流れるような動きで画面の前から移動した。
『あルかたカラノおコトバだ』
声を変えた奇妙な抑揚で喋った。
画面に文字が現れ、それを見た男はみるみる青ざめ、口元は震えていった。
「莫迦な。その名を名乗れる奴はいない」
叫ぶ声は虚しく反響する。手から輪を外そうと力を入れるがぴったりとして全く動かない。力を入れれば入れるほど食い込んでくる。
白い外套の者は叫ぶ男を残して立ち去った。
パテロ-ゼルダは俄かに騒がしくなっていた。
港には脱出しようとする者が押しかけ、埃を被った舟に乗り込んで行く。
誰もが初めて経験するパテロ崩壊に慌てふためいて我先に逃げようとしているのだ。元ゼルダの兵士達が速やかに脱出させようと懸命になっていた。その中にあって一人冷静に成り行きを見ている男がいた。彼は遠眼鏡で城の方を眺めていた。
彼の視線の先に歩廊に停まっているいる船がある。そこから全身白装束の者が出て来た。それを確認すると金茶の鱗模様の布を揺らして自分の船に乗り込んだ。
パルナの黒い自立航行船に乗ったソレルはそこで祖父と再会した。ゆったりとした大きな特注の椅子に座るパルナ老は一気に老けたようにどこか小さく見えて、悲しさがよぎる。ソレルははじめ膝をついて寄り添っていたが、あとからビシレーでロリイと共に乗り込んで来たエギールに老人を休ませるように言われて側を離れた。その時思い出したようにパルナ老の杖で、剣であったものを返そうと差し出した。
「お祖父様これ、ありがとうございました。私が使ったら剣の形が変わってしまったの。大丈夫でしょうか」
両手に持つその剣は今ではソレルが使うのに丁度いい形、大きさになっている。パルナ老は差し出されたものを手を添えて返した。
「これからはこれで自分の身を守りなさい」
驚くソレルにパルナ老は壮年のような笑みを浮かべて彼女の頬に触れた。
「よくここまで成長してくれた。君の成長した姿を見られてこんなに嬉しい事はない」
誰かと勘違いしているのかと思ったソレルはエギールを上目遣いに見る。彼は微笑んだだけだった。ソレルは祖父に飛び切りの笑顔を返事代わりに譲られた剣を大事に抱えた。
その後パルナ老は椅子に付いている半透明の薄布を頭から足下まで包まれて、部下によって一つだけの客室へ移動していった。その布は薬剤が染み込んだもので彼の呼吸を楽にしながら、命を長らえさせるものだった。エギールとパルナ老の部下達だけは知っていた。老人の命の期限が来ようとしていると。
彼は退出する直前にもう一度成長した姿のソレルを目に焼き付けてまぶたを閉じた。
その脳裏には一度心臓が止まった時に現れた人物の姿が蘇っていた。霞のかかったぼんやりとした世界にいた人は手に一振りの剣を持ち、こう言った。
「これはライレン、覚えているか? あなたのです」
剣を差し出すがパルナ老には覚えがない。こんな立派な剣を見るのも初めて。
「思い出せよレーゼン。あなたの役割は、死ぬ前にあの子にこの剣を渡す事」
そのひと言でパルナ老の中で眠っていたイゾの記憶が一瞬で蘇った。
その名はレーゼン、初代アリネスト・ゾラの一人にしてライレンの主人。レーゼンは死の間際に自分の剣を可愛がっていた小さき子に渡していた。
目の前の人物の言いたい事を理解したパルナ老の中にいるレーゼンは頷いて剣を受け取った。
「吾の権限でそれまであなたの命を長らえさせます」
それだけ言うと溶けるように消えた。
残されたパルナ老とパルナ老の体に蘇ったレーゼンの意識は一つの体を共有する事になった。
──あとは君に任せるよ、──
大きな満足の中でパルナ老とレーゼンの意識は次第に薄れていった。
