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ルーシアンミス  作者: 月白 翠
一章 金青のアンダステ
13/37

十三話 グリン・ダルン、二人

 「おれはグリンだ。グリン・ダルン。ケチなはぐれダルーナと一緒にするな」

 レーキの告白はロリイを大いに驚かせただけでなく、心の深部に憂慮を与えた。


 ロリイにとって四大ダルーナに任命されて一番苦痛だったのはかつての仲間を捕縛する事だった。はぐれダルーナは何らかの理由によってダルーナを除籍された者、または修行途中で逃げ出したが<ルーシ>は使えるという者など。最も厄介なのはダルーナとして活躍していたが事故などによって引退勧告されるも拒否した者。それぞれが<ルーシ>を使えるがダルーナの制約を受けず自由に<ルーシ>を自分の為、あるいは金銭を得る為に使っている。

 制約のないダルーナは危険である。イゾの扉を開くとそこから<ルーシ>を得られる。六年間の修行を終えるとイゾの向こう側を自由に見る事が出来るようになる。イゾの向こう側は<ルーシ>の源だけではなく、別の世界へも通じている。幾つもあるそれは人によってはとても魅力的。また別の人にとっては恐怖。異界の存在は並みの精神では受け止められない為、ダルーナは修行という手段を取って厳選し、鍛えている。誘惑に負けない強い精神を育て、それを無意識に行える者だけが正式にダルーナとなる。

 ロリイは目の前の男が先代のグリン・ダルンと知って驚愕する。言葉も出ず、ただ目の前の男を見つめるだけ。自然とセイドを持つ手から力が抜けていく。

 レーキはその様子に満足したようで口元を歪める。

 「理解したか? このおれに敵うはずがないと」

 その言葉で抜けていく力に再び力が戻る。ロリイは否定する。たとえ誰であろうとはぐれダルーナに敵わないと一片たりとも思わない。そう、ダルーナは<ルーシ>という膨大な力の守護者だから、この力は正しく使わなければならない。いつか、自分の中に眠る強大すぎる力が現れても、その力を扱えきれなくても、正しさとは何なのかきちんと理解している。そうロリイは強く感じている。

 何故か、自分のイゾと<ルーシ>の関係を客観的に見ている。今までこんな事はなかった。今までイゾの中身の再現なんてものはなかった。何故だろう、何故かイゾを通して今までにない<ルーシ>の流れがある。清々しい風が通り抜ける、このえも言われぬ感覚は何だろう。

 ロリイの中でイゾと<ルーシ>が変わろうとしていた。「ロイゼン」と背負われながら囁いたあの子の姿が思い起こされる。不思議でならない、あの時、あの感覚。呼ばれて蘇ったかつての誰かの思い、記憶。

 自分のイゾに問題などない。

 そう、確信出来る。

 それなら、決して先代に引けを取るなどあり得ない。セイドを握りしめるとセイドから<ルーシ>が逆流してロリイを包み込んでいく。

 黙っているロリイにレーキはさらに追い討ちをかける。

 「分かったのならさっさと、おれにその地位を返せ。所詮お前なんぞが就いていいものじゃない」

 自信しかないレーキに憂愁しか感じなくなってきたロリイは、彼を真っすぐ見て否定する。

 「あなたはもうグリンではありません。僕がグリン・ダルン、四大ダルーナの一人。今からあなたを捕縛します」

 呆れてものが言えないといった顔をしてレーキは右手に力を込めると手の大きさが倍に膨れた。爪も人の爪というより獣のような爪で鋭く細長い。

 「莫迦にはこれで教えるべきか?」

 そう言ってレーキはセイドの代わりとなっている爪を縦に振って同時に<ルーシ>を繰り出した。セイドは取り上げられているので素手だが、やはり上手い、とロリイは思った。

 レーキの攻撃をセイドで受け流す。試されていると感じた。然程強くない<ルーシ>だったからだ。試されるほど弱そうに見えるのか、それとも自分の方が上だと過信しているのか。何故か可笑しくなってしまい、ロリイは戦闘中にもかかわらず口角を上げていた。

