十二話 ふたごの樹が望むもの
それはぼんやりとした自分の姿を見ているソレルを認めた。
目覚めた後の望みはただ一つ。動こうとしたが何故かやけに熱い。熱くて痛くて動こうとしても動けない。意識がぼんやりとしてくる。そうしていたらあの子が見ていたのだ。細く意識を伸ばすとあの子のイゾが反応してきた。懐かしい、と。
何故か心の底から勇気と活力が湧いて来た。行ってしまったあの子にもう一度、会いたい。会って話したい。会わなければならない。その衝動は抑えられるものではなかった。
けれど
あの子は急にいなくなった。
いなくなった。
それはあの子を探しに行こうと熱くて痛い手足を必死に動かそうとした。でも何かが阻んでいる。いったい何が、何が阻んでいる?
キッシアは結晶で出来た鳥に乗ってふたごの樹の近くへ来た。人を乗せられるほど大きなその鳥はキッシアの什器である腕環の一部が変形したもので、到着して主人を下ろすと鳥の形は一本の紐状になって腕環へ吸い込まれていった。
建物に隠れるように進んでふたごの樹まで来ると彼の予想が当たったと知る。彼、エギールはゼルダの正規兵が少なくなっているのと温室のアサン石が無かったという事が気になり、考えた末それらが彼の中で一つの可能性を生み出していた。
その彼がキッシアに直に言ってきたのだ。兵達は何か重要な別の任務を遂行中かもしれない、と。
それはふたごの樹の周りに大量のアサン石を壁のように巡らせてアサンの光を集め、それを木に向けている。木に熱を集中させ、暴走の歯止めとしていた。あわよくば燃えてしまえばいいと思っての事か。
事実、ふたごの樹はまだ沈黙している。少し焦げついた箇所もあった。
それを確認したキッシアは早速行動に移った。
腕環の欠片を地面に這わせて幾つも送り込みアサン石に貼り付かせた。全ての石に結晶が付いたところで欠片を通して<ルーシ>を送り、アサン石を破壊。
周りを警戒していた正規兵は次々割れていく事態になす術なし。キッシアは彼らを制圧するつもりは無かったのだが、真面目な兵がいたらしく、彼女を認めて詰め寄ってきた。
「ゼルダの兵達、このまま去るのなら見逃す。君達も今のこの状態を歓迎しているわけではないのだろう? 君達は今あそこにいるのが────」
キッシアは大きな声で言いながら城を指差す。武器を向けながら近寄る足が止まった。彼女の発言は兵達の迷いを明らかにしたようだ。彼らも思っていたのだ、もしかしたら、もしかすると。
一人、手に持つ武器を投げ捨て黙って背を向けて去って行った。それから同じように去る者が続いた。最後まで残ったのはまだ信じられない、信じたくないと思っている者達。彼ら数人はキッシアに対して歯向かう事はしない代わりに傍観を許してほしいと訴えた。すぐに返事をしないで無言で彼らを見ていると彼らは武器、戎衣を次々捨てていく。そのうえでもう一度キッシアに頼み込むと今度は了承した。その後彼女は彼らが捨てた武器と戎衣を<ルーシ>を使って使い物にならなくしていった。同時に彼らがその様子を驚いて見ている間にこっそり結晶の欠片を一人ひとりに付けた。
それから彼らはそれぞれ思い思いの方へ散らばっていった。
キッシアは通信装置を起動してエギールを呼んだ。
「聡明ですね、エギール殿」
〔僕を持ち上げても何にもなりませんよ。どうしたんです?〕
キッシアは笑いながら顛末を話した。
〔へぇ。本当にそんな事してたんだ、びっくり〕
びっくりしたのはこっちだと思いながらこれから城へ向かい、シャトウィルド、ロリイの補助をすると伝えた。
〔そうして下さい。そうそう、あの子供はどうなりました?〕
子供、ソレルの手助けをした少年は不運に襲われていた。
行動に移る前、話し合いの際にソレルがおやつを頬張っていたので少年にも褒美の代わりとして携帯口糧が与えられた。携帯盆に乗せられた干菓子は少年の前に置かれたのだが、ソレルが新しいおやつを袋から出してそれを一度盆に置いてしまった。そのお菓子の方が小さかったせいか、少年はソレルのおやつを取って口にしてしまったのだ。すぐ気づいたキッシアが食べるなと叫んだが遅く、言った時には少年は飲み込んでいた。
