回転寿司の生ゲソとイカミミ
深海の謎めいた住人、イカ。その身体には驚くべき美味が隠されている。生ゲソはイカの足である。寿司ネタは、泳ぐ魚の姿とは似ても似つかない刺身になることがほとんどであるが、ゲソはイカの体の一部分がそのまま提供される。食材を大胆に活用し、食べ手に驚きと満足感を提供するネタである。食通が熱心に生ゲソを選ぶのは、単なる食事ではなく、一種の冒険への招待状と受け取るからかもしれない。生ゲソの登場は、食卓において冒険心をくすぐり、舌の冒険者達を満足させる。
生ゲソの独特な食感は、まるでイカの魂が寿司の上で踊っているかのよう。一口噛むたび、口の中でほんのりした歯ごたえと共に、イカの生命力が舌をくすぐる。これはまさに、料理がただの食べ物ではなく、食材の生命を感じる芸術へと昇華していく瞬間である。
生ゲソはそのままの形で提供されることで、食べ手に対する料理人の信頼も感じさせる。「ここには本物がある」というメッセージが、この一皿に込められている。その鮮度や質に裏打ちされた安心感は、まるで海の中から直接運ばれてきたかのようである。
夜の海に一隻の船が特別な使命を果たすために出航していた。波立つ潮風が顔をなで、星たちが夜空に輝くなか、漁師は丁寧に網を海に放り込み、その瞬間を待っていた。すると、水面が揺れ、謎めいた生き物たちが網に引っかかる音が漁師の耳に届いた。船が徐々に引き上げられ、イカの姿が水しぶきとともに明らかになる。漁師は真摯な眼差しでこれを一つ一つ確認していく。
「これは素晴らしいネタになるだろう」
日本の伝統的な食文化は、食材の持つ本来の風味や食感を大切にし、それを最大限に引き出す工夫が凝らされてきた。歴史を重ねてきた日本の食文化では、素材の味を最大限に引き出し、それを楽しむことが重要視されてきた。ゲソのような部位が、そのままの状態で提供され、その食感を楽しめることは、和食の伝統的な価値観が色濃く残る証である。
ゲソは安い部位であるが、供給量が多くてありふれたものではない。シャリからはみ出るほどのボリュームがあり、コリコリした噛み応えもある。値段と味が比例しない消費者に嬉しい寿司ネタである。価格と味のバランスが取れている点は、日本の食文化が庶民的でありながらも妥協のない美味しさを求める姿勢を反映している。消費者が手頃な価格で上質な食材を楽しむことができることは、日本のグルメ文化の魅力の一端であり、回転寿司はその典型である。
ゲソは飽食の防止にもなる。「ゲソはすしダネでも歯ごたえあるので、しっかりと噛むことができます。噛みながら次のターゲット(皿)を選ぶ。人は食べ始めてからお腹が満たされた信号が送られるのに20分ほどかかるため、しっかり噛むことで時間が稼げて過食が抑えられるという訳です」(赤石定典「回転ずしでは、まず「イカゲソ」から食べるべき「驚きの理由」」現代ビジネス2021年11月20日)
イカミミはイカのミミ(ヒレ、エンペラ)である。先端部分のヒラヒラした箇所である。左右のバランスをとったり、方向転換したりする役割である。イカの本体である胴の部分よりも食感がよく、旨味も強い。この小さな箇所が、まるで寿司の舞台裏に立つ料理人の心臓部のように機能している。シャリとの一体感がありながらも、その存在感は独立して主張し、食べ手に臨場感を提供する。寿司ネタの中でも特別な存在となり、その風味と食感はまさに一期一会の贅沢な体験となる。
ゲソやミミの部位が食材として提供されることは、日本の料理人達の食材の全てを活かし尽くす姿勢を感じさせる。捨てる部位を作らないことはSDGs; Sustainable Development Goalsのフードロス削減につながる。捨てられがちな部位を無駄なく活かし、食材の持つ可能性を最大限に引き出すことで、持続可能な食文化への貢献がなされている。
回転寿司のカウンターに座り、イカミミの美味に舌鼓を打つことは、まさに食の冒険の旅。料理人の心意気と技巧が一皿に凝縮され、食べ手は新たな味覚の発見とともに、持続可能な未来への一歩を感じる。イカミミの輝きは、回転寿司のグルメ物語に深みを加え、食卓にエレガントなアートを紡いでいく。