 それがレーキの癇に障ったようで左の手も同じように大きく、爪も伸ばした。間髪入れず左右から爪の軌道に<ルーシ>を乗せロリイを切り刻もうと繰り出す。

 二方向からの鋭い十個の攻撃がロリイを襲うが彼はセイドで軽々と正確にかわしていく。<ルーシ>を纏った攻撃が線となってしっかりと見えていて、速さも何も問題なかった。

 そうやってレーキの攻撃をかわし続けている時、「あれを壊せ」と言ったシャトウィルドの声が唐突に思い出された。筒の事をすっぽりと抜け落ちていた事に焦りと反省をするロリイ。このままではいけない。早くあの筒を壊さなければあの子が。しかしどこに持っているのか、それを探らなければ。

 シャトウィルドが剣を振りかぶるのを感じた時、急いで割って入ったが、その時は筒を手に持っていた。そのあと<ルーシ>を使ってどこかへ送った形跡はない。ならば服に隠しているのか。

 ロリイは攻撃をかわす動きの中、気づかれないように視線はレーキの服に注視した。僅かな服の膨らみ具合や重さを相手を動かす事によって探っていく。

 そして左の袖がやや重そうに見えた。ロリイは足下が僅かに揺れる中、右へ移動し左からの攻撃を誘導して確かめた。次は反対へ移動し再び攻撃を誘う。その結果、左の袖は右より重みがある。きっとそこに例の筒があるのだろう。

 「どうした? かわすだけでおれを捕らえられるのか?」

 レーキの自信に満ちた口調だがロリイは彼の焦りを感じた。セイドを左右に振って構え直すと次はあれを壊すと決意した。

 「とんでもない。先代にどのように敬意を払うか考えていただけです」

 と、どこか嘲笑うような雰囲気を醸し出した。一瞬レーキの攻撃が怒りによって甘くなり、逸れた瞬間を見逃さなかったロリイは隙をついて左の袖を肩から切り裂いた。腕を傷つけず布だけを切るとその内側が(あらわ)になり、隠された筒が飛び出していく。レーキがそれを取ろうと腕を伸ばしたのと、ロリイが筒を壊す為にセイドを振って<ルーシ>を飛ばすのが重なった。

 ロリイの<ルーシ>はレーキの手の一部ごと筒を破壊した。ザグッと重々しい音と共に制御の筒は真っ二つに割れてレーキの指と一緒に地に落ちた。

 「くそっ。やりやがったな」

 手首の内側から人差し指へ斜めに切り取られたところを反対の手で押さえながら悪態をつく。切られたところからは血が大量に落ちるがそれもすぐ治まり、押さえた手を離すと指は元通りになっていた。

 それを見たロリイはこれはどういう技かと瞠目した。<ルーシ>ではない何か、彼が新たに得た力なのか。

 レーキは手を治すとロリイを簡単に打ち取れる相手と思った自分の考えを改めた。こいつには本気を出さなくてはならないと。まずは場所を変える必要がある。ここでは本気を出せない。

 レーキは突然大きく跳躍し、隣の別棟の屋根へ移りさらに飛んで城の屋上へ、最後にはソレルが捕らわれていた別棟へ向かった。そこの屋上には広い露台がある。ロリイは彼を追って同じように飛んで行く。広く戦いやすい場所へ来て、向かい合うロリイを睨めつけながら、

 「余裕でいられるのも今のうちだ。おれの本当の力を見せてやる。お前を討ち取って長老会の年寄りに本当の実力とはどんなものか見せつけてやる」

 そう言ってレーキは深く息を吸うと長く吐き出し、それに呼応するようにレーキの背が伸び、横幅も大きくなっていく。バキリ、ゴキッと骨が砕けるような音も鳴り出し、背中が湾曲していき、背骨から牙のようなものが幾つも飛び出した後、ぶわっと鼠色の短く太い体毛が一気に生えた。着ている衣服は破れ去り、大柄でまだら模様の体躯に太い腕と足。腕と足の筋肉は体毛に覆われていてもはっきりと見てとれる。そしてレーキのままの頭が変化した体の上に乗っていた。その顔にある右の瞳は黄檗(きはだ)で周りは赤色の人ではない目をロリイへ向けている。既に光を失った左目は任務中に負傷したもの。彼が引退勧告を受けた原因だった。