黒色の船はパルナ老の特注品で寛げる広い部屋に操作盤がある。その部屋には外が良く見えるように天井から床までの大きなはめ殺しの窓があった。そこに立ち、シャトウィルドは崩壊の様子をずっと見ていたがパルナ老から離れたソレルを側へ呼んだ。
「お前は見ておくんだ。これがパテロ崩壊だ。お前の大事な人達が見た景色。崩壊速度は違うだろうが、同じようにガリアも滅んだはずだ」
ソレルは激しい動悸を覚えたが静かで淡々と話しているシャトウィルドの隣に立った。
目の前で繰り広げられているのはパテロ外縁部が丸まり包み込むように中心へ向かっていく様子。中心にあるのはパテロの核。広げられた大地が元に戻っていく様子。そこにある建物、植物、人々の生活そのものを包み込んでいく。包み込まれると全てのものは小さく砕かれて還元されていく。
ソレルの視野の一部で一隻の船がよろめいていた。その船はグランサだった男が乗っている船。パテロ崩壊の重力に捕まっているようだ。左右の激しい揺れに抵抗しているがなかなか抜け出せずにいる。ソレルはその船を釈然としない感情を持て余しながら見つめていた。
船は左右に大きく傾いて屋根の中心が凹んだあと、ゆっくりとパテロの大地へ落ちていった。
それを見たソレルは小さく声を上げた。落ちていく船は半分に割れてパテロの還元の渦に紛れていった。
シャトウィルドは一度身を乗り出してその様子をよく見たが無言のままで難しい表情を崩す事はなかった。それに対してソレルの気分は重くなる一方でパテロ崩壊を生き残った国民はこれを見ていたのかと彼らの気持ちを計ろうとしていた。
彼らの乗る船は順調に上昇をしていたはずなのだが、がくんと何かに掴まれたように上昇が止まった。ソレルは体勢を崩して転びそうになったがシャトウィルドが支えた。エギールが素早く操作盤の前へ。ずっと操作をしていたのは一人だったがそれに彼が加わった。この船も重力に捕まってしまい、二人がかりで崩壊の渦に抗おうとしていた。
「抜け出せるか?」
シャトウィルドが声を張り上げて聞く。エギールはやっているという返事だけを返した。
その間ずっと船はがたがたと左右に揺れて、ソレルは先程のグランサの影武者の乗った船がどうなったのか鮮やかに蘇って無意識にシャトウィルドの服を強く掴む。
大きく揺れる中、轟音がすると船の天井がべこんと凹み、ソレルがさらにシャトウィルドにしがみつく。続けて床がぎしぎしと音を立て始めた。
その時、ロリイが揺れを気にせず立ち上がると大変な決断を告げた。
「僕が外へ出てピグマを切ります」
そう言って出入口へ向かい、扉に手をかけた。
思ってもいない発言に操作をしている一人を除いて全員がロリイを見る。
「そんな事出来るの?」
不安そうな表情でソレルが尋ねる。外へ出るなんて無謀というより、死にに行くようなものだと思えるからだ。
「出来ますよ」
ロリイはエギールへ向いてさらに言った。
「ピグマが切れたら躊躇せず離脱して下さい」
そう言って誰かに何かを言わせる間をおかず外へ飛び出した。
その言葉にソレルがよろけながら扉へ近寄ったが、先にキッシアが扉を閉めて彼女を遮る。
「いけません。彼は彼の役目を果たしているだけです」
「そんなの望んでない」
「それでもです」
キッシアの毅然とした態度に抗う術を持たないソレルは項垂れるだけ。
ロリイは外へ出ると同時に<ルーシ>を全身に纏い、下からの強い風に乗ってセイドを起動した。崩壊は外側から内側へ向かっているので中心に集まる力は風を起こし風は上へ向かっていた。
中心に近い所だから捕まったのだ、とロリイは直感する。風は上へ、しかし引く力は下へ。矛盾するこの場はロリイの体を浮かせ続けるだろう。二つの流れに捕らわれない為には<ルーシ>を引き出し続ける必要がある。万全とはいえない今の状態でやり切れるかと初めて不安がよぎった。