シャトウィルドが慌てて少年の口に手を突っ込み、吐かせようとしたが無理だった。事の重大さを分かっているのは三人だけ。今までソレルのおやつを普通の人が食べた事象は皆無で、どうなるのか正直分からない。様子を見るしかないと三人の意見は一致した。
飲み込んでしばらくして、少年は腹痛を訴えた。お腹に両手を当てて苦しいと涙を浮かべている。横に転がり苦しい苦しい、お腹が破裂すると言い続けているのだが、実は食べ過ぎなだけなのだ。
ソレル専用のおやつは手の平に収まる大きさで十分な満腹感を与える特別仕様のもの。それは何年か前に開発された黒茶色の焼き菓子風で日持ちも良く、保管も楽。作り方は門外不出で選ばれた職人だけが作れる。
「あの少年は部下を付けて船へ。少年の事は我々に任せて下さい。あのおやつを食べてしまったのでしばらく食事抜きでいいですしね」
キッシアは笑いながら言い、エギールからの指示を聞くと通信を切った。直後ふたごの樹へ振り向き、木の様子を見るがまだ沈黙している。所どころ焦げているのが痛ましい。これのせいで動かなくなったのだろうか。事実、グランサはこの木を脅威に感じていたのだ。正規兵を配するほどに。切り倒そうとは考えなかったのか、と頭に浮かんだが、きっと何か不都合な事でもあるのだろうと思った。
本当にミレイシャの言う通りにこの木は動き出すのだろうか。この国を滅ぼす力があるのだろうか。考えても仕方がないのでこの木はこのままにしておこう、と結論を出した。
キッシアが城へ向かおうと背を向けた時、什器の腕環から木について情報が伝えられた。再び振り向くと、木は伸ばした枝を緩やかに動かしていた。何かを探しているのか枝の先をあちこちへ向けている。探すものが見つかったのか、あるいは行く方向が定まったのか、木の幹にはさっきまでなかった人の姿が浮き出ていた。
目標を定めたふたごの樹は一本の太い根を地中から現すと大地を掴むように這わせた。木の幹に浮かんだ人の姿が向いている先は城の一角、砕壁船が停泊している方向。
それを見たキッシアは嫌な予感がして腕環を再び鳥に変化させてそれに乗って今まさに攻防激しい場所へ向かった。
その後、大地が震え始めた。
足下の露台が小さく揺れている。
ロリイはレーキと向かい合うと、セイドを抜いた。
シャトウィルドは現れたロリイに
「あれを壊せ」
と叫んだ。あれとは制御の筒の事。通信装置を通して何が起こっていたのか、何が交わされていたのか分かっていたはずだ。
「分かってます。あとは僕が、あなたは彼女を」
ロリイの言葉にシャトウィルドが男達を追って行く。今度はレーキの邪魔はなかった。彼は目当ての人物が現れてくれたので楽しくてたまらない。そう、彼はずっとロリイを待っていた。目の前に現れたロリイを上から下へと眺める。特にロリイの服装が気に食わない。深緋の色が。
「はぐれダルーナですね。名前を聞いておきましょうか」
今から捕縛しようとする相手に対してロリイは静かで丁寧に言ったのだが、言葉が気に入らなくて怒りを露わにしたレーキ。
「おれが何だって?」
怒気を含み片目を細くしてロリイを睨む。
「おれが誰なのか、お前は分からない?」
レーキは大袈裟な身振りでロリイへ近寄り、さらに声を大きくして言い放った。
「おれはグリンだ。グリン・ダルン。ケチなはぐれダルーナと一緒にするな」
男達の仕事は意外にも早かった。彼らの姿は近くになく、彫像となったソレルを運んでいるにもかかわらず既に屋上へ上がって行ったと思われた。そこには砕壁船がある。船に運んだらすぐ出発してしまうかもしれない。シャトウィルドに焦りが生じて<ルーシ>の補助を使い、走る速度を上げた。
足下が小刻みに揺れているが物ともせず屋上の歩廊へ一気に駆け上がると船が見えた。乗組員の姿も男達も見当たらない。ひと気のない歩廊を突っ切って船へ真っすぐ走る。その時、男達がひと仕事終えてのろのろと船から出て来た。彼らは楽な仕事だったとか、安い賃金だとか、もっと仕事ほしいなどと言いながら貰ったばかりの金を数えながら歩いて来る。シャトウィルドが追って来たのを認めるとついでにもっと金をせびる為に彼を捕らえようと散らばった。正面から二人、手入れの悪い刃物を向けて行く手を阻む。シャトウィルドは帯革から剣を現すと正面の男達を<ルーシ>で切った。実際に切られていないので強い一撃により一瞬で意識が飛び気を失って倒れた。