 その姿は、そう、ロリイも何度も目撃しているあの生き物と酷似していた。

 魔物(バルバニオン)、アンダステで最も恐れられている生物。




 魔物(バルバニオン)が恐れられている理由は単純だった。彼らの生態などが明らかになっておらず、どこからかやって来る災害そのものだから。

 古い文献に初めてその名が登場したのは今から千年以上前、まだアンダステが若い頃。

 最初は人を食うものだった。何なのか不明なそれが来ると人は消えるという。当時の人々は恐れて集団で生活、行動し、夜は交代で寝ずの番をして自らを守っていた。それでも犠牲者が出て、ついにダルーナに要請がかかる。

 ダルーナによってそれは捕縛され始めてその姿が明らかになるのだが、見た目は四つ足の獣。獣はその前から存在していて、どこからかやって来て作物を食い荒らしていくだけの生き物。だがこの獣はどこか違う。ただ作物を荒らすだけの今まで見てきたものとは明らかに違う。筋肉質の体躯に太い手足は足が短く手は足の倍くらいの長さで分厚い爪がある。体全体に短く固そうな毛で覆われ耳はあるのか見あたらない。大きな頭には黄檗(きはだ)色をした鋭く丸い目に鼻は平坦で口は横に広く尖った歯のようなものが覗いている。これに比べたら作物を荒らす獣は可愛いくらいだ。

 <ルーシ>に拘束されて怒りのような鳴き声をあげていたその獣は、人々の前に引き出されると大きな目をぐるぐる回して人々を威嚇し、ぎゃぎゃと音を出していたがそのうち言葉のようになっていった。はらえい、ぐわせえお、おどけ、ほおけと言っているようだった。

 「これは何だろう」

 誰かがぽつりと言った。

 その言葉に皆が思った。これは獣ではなく、別の生き物だと。

 その後この生き物は研究されて分かった事は能力に応じて姿が違う。まず彼らは傷を負っても治りが早い。体の一部、腕が千切れても再生する。その為死に至らしめる事は難しい。そしてある程度の知能もあり、言葉を解するものもいる。彼らには五段階の生態があった。

 一番下は四つ足の獣の姿で、凡庸。但し人を食らう事によって知能を手に入れている。比較的捕まえやすい。次は二足歩行の獣の姿。四つ足よりも知能はあるが、臆病で逃げ足が速くなかなか捕まりにくい。その上も二足歩行だが首から下を太い毛が覆い、容姿は人に酷似している。さらに言葉らしきものを話す。こちらは自分を人だと思っているのか、人を見ると仲間と勘違いして自分から近寄って来る。力は強いが進んで人を襲う事はしない。

 この下位たちは人を食らって知能を得ているというのが特徴だ。そのどれもがダルーナ、または強い戦士には捕らえる事が出来る。

 残りの上位が最も危険で厄介。

 上位二つの共通点は人の姿をしており、言葉を話し、知能も高い。そして何より殺戮を好む残虐な性格で人を欲望のまま殺害し、建物を壊し町を荒野へ変えるのを好んでいる、災害そのものである事。

 その中で上下があるのには理由がある。

 上位二位には角が一本頭部にあり、上位一位には角が二本ある。これが下位の魔物(バルバニオン)と違う大きな特徴。角は力の象徴であり、源である。彼らは<ルーシ>とは違う別の力を持っている。