でも必ずやり切る。強い決心と共にセイドを握る手に力を込め、体を捻りながらセイドを振る。周りを引き込む力、上昇する力がぶつかり合うこの場で一撃では足りなかった。もう一度セイドを振る。まだのようだ。
ロリイは浮いたままさらに<ルーシ>を引き出した。この場面でしくじるわけにはいかない、その思いが彼の中で引き出す力を倍増した。より深くより多く望む<ルーシ>の量はセイドに負担をかける。ロリイの手の中でピシリと危険な音がした。何度も聞いたこの音は、のちにセイドが壊れるという警鐘。
けれど今のロリイには壊れる懸念より助けられない悔しさの方が強い。このまま壊れてもいい、脱出する事が大事。
ロリイの胸中に一瞬だけソレルの不安そうな顔がよぎる。再び内側から沸き起こる何かが<ルーシ>を最大限に引き出した。その<ルーシ>は楽にピグマを切って船は開放されて上昇していく。それを確認したロリイは安堵の笑みを浮かべた。
僅かな脱力感を味わいながら船の上昇を見つめていたロリイの体を引く何かがあった。いつの間にか付けられていたキッシアの結晶の欠片が紐となってロリイを船に引き上げている。内心助かったと思いロリイは上を見上げて感謝の笑みを向けた。
ロリイが引き上げられると船は加速していった。
パテロの収縮は最後の段階に入ったようで引く力が大きくなっていく。船はゼルダ空域からも出ていたので影響はもうない。
ソレルはその最後の様子を息を凝らして窓から見つめていた。今やパテロは小さくなって見る影もない。小さくなってさらに小さくなって元の形へ還元されていった。
そこには初めから何もなかったかのように、金青色に染まるピグマが広がっている。
その色を見つめているとある人が思い起こされる。もっと透明感のある澄んだ色だが、同じように深い色。花を見つけた時の金に縁取られて笑う藍玉の瞳が印象に残っている。
「パテロの崩壊に人が巻き込まれたらどうなるの?」
独り言のようにソレルは尋ねる。それが自分に聞いているのだと思ったシャトウィルドが答えた。
「巻き込まれた人は何も残さずに消える」
ソレルは目の前に広がる何もない光景ををひたすら見つめていた。その胸中に去来するのは哀愁か、それとも後悔か。胸懐は秘して明かされる事なく金青のアンダステは全てを包み込んで沈黙する。
ここに初めの試練が終わった。最も彼らはこれがほんの始まりに過ぎないのだと知らず、この先にあるものがどれ程大きなものなのか知る由もない。
あなたに会いたいと思う時
いつも空を眺めるの
あなたと同じ色の空
それで私は救われる
君に会いたいと願う時
必ず空を見る
君と同じ色の空
そうして君はやって来る
パテロ-ゼルダ崩壊と同時刻。
アンダステ-ハルスト隧道にピグマの壁から一隻の船が現れた。
みなさま、長くお付き合い下さいまして誠にありがとうございます。
この独り舞台の訳者つきしろと申します。
この話、金青のアンダステはこれにて終了となります。
しかし、ルーシアンミスの話は続きます。アンダステ編第二章 ウュトヒアの顕現へ。
これより本格的に話は始まり、登場人物も一段と増えていきます。重要人物大集合の二章。
の前に、本来なら一章にあたる金青のダンダステの前に語るべき序章三篇をまず、ご覧いただきます。
そのあとに二章へ入って行く予定です。
しばらく間があく事になりまずが気が向いたらどうぞお試しください。
それではご清聴ありがとうございました。
追伸 本日同時刻投稿の「花が咲いた花園」と7月投稿済みの「花園に花が咲く」は対になっておりまして、この物語の登場人物の出会いの小話です。賢明なる皆さまでしたら誰か想像できると思います。