その瞬間、後ろから網が投げられてシャトウィルドを捕らえた。彼は慌てず剣に<ルーシ>を乗せて刃先を頭上へ突き上げた。網はぼろりと崩れるように解けていった。彼を囲むように網の残骸が散らばり、男達は怯んで後退りをする。刃の様な視線を男達に投げつけると彼らは金より命というように逃げて行った。
シャトウィルドは息をついて剣を帯革へ戻して船へ入って行った。
予想外な事に船の出発準備はされていない。船内はしんとして気味悪く、シャトウィルドは警戒する。
索敵という技は使えないので周りを気にしながら一歩ずつ通路を進む。船の構造は大体決まっているのでそれが頭に入っているシャトウィルドは操作室を目指して行った。
天井と床のぼんやりとした明かりと装飾のないつるりとした通路が続いているのできっとこの先にあるだろうと思った。少し進むと小さな細い窓のある扉が見えた。窓の向こう側は明かりがついている。そっと通路に背を付けて近づき、ゆっくり扉の窓を覗く。中には誰もいない感じで扉を開けて反応をみる。やはり無人のよう。
扉を越えて入ると操作室で間違いない。シャトウィルドはもう一度誰もいないか部屋中を確認してから操作盤を前にした。
作りは平均的、だが、何かが違うと頭の中で鐘が鳴っている。それは何だ、と操作盤と部屋の中を見回してようやく気が付いた。
これは砕壁船ではない。
シャトウィルドは砕壁船に乗った事はないが、船に関する書物を読んだり船の技術者と意見交換した経験がある。その彼でも分かった事で、これはただの自立航行船、しかも短距離の。これではアンダステを出るどころか、近くのパテロかヴァラキア空域内しか行けない。
おかしい、確かに砕壁船が来るとソレルは言っていた。自分のイゾを献上する為の砕壁船が来ると。それに乗せられたらもう終わりだと、何度も思ったと背中越しでも分かる震え方をしていた。
シャトウィルドは考え込みながら操作盤を一つ一つ見ていった。それで答えが出るわけでもないのだが。
特別気になるところはなかったが、この船は人を乗せて運ぶようにはなっていないと感じた。操作盤で色々と情報を引き出した結果、食料も調度品もなく、ただの空っぽの箱のよう。倉庫に眠っていた船を急いで持って来たという感じだ。何か意図的な感じを受けるが取り敢えずソレルを迎えに船の中心にある部屋へ行った。操作盤でソレルが運ばれた場所は分かっていた。
空っぽの部屋の中心に一つの彫像が立っている。男達は適当に置くのではなく一応丁寧に置いたらしい。その証拠にソレルの立っている足下には厚い布が敷かれ、首の辺りまで布で覆われている。あの男どもの仕事ではないな、と思いながら布を剥ぎ取っていく。
(良かった。間に合った)
安堵の表情でそっと頬に触れると温かみと柔らかさが感じられた。
「ロリイ、急いでくれ」
祈るように呟いた。あとはロリイが制御の筒を壊せばもとに戻るはずだ。これ以上追いかけっこの真似はうんざりだ、という気持ちと神経がすり減りすぎという感覚が彼を襲っていた。
それから気を付けながら抱えると船の外へ向かった。途中足下が細かく揺れて抱え直しながら大事に運んだ。
もう邪魔は入らないだろうと若干の油断があった。そう、すっかり忘れていたのだ。あの木の事を。
船外へ出てみると遠くに緑が茂るこんもりとした所が目に付いた。あんなもの、あっただろうか。自問自答してあれは例の木だと結論が出た。あんなに生き生きとしていただろうかと首を捻った。そんな事を呑気に考えたところで、足下が大きく揺れ出し、立っていられないくらい揺れると突然目の前に太い根が下から現れた。
建物の下から突き出て現れた木の根は壁の様にシャトウィルドを遮り、威嚇するように上から見下ろしている。
足を止めたシャトウィルドはソレルを抱え直した。木の根を避けようと方向を変えると木の根も動いて行く手を遮る。
(こいつ、何のつもりだ)