 ロリイの目の前にいる姿は二足歩行と融合した姿のように見えた。下位の魔物(バルバニオン)は人でも比較的御しやすい。しかし。

 「角なしなんですね」

 つい口から出た言葉だった。

 レーキは気に入らないといった表情をしたが冷静に答えた。

 「角なしでも力は十分だ。おれがこいつの力を使うのが肝心だからな」

 彼の言う通りだ。角ありだと吸収されて終わりかもしれないし、角なしなら力だけ使えて自分を失う事はないだろう。納得したロリイはセイドを構え直した。

 はたして一人で出来るか、とレーキを前にしてロリイは思う。通常下位の魔物(バルバニオン)は封印か捕縛ののち封印、上位の魔物(バルバニオン)は始めから封印をする。その時は必ず二人以上で行う。今この場にはロリイ一人。

 レーキが融合した魔物(バルバニオン)の腕を繰り出してきた。<ルーシ>を乗せていないがさっきよりも早く重い攻撃だった。彼の言う通り魔物(バルバニオン)の力を上手く取り入れている。魔物(バルバニオン)の目は人間よりも早くものを捕らえるのでロリイの動きについて来ているというより同調している。これでは体力勝負になりかねない。

 レーキは四大ダルーナだったので技も術も魔物(バルバニオン)を狩るやり方も十分熟知していてロリイは遣り難さを感じていた。

 「あなたはどうしてイゾの底を覗いたんですか?」

 「分かりきった事だろう」

 同時に頭上、足下へ鋭い爪が襲ってきた。足を浮かしてかわし、頭への攻撃はセイドで受け止めて流す。

 一旦手を止めてレーキは黄檗(きはだ)の目で射るようにロリイを見る。

 「おれはダルーナでいたかったんだよ。たかが片目になったからって、何で引退なんだ。片目でも十分戦える」

 レーキは突然イゾから大量の<ルーシ>を周りへ放つ。攻撃ではないのでロリイは様子を見ていたが、今語られた内容に何かが引っかかった。

 「その目はどうして?」

 ロリイの続けてくる質問に苛立ちを覚えるレーキだが、何も知らずに自分の後釜に座る彼に長老会のやり方を教えてやるのもいいかと思い、答えた。

 「魔物(バルバニオン)狩りだ」

 「もしかして角ありの?」

 渾身の力技を繰り出しながらもロリイが楽にかわしてくるのを忌々しいと感じるレーキ。

 「それが何だ」

 ロリイの中で散らばっている破片が一つに戻っていく。かつての四大ダルーナの身に起きた全貌が見えたような気がした。

 しかしレーキにはロリイを倒す事意外脳裏にはない。爪に<ルーシ>を乗せてそのままロリイに向けて繰り出す。人離れした早業で次々にくる爪をセイドと<ルーシ>を合わせて弾きながら爪を切り落としていく。切る側から再生していくがそれは融合体ゆえ次第に再生速度は落ちてくる。レーキはそれに気づいてないようで、攻撃だけは休まず続けてくる。

 レーキは爪の再生が間に合わなくなって初めて気づく、使える爪はもう隠し爪だけ。魔物(バルバニオン)には指の数のほか、隠された爪がある。普段は腕の一部になっているその爪を現した。

 「あなたがダルーナであったのは五年くらい前ですか」

 「それがどうした」

 レーキはロリイの無駄な話しにはうんざりしていた。この若造は何故こうも苛つかせる事ばかり言うのか。レーキは隠し爪を伸ばしてそこに<ルーシ>を纏わせ剣のようにして横、縦、斜めと切り込んでいく。ロリイはセイドで全て止め、セイドから<ルーシ>を放ちレーキを吹き飛ばした。続けて<ルーシ>の刃を何本も投げて魔物(バルバニオン)の体を貫いていく。肩、胸、腹、腰、脚に何本も撃ち込まれたが彼に痛みは感じない。体中の筋肉で刺さった<ルーシ>の刃を一気に抜く。抜けた刃は霧のように消えていった。

 「三年くらい前ですが、魔物(バルバニオン)についてある考察が加わりました。それによって魔物(バルバニオン)に関する見方も少し変わり」

 言葉の途中でロリイの頭上へ爪の剣が振り下ろされた。

 「ごちゃごちゃうるさい奴だ」

 ロリイはレーキの黄檗(きはだ)の目と光のない目を見ながら力で押してくる爪の剣を受け止めた。上からの押し潰そうとする凄まじい力に感情が込められてさらに力が増しているとロリイは感じていた。そこには自身を追い詰めてこのようにした誰かを恨み、かつての自分の姿をしたロリイを憎んで、哀しみを含んだ遣り切れない思いのようだった。

 ロリイがレーキの爪の剣を押し返そうとイゾからさらに<ルーシ>を引き出した。少しずつ、少しずつ戻る爪に焦り、目の前の若者の強さに肝を潰し黄檗(きはだ)の目がきょろりと動く。レーキの中の魔物(バルバニオン)が彼の意志に反する行動を起こす瞬間だった。

 突然太い足がロリイの脇腹目掛けて繰り出された。急な事でロリイの反応が一瞬遅れて服が裂け、二人は同時に後ろへ跳んだ。

 レーキは隠し爪を戻すと四つん這いになり、ロリイへ向かって行く。頭部はレーキのままだったはずが今は獣の顔になっている。何が起きた、とロリイは思ったが考える前に獣の口が大きく開かれそこにある上下の牙がロリイ目掛けて飛び上がってきた。体がすぐ反応しセイドで防いだが牙がセイドを齧るようにして離さない。そのままセイドの向き変えて牙を外して肩から胸にかけて切りつける。切られても咆哮を上げて後ろ足で立ち上がり、ロリイへ()()かるようにしてきた。

 押し潰すつもりか、と咄嗟に思ったロリイはセイドの刀身を消して柄の部分を向けて<ルーシ>を集中させた。もともと大きな体躯をさらに大きくして包み込もうとした時、ロリイの<ルーシ>は盾のように広がり目を眩ませる強い光を発した。


 光を発しながら広がる<ルーシ>は相手を捕らえるように網状になって向かって行く。光る網状の<ルーシ>はだんだんと狭まり魔物(バルバニオン)に近くなったレーキを捕らえていく。今やレーキではなくなり、獣の咆哮が響く。

 目の前で拘束されていく元ダルーナを見つめるロリイにはこの現象を現実として受け止めるには、心が優しすぎた。

 網状の<ルーシ>は幅を狭めていき獣の体に食い込んだところで止まった。ロリイはセイドを握りしめて半眼で彼を見つめている。今のレーキはすっかり魔物(バルバニオン)に取り込まれたようになっている。姿もそのもので言葉も話さず、(うめ)き声をあげながら体を(よじ)って網から逃れようと必死になっている。牙で網を切ろうとしているところにロリイは声をかける。

 「それは簡単には切れません、無駄ですよ」

 ロリイが話しかけてもグゥオグゥオと返事なのか威嚇なのか不明な鳴き声だけを発している。レーキはどうなったのか、取り込んだはずの魔物(バルバニオン)に吸収されたのか。もしそうなら今すぐ目の前の魔物(バルバニオン)を大人しくさせて逃げられないように新たな拘束を施さなければならない。ロリイは迷っていた。

 「おい。なんだこれは、解け」

 身を(よじ)って網から逃れようとしているのは間違いなくレーキだった。

 「こんなの巻き付けやがって」

 いつの間にかレーキの顔が戻り、体に巻き付いた網を忌々しげに言い、逃れようとしている。

 「戻ったんですね」

 ロリイの言う事を受け流して彼は網を解く事に一生懸命。

 「それは簡単には解けません。魔物(バルバニオン)を捕縛する為のものです」

 ロリイは近寄り、

 「あなたはさっき魔物(バルバニオン)になっていましたよ。忘れているようですが」

 と教えた。

 それを聞いたレーキは網を解く手を止めてロリイを見上げた。

 「何を言ってる?」

 驚愕の表情で尋ねる。ロリイはそれ以上何も言わず、憐憫の情を表していた。その様子で彼は真相を知る。そこに沸き起こるのは出鱈目な事を言うロリイへの怒りか、それとも真実を知った憂憤(ゆうふん)か。