自分達の動きに合わせて木の根が意志を持って動いているとしか思えなかった。この時シャトウィルドの中に苛立ちが間欠泉のように噴き出してついついいつも通りに叫んでしまった。
「キッシア! どうなってんだ、ここに木が来てるぞ」
通信装置を通して響いた後、言葉は冷ややかな針となって戻って来た。
「このあたしを、呼んだ?」
装置を通しても感じる一瞬で凍るほどの冷たい返事。
シャトウィルドも一気に冷気を感じて顔も青ざめていく。慌てて、謝罪するべきかこの状況下で、と考えたが向こうが言葉を繋げてきた。
「状況は分かっています。ふたごの樹の事はあたしにも分かりません。何か情況を変える事があったとしか思えませんね。とにかく、あなたのすべき事は殿下を何が何でも守る事。いいですね」
今度は烈火のような圧力で言ってきた。
シャトウィルドは気を引き締めてこの状況を冷静に見てみた。
木の根はこちらに何かを仕掛けてはいない。ただ、何処へも行かせないでいるだけ。確認の為にゆっくりと木の根を避けて行こうとしてみたら、やはり遮ってくる。
こうなったらここでロリイが制御の筒を壊すのを待つしかないと思った時、木の根から出ている細い根がソレルの体に巻き付いてきているのに気がついた。抱える腕から無理のないように引き離して自分の、太い木の根の方へ連れて行く。これを固唾をのんで見守るシャトウィルド。もしかしたら、この木の根は敵ではないのかもしれないと感じていたから。これは一種の賭けでもあった。
その彼の目の前で起こった事は現実のものとは思えない出来事だった。
体に巻き付いた細い根がソレルをゆっくりと下へおろし、そのまま顔を撫でるように動いた後、肩へ移り起こす様な仕草をした。
これが、人だと思うと納得がいく。ようやく取り返したひと、最愛の人のような。その人を取り戻して、生存を確認して意識を取り戻そうとしている、そんな風にシャトウィルドには見えていた。
何度も細い根はソレルを起こそうとしている。それでも起きないので気が沈んでいく様が見てとれる。それを見ていて哀れだという思いがシャトウィルドを占めていく。
細い木の根が萎れてソレルから離れていく時、それが起こった。
一度、二度とソレルの体から<ルーシ>が円形に放たれた。
(意識がないのに、何で)
シャトウィルドは呆然として見つめる。
<ルーシ>に合わせてソレルの体が僅かに動いていた。そしてソレルの体から分離するように朧げな人が体を起こした。透き通り実体ではないその人はソレルではない、別の女性。長い髪を緩く一つにまとめ、歴史の本に描かれている人が着ているのと同じ服装で木の根を見上げて微笑む。手を差し出しながら何か言っている。
すると今度は木の根から男の姿が現れた。同じように実体ではない。これは<ルーシ>によるものなのかとシャトウィルドは思った。そうすると一体誰の<ルーシ>なのか。そもそも意識のないソレルに<ルーシ>が使えるはずもなく、こんな事ソレルには出来ない。それとも近くに誰かがいるのか。
幻の男女はお互いに見つめ合いながら会話を始めた。言っている事はシャトウィルドには聞こえないが唇の動きや表情でそうだと分かる。彼らは自然に手を取り合い、見つめ合ったまま喜びを表していた。
ずっと離れ離れだった恋人同士が久し振りに逢瀬を楽しんでいるような。誰も立ち入れない、関わってはいけない空間がそこにあった。柔らかな日差し、心地よい風が吹く彼らだけの。
しばらくして幻の女が何かを言うと男は目を見張るが頷いて木の根に戻って行った。それを見届けた女もソレルの体へ戻って行く。
何も無かったように元に戻ったが、これで終わりなのだろうかとシャトウィルドはまだ動かないでいた。木の根がゆっくりと下へ戻って行くのを見て横たわるソレルの側へ行った。
「緊急事態だから大目に見てくれよな」
シャトウィルドは遠くにいる誰かを思い浮かべながらそう呟くと、しっかりと自分の胸に彼女を抱えた。
その時、ふたごの樹はようやくミレイシャが望む目的に向かって方向を転換した。
地中に伸ばした根を何本も城の地下へ向かわせる。その先にあるゼイラーへ続く秘密の通路を目指して。
その動きと共に大地は揺れる。