 ロリイは声を出せずにいるレーキに向かって語り始めた。

 「三年くらい前ですが、魔物(バルバニオン)にある考察が加わりました。それは彼らが目を狙ってくる事に関するもので、結論から言うと魔物(バルバニオン)は相手の目を潰す時に自分の分身の種を植え付けるという事です」

 ロリイは一度話を止め、レーキの様子を観察する。彼は身動(みじろ)ぎせず地面を見つめていた。

 「全部の魔物(バルバニオン)がそうする訳ではなく、主に角ありが行います。人の目を潰し、同時に自分の細胞を傷に残す。傷をつけられた者は三年から五年以内に魔物(バルバニオン)の細胞が育って」

 ロリイは続けて言うのをためらった。それを察したのかレーキが促す。

 「それで?」

 ロリイは息を()いて続けた。

 「細胞が育って、目から小さな魔物(バルバニオン)が生まれます。宿主となった人はその時死に至ります。これは僕の推測ですがあなたは目の負傷後、イゾの底から召喚した魔物(バルバニオン)と融合する事によって角ありの細胞があったとしても、融合した魔物(バルバニオン)の餌となり細胞は消えたのだと思います。でも細胞を取り込んだ魔物(バルバニオン)の力になって、それがさっきの現象だと思うんです。先程あなたは確かに魔物(バルバニオン)でした」

 静かな時が少しだけ流れた。レーキの顔はロリイからは見えなかったがかなり動揺していると思われる。力を欲して召喚、融合の結果がこれでは彼も何も考えられないだろう。

 しかし、ロリイは力を望む者の真の姿をまだ理解していなかった。だけではなく、人の渇望とはどのようなものか。

 レーキは打ち(ひし)がれてはいなかった。

 顔をロリイへ向けて網に包まれていても憎悪の表情を崩さず憎しみの言語を吐く。その直後、彼は自分を包む網を<ルーシ>を使って溶かしていった。自由になったレーキはロリイに向かって<ルーシ>と爪を体の中心に突き立てようと繰り出した。

 「おれがおれ自身を取り戻すのを、やめるものか。誰にもおれが、ダルーナである事を、否定させてなるものか」

 泣いているような震えているような声で叫び続けていた。この叫びはロリイの戦意を喪失させる威力があった。セイドを回して攻撃を防ぎながら見ているレーキの表情は戦う相手には思えない。その油断は彼の緩まぬ攻撃を正面から受ける事になり、腹部、右肩に傷を受けてしまった。

 後ろへ跳んで、距離をとる。切られたところはどちらも浅く血の流れは僅かだった。ロリイは手で押さえてそこに<ルーシ>を送り込んで応急手当をした。

 ようやくロリイは彼を憐れんだ事を恥じて真剣に向き合うと決めた。引退勧告を受け入れなかったのも彼自身。イゾの奥底を覗いて魔物(バルバニオン)を召喚して融合するなど、ダルーナとして受け入れがたい方法をとったのも彼自身。今目の前のもの全てが彼自身が選び取ったもの。

 ロリイは完全にレーキを魔物(バルバニオン)ごと捕らえるには覚えたての技を使うしかないと考えていた。あくまでも元四大ダルーナで、手の内は知られているがこの新たな技は知らない。<ルーシ>の消耗が激しいので出来れば控えたかったが。

 左右から腕力に<ルーシ>を混ぜて接近して打ち込んでくるレーキの両手首を一気に切断する。レーキの動きが鈍り、怯んだと見ると間を置かず両足首も切り捨てる。この早業にレーキは尻をつく。急いで手足を再生させようとするが何故か再生していかない。不思議に思いつつもう一度再生を促す。

 「再生は出来ませんよ。そういう<ルーシ>を乗せたので」

レーキは自分の再生しない手足とロリイを交互に見る。

 「そんなものあるものか」

 「あるんですよ。日々、変化しています。今から見せましょう、新しい魔物(バルバニオン)を捕らえる技を」

 ロリイはそう言うと集中して何か呟き始め、手の平を口に当てた後その手を大きく振った。すると手の平から文字のような模様が現れ、連なるそれはぼんやりと光る縄を()っていく。手を振っている間は光る文字の模様が現れ続け、ある程度の長さになると手の平をレーキへ向ける。それはレーキの体に引き寄せられて何重にも巻き続けていく。ロリイの手の平から現れた光る文字模様の縄はレーキの首だけを出して後は縄ですっかり覆ってしまった。

 これこそ新たな捕縛方法。捕縛の呪文そのものを<ルーシ>で形成し捕らえたら離さないこの技は<ルーシ>の消耗が激しい為、伝授されたダルーナは僅か。ロリイも実際に使うのは初めて。何度も訓練はしたが、出来れば使いたくないと思ったものだ。

 首だけ出した状態で捕縛されたレーキは最初のうちは声を上げていたが、次第に縄を構築する呪文と<ルーシ>の合わせ技に口が動きにくくなっていった。

 荒い息の中ロリイはこれで完全に捕縛出来たと安堵する。セイドの刀身を現すといつもより短い。刀身は<ルーシ>の流れる強さによって自分の好みの長さにするので、勝手に短くなるくらい消耗している。

 「これが新しい捕縛の縄です。それからは逃れられません」

 レーキは何かを言おうと口を動かすが声にはならずロリイに虚ろな眼差しを向けて来る。彼が何を言いたいのか、ロリイはもう聞く事は出来ない。

 それは一人のダルーナであった男の成れの果て、望みの果てであった。

 そして終わりを告げるかのように崩壊の足音が地の底から響いた。

 



 ロリイの仕事はまだ終わらない。

 息を整えながらダルーナの携帯品である腕輪型の情報端末を指先で触れる。端末は触れたロリイの<ルーシ>を感知して、文字が浮かび上がると真上に飛んでいった。<ルーシ>の情報網に向かって放たれたそれはロリイの居場所を教え、また応援の要請をしていた。アンダステ中に張り巡らせたダルーナによる<ルーシ>を使った情報と連絡の為の網は緊急の時に大変役立つ。今回はレーキを捕らえたので彼をダルーナの(さと)へ連行しなければならないのだが、ロリイにはまだやる事がある。彼を誰かに託したいので応援を呼んだというわけだ。

 (この辺りにはダルーナ院がないから近くに誰かいないかな。誰にも知らせずに来たから・・・・大丈夫かな。はぐれダルーナがいるとは思わなかったし。違反と言われなければいいけど)

 ただセイドを取り戻すだけのはずが王女救出に発展し、はぐれダルーナと遭遇。しかも魔物(バルバニオン)と融合した先代との戦いの末、新技で体力が低下。

 落ち着いてくると不安を感じて来るロリイだったが、ここまで来たら最後までやらなければ後悔するだろうと思っていた。

 そうこうしているうち、ロリイの要請に応じてダルーナの一隊が現れた。空間を凝縮、移動という普段ならやらない技を使って彼らはロリイの目の前にやって来た。彼らは特殊な任務の時に着用する短く赤い外套を纏っている一隊だった。

 五人一組で、隊長らしき人がロリイの前へ歩み寄って来た。体格の良い中年の女性で黒茶の服の裾に山吹色が一本入っているのが目に入る。疲れた風のロリイと<ルーシ>の縄でぐるぐる巻きになったレーキを見て説明を求めずに理解した。 

 「ご苦労さま───」

 ロリイを見ながら<ルーシ>を送って誰かを確認し、レーキにも<ルーシ>を送って確認する。

 「グリン・ダルン。この者はレーキ・ノターク、前グリン・ダルンじゃないの。あなたは一人で先代と戦ったの」

 隊長は驚きながら言ってきたが、特に同情や特別な労いはない。これはダルーナなら当たり前の事だから。

 また隊の一人が駆け寄り、ロリイを座らせてレーキに切られた腹部と腕の手当をした。その人は医療専門ダルーナで切られたところを綺麗に治した。それからロリイに携帯の飲み物を渡した。何だろうと見ていたら体力回復の飲み物だと説明した。自分はそんなに疲れているように見えるのかとロリイは感じた。最もレーキの拘束を見たからかもしれないが。

 「あなたは彼の捕縛を命じられていたの?」

 レーキの状態を確認しながら隊長が尋ねる。二人のダルーナがレーキの左右に付いて見張っている。今はレーキは口も動かせず、目は見えているのか頭を振りながら焦点の合わない目を彷徨わせている。

 「いえ。別件で訪れたんですが、たまたま彼がいただけです」

 頷きながら隊長はロリイの出来具合をみて感心する。

 「この技、難しいのによくやったわね。完璧よ」

 ロリイはほっとして力が抜けていく感覚を味わった。

 「すぐに行ける?」

 隊長が言ってきた。本来は捕縛した者が連行と引き渡し、報告を行うのが当たり前。

 「僕にはまだやる事があるので、出来れば連行をお願いしたのですが」

 ロリイの返事に隊長は周りを見回してここで何かが起こっている最中だと理解した。

 「二人、<ルーシ>を使えるのがいるようだけど、何の依頼なの?」

 ロリイは一瞬ためらった。エギールはパルナから正式に依頼がいくはずだと言っていたが、ロリイはそれを確認したわけではない。それに特別な任務を与えられている彼らが知っているのかも不明だ。

 「ガリア国王女救出です」

 言葉と共に心臓が大きく音を立てた。

 「ああ、あの最優先事項ね」

 知っている事に安堵してロリイは頷く。隊長は了解したというように頷いて移送準備が整ったか仲間を振り返る。

 レーキを囲むように四人が揃っている。それぞれが手にセイドを持ち、中心にいるレーキに向けていた。隊長はそれを確認して最後にロリイを見て襟を正す。彼らが出発しようとした時、地下から地上へ突き抜けていく衝撃があった。それは真っすぐ天頂を目指しているように登っていった。

 何事かと辺りを見回すダルーナ達。ロリイは何なのか予想がついていたのでさっきまでいた所へ視線を向けた。

 「何? 何が起こったの?」

 怯えたような声がダルーナ達から起こった。まさかパテロの崩壊の始まりだとは誰も思わないだろう。誰も経験した事などないのだから。

 「このパテロは間もなく崩壊します。どうぞ行って下さい」

 ロリイは彼らに言った。

 ロリイのその言葉に彼らは驚きを隠せず、動揺している様に見えたが、隊長の咳払いで気を引き締める。

 隊長は経験が豊富なのだろう、全く動じていない。むしろ冷静。

 「あなた、一人で平気?」

 ロリイに尋ねてきた。

 「一番の脅威は去りましたから」

 と、レーキを見る。

 「分かりました。では我々は先に行きます」

 隊長は納得したように頷くと空間移動を命じた。

 彼らの姿が歪んで消える前にロリイは最後にレーキの姿を目に焼き付けた。自分で<ルーシ>の縄を巻き付けて拘束した先代の姿を。その彼の思いと共に。


 彼はいつかなるかもしれない自分。未来で来るかもしれない自分の姿。


 それを心に焼き付けた。決してならない為に。

 ───「ロイゼン」

 そう呼んだあの子の声が唐突に心に蘇ってきた。そうだ、あの子はもとに戻っただろうか。

 行かなければ、あの子を助け出さねば。

 ロリイは立ち上がったが、思ったより力が入らない。予想以上の消耗具合だ。ロリイは医療ダルーナからもらった飲み物を一気に飲み干す。甘くとろみのあるそれは体中に染み渡っていく。セイドの刀身を現してみると短く、完全に回復するには時間が必要だと思われた。

 ふと、ロリイは何かを思い出して小さく笑った。

 「今ならあの子のおやつ食べても平気だな」

 目の前に、少年がおやつを間違えて食べてしまい慌てるシャトウィルド達の光景が浮かんでいた。


次が最終話です。


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